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外務省極秘文書「日本外交の過誤」-(9)結論   

転載を続けてきた外務省文書「日本外交の過誤」ですが、今回転載するのが本編の最後、「結論」部分となります。
外交技術についての教訓とも云える部分なので、歴史認識という視点から見ると抽象的な箇所も多いのですが、いろいろと考えさせられるところの多い「結論」となっていると思います。


(文中に*印を付けた箇所は、最後の方で私のコメントや補足を附しています。 )

 

何事によらず後から批判することは、やさしい。

既往を反省し、そこから将来に対する教訓を汲みとって、初めて批判の意味もある。
(*1)

このような見地から、外交の事に当たる者が常に反省しなければならないところとして、次の諸点をあげることができよう。

(イ)
第一に挙げるべきことは、当然のことではあるが、すべて根本が大切であるということである。
外交は、単なる技術ではない、内政を離れて外交を考えることはできない。経世家としての気構えを必要とするゆえんである。

条約等の字句については、細心の注意を払うことは当然必要であるが、それだけにとらわれて、政治的な意義、影響というような根本のことを忘れてはならない。

対華政策の根本が改められない限り、本省や現地の事務当局がいかに努力して見ても、外交的には無に等しい。

軍というものが存在していた以上、当時としては、それ以上のことはできなかったにしても、根本に誤りがある場合には、枝葉末節の苦心は、単なる自慰に終わる外ない。


(ロ)
第二に、常に物事を現実的に考えなければならないということである。これは、いろいろの意味で考えられよう。まず、感情におぼれてはいけないということも、その一つである。

当時の日本の指導勢力は、数百年にわたるアングロ・サクソンの世界支配体制の覆滅というような夢を抱いていた。ドイツと結んでこれを実現すべき千載の好機を逸してはならないと考えた。

これは、人種的な偏見とか、持たざる国の立場とかからして、感情的にはうなづ(ママ)けるところのものをもっていた。

しかし、夢を追うて現実を忘れ、理性を失ったために誇大妄想に陥ってしまった。情勢判断の目は、希望的思考でくもらされた。

又、フレクシビリティということが大切であるという意味にも考えられよう。ソ連を日独伊三国側に抱き込むという夢が独ソ開戦によって破れた以上、これを前提とした外交政策は、一切御破算とすべきであった。

日独伊三国条約を御破算にしていたら、日米交渉にも本気にかかれたであろう。 (*2)

しかし、満洲事変以来の日本外交は、動脈硬化症にかかっていた。行懸りにこだわることの禁物なゆえんである。

もっともこのことは、国家としての言動の一貫性を無用とするわけではない。国際社会の通念として認られている程度の道議性は、国際信用をかちうる上に絶対必要なものである。

国際連盟その他で言明したことがその後事実の上で覆されたことがいかに日本の対外信用を傷つけたかを思い出す。

さらに、現実的ということは、形式主義を排するという意味にも考えられよう。何でもすぐ議定書や条約の形にし、宣言を出したがった傾きがある。

前に挙げたいろいろな条約を締結して、目先の利益だけでも日本にもたらしたものがあっただろうか。ただ、われとわが手をしばる結果におちいっただけではないか。

一体、政治的な意味合いの条約などは、それ自身としては余り意味のないものである。客観情勢が変わってしまえば、少なくとも実質上、一片の反故にされる。程度の差こそあれ、これは、何もソ連を相手とする条約に限ったことではない。

米英仏などには、ディーセントなところがあるが、結局それだけのことである。日ソ中立条約などは、いよいよとなったら、ソ連の方から真剣に提議してきたであろう。北樺太の買収位は、お土産につけたかも知れない。よい意味の実利主義をとるべきゆえんである。

実利主義と言うことから言えば、戦争をすることは、いつの場合でも損になるに決っている。少なくとも、現代においてはそうである。まして、国力不相応の戦争を自らはじめるにおいてをやだ。

およそ重要な政策を決定するについては、何等かのチャンスをとるということは附きものであろう。チャンスをとる勇気がなかったら、外交上でも、本当の成功はつかめないともいえよう。

しかし、そのチャンスはあくまで現実的に合理性のあるチャンスでなければならない。かりに、あの際日本が隠忍自重して、戦争に入っていなかったと仮定したら、どうだろうか。

戦争を前提とするからこそ、石油も足りない、屑鉄も足りない、ジリ貧だということになる。戦争さえしなければ、生きていくに不足はなかったはずである。 (*3)

又、米国は、早晩欧州戦争に介入すべき運命にあったとすれば、その後だったら、日米交渉もできたかも知れない(もっとも、それも、日本が戦争は絶対しないという建前で行っての話であるが)。

この点については、そうしていたら、日本は、戦争終了後において国際的な孤立に陥り、ひどい目にあったであろうという論もありうるだろう。

しかし、スペインの如きは、現に米英側からだんだん接近して行っている。(*4) ソ連という国際関係におけるパブリック・エネミー・ナンバー・ワンが現れたからである。日本の場合にも、そうなりえなかったという理由はない。 いずれにせよ、この方のチャンスがより合理的であったことは確かである。

外交については、よく見透しのきくことの重要性が指摘される。しかし、実際問題として、そう先々のことまで一々具体的に見透せるものではなかろう。要は、現実を現実的に把握し、これによって身の処し方を決めるということが、結果において見透しがよかったということになるのであろう。

物事を現実的、具体的に考えれば、米英の経済力、国力も正当に評価しえたであろう。そうすれば、独伊と結んで日本独自の経済圏を作り出そうというようなことは、現実性のない夢に過ぎないことも、明らかだったはずである。


(ハ)
いたずらに焦ることも禁物であるが、機会をつかむには敏でなければならない。太平洋戦争前に外交的転換をとげる機会を逸し、ソ連の参戦前に終戦の機会を逸したことなどは、反対の例である。

外交的に一大転換をしなければならない、できるだけ早く終戦に持っていかなければならないと常に念じていたとしたら、もっとこれらの機会を政治的に利用する道があったはずである。もっとも、これは、分かっていてやり切れなかったのかも知れない。


(ニ)
そこで最後に、決断力と実行力の重要性ということになる。行懸りにとらわれていたら、見切りをつけるべきところで見切りをつけそこなう。そして、ますます深みに入っていく。満洲事変以来の日本の行き方がそうであり、又、外務省の身の処し方がやはりそうだった。

当時の日本においては、軍の権力が圧倒的に強かったという特異の事情があったことは認めなければならない。しかし、それも程度の問題で、それだけでは、すまされない。 (*5)

一国の外交の衝に当たる者には、常に果断と真の勇気の必要なことは、いつの世でも同じであろう。世間的には不景気で評判の悪いようなことでも、あえて責をとって行う気がいの必要なことは、日露の講和の例にも明かである。

外務大臣がやめる腹さえ決めたら、もっと何とかなっただろう。少なくとも一時的にもせよ事態の進行を喰い止めえたであろうと思われる場合が少なくない。

それでも結局は大勢を如何ともできなかったであろうということは、当事者の弁解として成立たない。

当時の内閣制度の下においては、一人の大臣ががんばれば、内閣の総辞職を余儀なくせしめることができたのである。重大事に当たっては、何でも穏便におさめるという必要はない。


*1
至極当然のことなのですが、このことを弁えずに過去の歴史の批判しかしない人を見ると悲しくなりますね。

*2
戦後の外務省の調書としても、やはり日独伊三国同盟が日米交渉の大きな阻害要因と認識しているようです。
ただ、「ハル回顧録」などを読んでいると、日米交渉の当初からどれほど本気で交渉する気があったか疑問を感じますし、自分たちにはなんら非がないというようなアメリカの姿勢も見えてきて、三国同盟解消だけで日米交渉が進むとも思えません。それに、一度は妥協する方向に揺れたときも中国などが強硬に反発してきたようですし・・・。

*3
「戦争を前提とするからこそ」というのは支那事変のことでしょう。支那事変完遂が当面の目標だったわけですし。
しかし「戦争さえしなければ、生きていくに不足はなかったはず」という指摘は重い・・・。支那事変に疑問を感じる日本人は当時でも少なくなかったようですから。

*4
なぜスペインと比較されているのか・・・。
当時のスペインは、ドイツのヒトラー、イタリアのムッソリーニから支援を受ける独裁政権でしたが、第二次大戦ではヒトラーから要請されても参戦もしなければ枢軸国に加わることもしませんでした。
日本やドイツのように敗戦しなかったおかげで戦後もスペインはファシズム国家として生き残り、国連から排除決議を受け(1946)国際的に孤立しながらも、徐々に民主主義に移行、東西冷戦時代の中で連合国側もスペインに歩み寄りを見せていき、1950年にはアメリカは経済援助を行うまでに関係を修復しています。

スペインのように、敗戦を経なくてもファシズム国家から生まれ変われた例があるのですから、「日本再生のためにあの戦争は仕方なかった」論も説得力が薄いし、安易な結論は、歴史を鑑とする機会を奪いますね。

*5
あの戦争は、軍が悪い、A級戦犯が悪い、天皇が悪いなどと決めつけている人も、歴史から学ぶ姿勢としては難ありと考えます。この文書でも、安易に軍批判に走ることなく、外交としてどうすべきであったかを検証していることは、一連の文章を見て頂けた方にはおわかりいただけるでしょう。
日米開戦は、外交の結果です。盧溝橋事件に端を発する支那事変(日中戦争)も、偶発的事件がきっかけというよりは、それまでの日本の対中外交政策(北支分治政策)とそれに反発する中国の過激なナショナリズムという構図が原因といっていいでしょう。いずれも、「外交」が先にあるのですから、その過誤を見つめ直さないことには国家として未熟なままとなるでしょう。


■参考書籍

吉田茂の自問―敗戦、そして報告書「日本外交の過誤」
吉田茂の自問―敗戦、そして報告書「日本外交の過誤」 小倉 和夫

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