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日中戦争の時代-3 (労働組合が望んだ白米食禁止と格差是正)   

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前回引用紹介した最後の部分は、やはりわかりにくかったと思います。 
 
本の中では後の章詳しく書かれているのですが(というよりそれがこの本のメインテーマのひとつ)、どうやってまとめようかと思案していたところ、他ならぬ著者本人が簡潔にまとめていた文章をネットで見つけましたので抜粋して転載しておきます。


 

この本を準備する過程で、史料をとおして接した労働者、農民、女性たちは戦争の一方的な被害者、犠牲者とはいえないことがわかった。

戦争は、資本家に対する労働者の、地主に対する農民の、男性に対する女性の、相対的な地位の向上(社会的平準化)をもたらすチャンスだった。

軍需生産の拡大が労働者に高賃金を、食糧増産が農民に小作料の減免を、出征による男性の人手不足が女性に社会進出を、それぞれ可能にしたからである

また兵士たちが一方では中国に対する侵略者でありながら、他方では国内「革新」をめざす改革者でもあったことを発見した。

講談社BOOK倶楽部 -「日中戦争から七〇年、国交正常化から三五年 」
井上寿一 学習院大学教授、日本政治外交史


前回、当時の日本は現代とは比べものにならないほどの「格差社会」だったと書きましたが、農民を例にとれば、地主と小作農という、資産を持つ者による持たざるものへの搾取関係が昭和初期においても厳然たる事実として残っていたことが、当時の社会変化を起こす前提としてあります。

資本家の金儲けっぷりについても、あの時代の庶民からは反感を買うことが少なくなかったようですし。 2.26事件も農村と都会の格差への不満が背景にあったと言われることが多いですね。
(「戦前の少年犯罪」では別の見解を示していて、これも興味深いですが)

しかし、この本を読んでいて気づかされたのは、一般的に支那事変が始まってから国民生活の数々の贅沢を制限するような法律やスローガンができていったという国家が国民を抑制していったというイメージは、一面的な見方でしかないということです。

たとえば、盧溝橋事件の2年足らずの後、1939年4月、米が配給制となり(米穀配給統制令法)、同じ年の11月25日には、「白米食禁止令」が公布されたという事実があります。

この話から想像されるのは、長びく日中戦争で食糧も不足して統制品となり、やがて国民は白米を口にすることもできなくなったというような、国家によって国民生活が圧迫されるイメージでしょう。

しかし、この本によれば、白米食禁止令が公布される約4ヶ月前、「日本労働組合会議」から政府関係者に対して白米食禁止令の要望書が出された事実があるといいます。
しかも、著者によれば「当時、食糧事情は必ずしも逼迫してはいなかった」(P.110)とあります

残念ながらそのいきさつについては書かれていないため、その要望書がきっかけで禁止令が出たのか、あるいはもともと検討されていた禁止令に日本労働組合会議が賛意を示したのかはわかりません。

しかし、労働組合がそれを望んだという事実があり、それはなぜかと言えば、目的の一つとして社会格差の是正があったということのようなのです。

そもそも当時白米を日常的に食べられるのは比較的裕福な地位にいる人達であって、もともと白米を口にできない人達にとっては、白米食を禁止されようが自分たちには関係ない話、いや、むしろ不平不満の対象である富裕層の贅沢が制限されるのだから、不満の解消につながった可能性すらあるわけです。

白米食禁止令はひとつの事例でありますが、他にも支那事変が続いている間にも、労働組合は積極的に様々な社会変化を求めて行動していたようです。

このように労働組合が産業別の格差の是正、所得の平準化と労働者の全般的な地位の向上を要求できるようになったのは、戦時下の「挙国一致」のスローガンがあったからである。
日中戦争下の日本」P.110

国民が、政府・政治に大いなる不満を抱いて国内事情が安定しないようでは、戦争遂行もおぼつかない・・・そういうことなのかどうか・・・・・他にも戦時下でありながら、あるいは戦時下だからなのか、日本国内社会情勢は格差是正が進んでいったようです。


次回に続きます。


■関連過去エントリ

日中戦争の時代-1
日中戦争の時代-2

■参考書籍

 

日中戦争下の日本 (講談社選書メチエ)
日中戦争下の日本 (講談社選書メチエ) 井上 寿一

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stars戦中デモクラシー
starsなぜ民衆は戦争を支持したのか?

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コメント

佐藤卓己「言論統制」にも鈴木庫三が満蒙問題の講演で物質的生活水準の降下を力説した話しがありますね。著者はこれを格差是正という言葉ではなく下降的平準化と書いています。戦争により豊かになるのではなく、あえて生活水準を切り詰めて国内の平等を実現し、それによってはじめてアジアの盟主たりうるという逆転の論理ということらしいです。それと日米開戦後は配給の量も減り続けていますし、庶民が格差の是正を実感するまでにはほど遠かった、というのが実態でははなかったかと思います。

■やっしゃんさん

引用した本の著者井上氏も「下方平準化」という表現をしています。

>庶民が格差の是正を実感・・・

その「庶民」という言葉を、戦前、特に昭和初期についてどのように使って良いかどうかはとまどうところですね。すくなくとも現代において使用する「庶民」とは別のイメージを持つ必要があると今は考えています。

>庶民が格差の是正を実感するまでにはほど遠かった、というのが実態では・・・

私の知る限り、少なくとも地主への制約が強化され小作農の地位向上がもたらされた面は否めないと考えています。



>現代において使用する「庶民」とは別のイメージを持つ必要

すいません。勉強不足なもので、、庶民という言葉は当時、別の意味で使われていたということでしょうか?

>少なくとも地主への制約が強化され小作農の地位向上がもたらされた面は…

なるほど、自分がまだ知らな国家改造がいろいろとあったようですね。それと配給と書きましたがこれ日中戦争より後のことでしたね。失礼しました。

■やっしゃんさん

>庶民という言葉は当時、別の意味で使われて・・・

いえ、現在よりもはるかに激しい格差社会だったので、特に生活事情などを一概に語るのは難しそう、という単なる私の感想です。
その階層によって社会事情を受け止める感覚は様々ではないだろうか?と言うことで。

すべてに当てはまることですが、人は一部の事例を一般化して考えてしまいがちなので、注意しなければと言う自戒です。

経済成長

日本は、朝鮮戦争によって戦後復興を果し、ベトナム戦争によって高度成長を遂げました.(その次の経済成長はバブルでした)
だからといって、戦争には良い側面もあったというのですか?
広島では、路面電車の運転手が兵隊に取られ、運転手の不足を補うために、15歳位の年齢の女の子を洋裁学校に通いながら、電車の運転手を行わせる方策をとりました.
彼女たちに言わせれば、『お金をもらえて(わずかでしょうが)、勉強ができて、電車の運転は楽しかった』そうです.当然ながら、彼女たちの仲間は原爆の犠牲になり、戦後、兵士が復員してきて、彼女たちは職を解かれました.この事実によって、戦争は男女平等のチャンスだったと言えるのでしょうか?
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>軍需生産の拡大が労働者に高賃金を、
戦争を末期には、学徒動員の子供たちが、軍需産業の生産に当っていました.書かれていることが(その観点が)、あまりにも馬鹿らしく、腹立たしく思われてなりません.

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