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斉藤隆夫議員「反軍演説」を読む-1   

今回から斉藤隆夫「反軍演説」の内容を抜粋して引用紹介しつつ、私見を書いていきたいと思います。

1940年2月2日の斉藤隆夫民政党議員の反軍演説については、ネットでもその全文を読むことができます。
一番良いのは、国立国会図書館の「反軍演説」のページでしょう。議事の速記録、議事録から削除された演説の部分などが掲載されています。
ただ、議事録などの現物が画像で掲載されているため、読みづらいという難があります。

他にも演説全文を転載しているサイトがいくつかありますが、こちらのサイトが一番読みやすいかと思います。


このあと複数回にわたって、この演説全文の中から抜粋して引用紹介していく予定ですが、引用の仕方によっては印象が変わってくることをご存じの方からは、「都合のいいトリミングではないか?」という疑問を持たれるかも知れませんので、その場合はぜひ全文をご参照下さい。

私もトリミングによる印象操作をするつもりは毛頭ありませんが、私の中のバイアスによって、自分でも気づかぬうちに都合の良い引用をしてしまう可能性もありますし。

もちろん同じ全文を読んでも、人によって解釈が異なるのはごく自然なことですので、私の解釈が正しいと頑なに主張するつもりもありません。

なお、昔の文書ゆえ難読漢字が多くなっていますので、私の方でルビをつけることにしました。
ルビはHTMLの<RUBY>タグを使用しますので(なんのこっちゃ?という方は読み飛ばして下さい^^;)、お使いのブラウザによって表示が変わると思います。(IEならば漢字にルビがふられた状態で表示されると思います。)
また、読みやすさを考慮して、適宜改行も追加していきます。


前置きが長くなりました・・・。


■演説冒頭部分

 

・・・支那事変の処理、之に付て私の卑見(ひけん)を述べつつ、主として総理大臣の御意見を求めて見たいのであります。

支那事変の処理は申すまでもなく非常に重大なる問題であります、今日我国の政治問題として(これ)以上重大なる所の問題はない、のみならず今日の内外政治は何れも支那事変を中心として、()の周囲に動いて居るのである、それ故に吾々は申すに及ばず、全国民の聴かんとする所も(もと)より(ここ)にあるのであります
  • 一体支那事変はどうなるものであるか、
  • 何時済むのであるか、
  • 何時まで続くものであるか、
  • 政府は支那事変を処理すると声明して居るが、如何(いか)に之を処理せんとするのであるか
国民は聴かんと欲して聴くことが出来ず、此の議会を通じて聴くことが出来得ると期待せない者は恐らくー人もないであろうと思う、(さき)に近衛内閣は事変を起しながら()の結末を見ずして退却をした、平沼内閣は御承知の通りである、

阿部内閣に至って初めて事変処理の為に邁進(まいしん)するとは声明したものの、国民の前には事変処理の片鱗をも示さずして総辞職してしまった、現内閣に至って初めて此の問題をこの議会を通して国民の前に(さら)け出す所の機会に到来したのであります、


まず、日本国民の声を代弁して、この支那事変(日中戦争)に対する疑問を明確にしています。

支那事変は、1937年7月7日、近衛内閣の時に始まりました。近衛内閣のあと平沼騏一郎内閣(1939.1.5~1939.8.30)、阿部信行内閣(1939.8.30~1940.1.16)と短命内閣が続き、米内内閣(1940.1.16成立)となってやっとこの疑問をぶつける機会がやってきたということでしょうか。

(ここ)(おい)て私は総理大臣に向って極めて率直に御尋(おたずね)をするのである、支那事変を処理すると言わるるのであるが、

    * 其の処理せらるる範囲は如何なるものであるか
    * 其の内容は如何なるものであるか

私が聴かんとする所は(ここ)に在るのであります、

ここで、この演説、すなわち米内内閣への質問を明示しています。 米内内閣は支那事変をどのように処理するつもりかを問いただしたい、というのが、この演説の本旨かと思われます。


■斉藤隆夫議員の支那事変への認識

私の見る所を直言致しまするならば、元来今回の事変に付きましては、当初支那側は申すに及ばず、我が日本に於きましても(たしか)に見込違いがあったに相違ないのであります

即ち我国より見まするならば、其の初めは所謂(いわゆる)現地解決、事変不拡大の方針を立てられたのでありまするが、其の方針は支那側の挑戦行為に依って立どころに裏切られ其後(そのご)事変は日に月に拡大し、躍進に躍進を重ねて遂に今日の現状を見るに至ったのであります、支那側の見込違い、是は言うを要しないのであります、

盧溝橋事件以降の事変拡大は、支那(中国)側も日本側も見込み違いがあったに違いない、日本は現地解決、事変不拡大方針を出したが、支那側の挑発行為によって裏切られた、という認識のようです。

支那側の挑発行為とは、「廊坊事件(7月25日)」や「広安門事件(7月27日)」、「大山大尉事件(8月9日)」など第二次上海事変がらみのことを指しているのでしょうか?

この時期、他に「通州事件(7月29日)」というのもありましたが、これは事件を起こしたのが冀東防共自治政府といういわば日本の傀儡政権の保安隊によるものなので、他の事件とはちょっと異なるかと思います。


即ち()(たび)の事変は支那が日本に対する所の認識不足、又日本が支那に対する所の認識不足、此の二つの原因に()って始められ、又是が深められたものに相違ない、

 (しか)しながら(ひるがえ)って考えて見ますると、仮令(けりょう)此の認識不足なしと(いえど)も、日支両国の間に於きましては早晩一大事変か起こらざるを得ない其の禍根が、何れの所にか隠れて居った、其の機運が熟して居った、それが彼の北支の一角蘆溝橋に於ける支那側の不法射撃、此の事実に触れて外部に爆発したに過ぎないのでありまして、(これ)は仕方がない、所謂(いわゆる)運命であります

両国間に(わだかま)る所の運命でありますから、是は仕方がない、 (しか)しながらその後事変は益々進展して、彼我の勢力並に勝敗の決も明になりました以上は、(なる)べく(すみやか)に此の事変を収拾する、そうして出来るならば再び(かく)(ごと)き事変が起らないように、日支両国の間に横わる一切の禍根を斐除して、以て和平克復(こくふく)を促進することは(ひと)り日本の政治家の責任であるのみならず、実に支那の政治家の責任であると私は思うのであります


事変のきっかけについてはある意味「運命」でもあるのだからしかたがない、と斉藤議員は言っています。
(斉藤議員の認識でも、支那事変については「侵略」ではなかったか?)

当時は盧溝橋事件以前にも日中が衝突する事件が相次いでおり、一触即発の状態だったようです。
「支那駐屯軍は義和団事件の議定書で決められた権利ではあったが、(事件当日の夜間演習は)ガスの充満した場所でマッチを擦るようなものだと批判されてもやむをえないだろう」と秦郁彦氏は「統帥権と帝国陸海軍の時代」(P.102)で書いていました。

しかし日中の軍事力の差も勝敗もすでに明らかなのだから、なるべく早く事変を解決し、このようなことがもう起こらないように和平促進をすることが、日中双方の政治家の責任である、というのが斉藤議員の主張のようです。

この事変はもう決着がついているのだから早く事態を収拾し和平に持ち込め、というふうにも読めますね。


以降、次回に続きます。

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コメント

こんにちわ。
こちらのブログの記事に刺激を受けて色々調べてみたところ、反軍演説に関する論文を2,3本見つけたのですが、webでも読めて、なおかつ管理人様の疑問に答えられそうなものがあったのでお知らせしておきます。もし既読だったらごめんなさい、ということで。
http://hdl.handle.net/2324/8566

■tukinohaさん

興味深い論文のご紹介ありがとうございました。未読でしたが先ほど読み終わりました。

実はここ最近、このエントリーの続きも書かずに(汗)、本文中でもリンクした下記サイトの斉藤隆夫議員の論説・演説集に一通り目を通していました。
http://blechmusik.xrea.jp/d/saito/

これらを読むことによって、斉藤議員の戦争観や政治思想を把握しつつあったところだったので、ご紹介いただいた論文もある程度理解でき、また納得できるものでした。

「反軍演説」というのはやはり斉藤演説の本質から離れて一人歩きしている言葉だという思いを強くしました。

こうしてみると「斉藤議員の反軍演説」というのは、言論統制の時代、政府に向かって支那事変への疑問(しかもトリミングのせいか趣旨が正確に伝わっていない)を堂々とぶつけて除名され、翼賛選挙の中でも当選したという、戦前否定論・反体制論者にとってのヒーロー的存在(表面的に)であるという意味以上のものは無さそうですね。
「反軍演説」として賞賛する人たちが斉藤議員の戦争観を知ればひっくり返ってしまいそう・・・(苦笑)。
そもそも誰が「反軍演説」と命名したのでしょうね?

余談ですが、前回引用した井上寿一氏の「天羽声明と中国政策」という論文もネットで読めます。(PDF)
http://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/rs/bitstream/10086/12703/1/ronso0970500750.pdf

最近読んだのですが、興味深かったのでご紹介まで。
(既読でしたら失礼、ということで)

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