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宇佐海軍航空隊跡近辺の戦跡   


前回前々回に紹介した宇佐海軍航空隊跡の近辺には、他にも空襲の傷跡や、戦時中の施設の名残が残されているところがいくつかありました。

すべてを見て回ることはできませんでしたが、私が撮ってきた写真をいくつか紹介したいと思います。

(下の写真は、すべてクリックで拡大(Picasa WebAlbumへのリンク)します。


■柳ヶ浦小学校に残る機銃掃射、空襲の跡

これは、柳ヶ浦小学校(当時は、三州国民学校) の壁に残る、米軍機による機銃掃射の弾痕。
丸くえぐられたようになっているところが弾痕です。
空襲時には、講堂(体育館)や後者の半分が吹き飛ばされたとか。



 
 
写真ではわかりにくいかも知れませんが、弾痕がいくつも残っていました。


柳ヶ浦小学校の敷地内にあった石碑。
特に説明書きはありませんでしたが、他の方のWEBサイトの情報では、空襲で上半分が吹き飛ばされたものだとか。

 
同じく柳ヶ浦小学校の門の一つ。こちらにもえぐられたような跡がありました。
空襲によるものかどうかは、ネットで調べてみても記述が見つかりませんでしたので不明です。


 
「御大典記念」「昭和三年十一月十三日」と彫られていたので、当時のままの門柱であることは間違いないようです。
なお、「御大典」とは昭和天皇の即位の礼のことで、昭和三年(1928)十一月に行われました。

 
同じく柳ヶ浦小学校敷地内にあった、宇佐海軍航空隊の門柱。


■空襲の中、奇跡的に残った蓮光寺の「生き残りの門」

 
安政二年(1855)に建てられたこの門は、昭和二十年四月二十一日の大空襲で本堂・庫裏が全壊する被害の中、奇跡的に倒壊を免れたため、「生き残り門」と名付けられたそうです。



 

 
倒壊を免れたものの、無傷というわけにはいかず、柱の根本近くには空襲の傷跡が残されていました。手前の柱がえぐられ、その延長線上の部分にも大きな傷跡があります。

■海軍桟橋

 
 
海軍が、内火艇(カッター)の漕艇訓練に使っていたとされる海軍桟橋。写真には写っていませんが、小さな漁船がつながれていていました。


宇佐市内には、他にも艦上爆撃機の訓練に使った巨大なコンクリート製の標的など、多数の戦跡があるようで、拙ブログで紹介した各スポットについても、ネット上に多くの情報があります。
(「宇佐」「掩体壕」「機銃掃射」などで検索すると、たくさんヒットします)


この夏、西日本を旅行しようと思ったきっかけは、宇佐に多く残されている戦跡を訪れてみたいというのが一つの理由でしたが、ネットで調べているうちに、東京都内にも米軍機による機銃掃射の弾痕を多く残す建物が残っていることを知りました。灯台もと暗しとは、このことですね。

早速先日行ってきましたので、次回エントリーにてご紹介予定。


宇佐の戦跡のその他の写真と、各所在地については、下図をクリックして参照できます。

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私のPicasa公開ギャラリー一覧はこちら

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