「多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」(カエサル)
「自分の正しさを雄弁に主張することのできる知性よりも、自分の愚かさを吟味できる知性のほうが、私は好きだ」 (内田 樹)

考察NIPPONの書斎
このブログを書く上で参考にした本の一覧。現在194冊考察NIPPON-別館明治~昭和初期の貴重な動画を集めるブログ
(考察NIPPONの別館です)

近代日本動画資料室 更新情報

RSS表示パーツ

いま読んでいる本

おすすめの本

















↑この本の関連エントリーリストはこちら





カウンター(試験設置)

TOP > スポンサー広告 > title - 宇佐海軍航空隊跡-1TOP > 特攻・特別攻撃隊 > title - 宇佐海軍航空隊跡-1

スポンサーサイト   

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

宇佐海軍航空隊跡-1   

IMGP2493

航空特攻関係の本を読んでいると、「宇佐空」というのがよく出てきます。大分県宇佐市にあった海軍航空基地で、正式には宇佐海軍航空隊。各地で飛行機の基本操縦訓練を終えた者達が、実際の艦上爆撃機などを使って訓練の総仕上げを行う場所だったようです。

その訓練の厳しさから、「鬼の宇佐空、地獄の宇佐空」とも呼ばれたそうですが、戦況が悪化してからは特攻基地としても使われ、154名の特攻隊員がここから出撃して亡くなっています。


基地自体は戦後なくなりましたが、その基地施設の跡、そして米軍の空襲をうけた跡がたくさん残されていると言うことで、足を運んでみました。

(下記の写真は、すべてクリックで拡大(Picasa WebAlbumへのリンク)します。

宇佐航空隊跡で一番特徴的なのが、10基残されているという掩体壕(えんたいごう)掩体壕とは、 航空機を上空の敵機から隠蔽し、攻撃を防御するための格納庫で、以前にも茨城県鹿島市にある神之池基地跡のものをエントリーで紹介したことがあります

 
宇佐市の城井(じょうい)地区に入ると上の写真のような 掩体壕があちこちに見えてきました。


その内の一つの掩体壕が、宇佐市指定史跡「城井1号掩体壕」として保存され、駐車場、トレイなどが整備されています。




掩体壕の中に見えるプロペラは、国東半島沖から引き揚げられた零戦のエンジン。

 
掩体壕の中に入ることもできます。


掩体壕内部の地面には、よく見ると零戦の実物大シルエットが描かれており、エンジンはちょうど機首の部分に設置されていました。


掩体壕内部にあったノート(見学感想帳)。私も書き込んできました。
2006年には、歌手の一青窈さんの書き込みがあったページが破り取られたというニュースにもなりました。そのニュースでこの戦跡の存在を知ったという人も多いようです。

ここ(宇佐空)から飛び立った特攻隊員154名の名前と出撃日を記した石碑。

 
駐車場脇にあった瓦礫は、宇佐航空隊の滑走路だったものだそうです。
何の説明も書かれていませんでしたが、事前にネットで調べていったおかげで、この瓦礫のことだと分かりました。


滑走路跡。今は市道となっていますが、 道路の両脇に、ここがかつて滑走路であったことを示す下の写真のような無数の石碑が建てられています。




そして、特攻隊を手を振って見送ったとされた場所には上写真のような石碑がありました。

次回も、この近辺の他の戦跡の写真を掲載予定です。

場所はコチラ(青い目印のところ)

大きな地図で見る

宇佐航空隊を描いた本もあるようです。

4769812388 宇佐海軍航空隊始末記―艦上攻撃機、艦上爆撃機メッカの全貌
今戸 公徳
光人社 2005-02

by G-Tools

スポンサーサイト

ブックマークに追加する

コメント

はじめまして。

宇佐空からの特攻隊員は出撃に際して宇佐神宮でお参りしたとか。
武運長久を祈れず、武運だけを祈ったそうですね。
死にに行く者に『長久』は不要だったのでしょう。

松山にも掩体壕が残っています。
今では農家の納屋として平和利用されているw
http://www.geocities.jp/taken373/matsuyama/1front.JPG

コメントありがとうございます

■枠 さんへ

はじめまして。
宇佐神宮も車ですぐのところにあるのですが、掩体壕の前で物思いにふけっていたりしたら、時間がなくなってしまい、行けませんでした・・・。

あと、普通なら「武運長久を祈る」とすべきところを「諸子の武運を祈る」と言ったのは直井司令のようです。城山三郎の「指揮官たちの特攻」P.126にありました。
「長久」を言わぬことに疑問を感じたある大尉に対し、つらそうに「死にに行く者に、何が長久ですか」と答えた、と。
「特攻なんて・・・・。海軍では習わなかった。海軍大学校でも習った覚えがないぞ」

掩体壕は、各地に点々と残っているようですが、宇佐の掩体壕群のように近隣に10個も残っているところはないようですね。

ただ、宇佐の物も史跡として指定されたのは、写真で紹介した一つだけで、あとはみな個人の敷地内にあり、トラクター用車庫となっていたり、ゴミ置き場になったりしていました。

以前に紹介した、茨城県鹿島市にある神之池基地跡の掩体壕も、住友金属の敷地内でした。(一般に開放中)
東京都府中市には鉄工所として利用されている掩体壕もあるようです。

自分は、プロペラがある掩体壕の近所に5年ほど住んでいました。実家は柳ヶ浦にあるんですが。よく、散歩でプロペラを見に行ってました。実家には、時々その時のことを聞きに昔、宇佐空にいた人がやってきてました。実家の芝生は、航空隊跡地から父が子どもの時に持って帰った物です。祖母は、えんたいごう作るのに、土を盛るのを手伝わされたそうですし、その途中で機銃掃射を受けて死んだ人もいたと言ってました。裕福な家には、特攻隊の人が飛び立つ前に泊まりに来て、それを見送るのは本当に辛かったといってました。近くの踏み切りの名前は航空隊踏切ですし年寄りからいろいろな話し。を聞かせてもらいました

はじめまして

■上田さんへ

コメントありがとうございます。

>プロペラがある掩体壕の近所に5年ほど住んでいました

そうでしたか。一面の田んぼと広い空がある場所で、良いところでした。
でも、あの時代は大変だったのですね。元気なのに明日死ぬことが決まっている人とどうやって接したらよいのか・・・見送る方も本当に辛いと思います。

航空隊踏切は場所を間違って憶えてしまっていたせいか、見つけられませんでした。
私は祖父母とも私が幼いうちに他界したので、戦時中の話を直接聞くという経験はありません。身近な人から話を聞けたら、よりリアリティを感じられることでしょうね。

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURL:
http://jseagull.blog69.fc2.com/tb.php/602-7ee8595e

FC2Ad

相続 会社設立

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。