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宇佐海軍航空隊跡-2   

IMGP2579


前回紹介した宇佐海軍航空隊のあった地域ですが、こちらの記事によれば、16回以上もの米軍 の空襲を受けています。

その傷跡が掩体壕のあった近辺にいくつか残されているとのことで、足を運んできました。


(下の写真は、すべてクリックで拡大(Picasa WebAlbumへのリンク)します。


飛行場のあった周囲は今は見渡す限りの田んぼになっていますが、その中に米軍が投下した爆弾によってできた穴が、その土地の所有者の思いによって今も残されています。それが、「爆弾池」。

県道629号線沿いに下記のような案内板が立っています。


上の写真に400mとありますが、矢印の通りに直進しても何もありませんでした。さんざん探したところ、途中の十字路を右折した先に、やっと下のような看板を見つけました。そして奥の方の稲が生えていないところが爆弾池です。


かつてはこのような爆弾の跡が無数にあったそうですが、この爆弾池以外はみな埋め戻されたそうです。
そして「爆弾池」で検索すると分かりますが、このような穴は、空襲を受けた地域なら、日本中どこにでもあったようですね。


 

爆弾池の説明が書かれた柱



爆弾池のそばには、当時の基地施設もいくつか残されています。


海軍のレンガ建物。無数の米軍機による機銃掃射の跡が残されていました。
 

大小たくさんの機銃掃射による穴が壁面に残っています。
 

この建物は、一説には落下傘整備用だったといわれているようです。


上記の建物の場所からさらに進むと、田んぼの中に単なる盛り土のような通信室跡が見えてきます。


反対側に回り込むと、コンクリートでできた半地下への入り口がありました。



次回に続きます。
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コメント

昭和40年ごろの大阪市内にも、「爆弾の跡」と言われる穴は幾つもありましたね。

実際、私の家のそばの空き地が、真ん中に池がありました。
子供ながらに「なぜこんなところに池が?」と思って祖母に聞いたら、「前は工場だった。爆弾で吹き飛んで穴だけ残った」と言ってました。
他にも防空壕跡だとか、戦死者、戦傷者を出した家族とか、普通にご近所さんでした。

■光太郎さん

お久しぶりです。
戦後20年を経ても空襲の傷跡がたくさん残っていたのですね。
さすがに現代では、爆弾池はほとんど残されていないようで、このように保存されているものは貴重かと思います。

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