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外務省極秘文書「日本外交の過誤」-(7)日米交渉   

今回転載するのは、日米開戦に至る最後の外交「日米交渉」の部分です。

日本が「外交」というものに対して臨む姿勢の問題点が顕著に表れたのが、この交渉だったのかも知れません。
満洲事変の際に、すでに「言うこととやることが矛盾する信用ならない国家」というレッテルが貼られた日本でしたが、それを回復しようとする努力をすることもないままに崖っぷちに追い込まれ、それでもなお、外交を甘く見ていたとの誹りは免れないような交渉をしようとしていたようです。


日米交渉は、昭和十六年の初めごろから、岩畔(陸軍大佐)、井川とドラフト(ママ)、ウォルシュの両牧師(ママ)等を中心とする私的会談に端を発した。

そして、ようやく四月十六日に至り、ハル国務長官から右会談の成果たる七項目よりなる一試案を野村大使に示し、これを基礎として非公式討議を開始したい旨申し入れて来た。

もともと、松岡外相は、一月二十二日、野村大使の赴任に際して訓令を与え、三国同盟及び大東亜共栄圏樹立の規定方針を基調として日米両国間の国交調整を行うよう命じている。


従って、日米の国交調整を行うことが、時の政府の初めから意図していたところであったことは、明かである。

日米交渉なるものは、当初から決裂にいたる半歳余の折衝において、双方の主張が根本的に何等かの歩み寄りを示さなかった点において特徴的であった。

日本の方には、(イ)三国条約の解釈、(ロ)在支日本軍駐留問題、(ハ)通商上の無差別原則の根本的な三問題について、実質的な(ママ)譲歩する腹は毛頭なかったし、米国の態度もインフレクシブルで、数個の原則を固執するに終始した。

今日からすれば、あの際日本は難きを忍んで譲歩すべきであったという論もできるであろう。

右の三問題の如きは、日米交渉を本当に成立させる気であったら当然先方の主張を容れる覚悟でかかるべきであった。

又、日本国内の情勢を離れて考えれば、これらの点で譲歩しても、交渉を成立させた方が有利であったことは、いうまでもない。

近衛首相は、ロウズヴェルトとの会談を実現し、何とか交渉を成立せしめたいというところから、米国側のいわゆる国際関係に関する四原則(領土保全と主権の尊重、内政不干渉、通商上の機会均等、平和的手段以外による太平洋の現状不変更)を一たびは無条件に承認するところまで行ったが、これも後から日本側で制限をつけたりした。

そこで、一体、あの際日米交渉を開始することがアドバイザブルであったかどうか、ということが問題になる。

当時は、支那事変に関連する日米間の懸案が山積していたが、まず、これらの懸案を少しづつ(ママ)でも解決して行って、交渉に少しでも有利なふんい気をじょう成するに努むべきではなかったか。

又、米国が満洲事変以来反対し続けてきた東亜の事態を大体そのままう呑みにさせることになるような条件で交渉を成立させようというのは、あまりに甘い考え方で、本当に交渉を成立させるつもりであったら、相当実質的な譲歩もする用意がなければならないはずであった。

この点について、まず国内を固めてから、交渉に乗り出すべきではなかったろうか。

もう一歩付紺でいえば、そこまでの用意ができなければ、むしろ全然交渉を試みない方がよかったということにもなるであろう。

一般の情勢が険悪であり、当事者間の関係も極度に緊張していたあの際のことであるから、交渉が不調に終われば、どうしても戦争ということになることは、ほぼ確実に見透しえたはずである。

このような場合の、いわば戦争を回避するための国交調整交渉は、できない場合は戦争することを前提として行われることになるから、ますます成立が困難になる。

前述の通り、日本は、日米交渉の最中の昭和十六年七月、南部仏印に進駐した。これは、戦争を前提とする限り、必要な措置であったかも知れない。しかし、日米交渉の運命に対しては致命的な打撃となった。

これに対抗して米国が諸般の対日圧迫措置をとったことは、当然であるが、これで日米交渉に対する日本の誠意を疑わしめることとなったことも大きい。

日本は、米国が欧州戦争で英仏を積極的に援助した関係上、東亜において事を構えることを避けようとするであろうというところに掛けて、日米交渉に乗り出した。

ところが、、戦後発表された種々の資料によっても、当時米国の当局者は、さらに積極的に対独戦に介入したがっていたのであって、日本の真珠湾攻撃は、むしろ彼らをほっとさせたのである。

当時の米国当局者の交渉にのぞんだ態度についても、戦後米国内で、交渉を成立せしむべきであったという見地から批判する者もあるが、しかし、米国の当局者が賢明であったかどうかは別として、日本側としては、こういう米国側の立場なり腹なりは、やはりそれとして計算に入れて置かなければならなかったはずである

なお、当時の英国も対日強硬態度を主張した。米国の態度が一時ぐらついた十一月、チャーチル首相は、ロウズヴェルト大統領に親書を送り、蒋介石を見殺しにしてはいけない、日本人は当てにならないという趣旨のことを申し送っている。

米国のみならず対独戦で弱り切っているはずの英国までも、想像以上に強腰だったわけである。




■補足・私見

今回も補足として著者の小倉和夫氏の見解を引用します。まず、日本外交の稚拙さから。

根本的なことは、一方で戦争を回避しようとしながら、仏印進駐の例に見られるように、戦争になった場合の手あてをしておくための措置をしておくというやり方が米側を硬化させ、交渉をますます困難にしたからである。
(略)
それは「作戦」としては当然であったが、戦争すれば敗北必死と分かっている場合のやり方としては致命的であった。「調書」は正にこの点を指摘する。

『このような場合の、いわば戦争を回避するための国交調整交渉は、できない場合は戦争することを前提として行われることになるから、ますます成立が困難になる』

認識不足と読み違いは、交渉を困難にし、結局自らの首をしめることになったのである。

吉田茂の自問―敗戦、そして報告書「日本外交の過誤」』P.178


もうひとつ、この時期の日本の進路に重大な影響を与えた松岡洋右の対米認識と目論見には注目しておくべきでしょう。

ここで一つの疑問は、松岡洋右の対米認識である。
米国で苦学し、米国人の気質も知っていたはずの松岡が、日米交渉の拙劣なやり方になぜストップをかけなかったのか、という点である。

一つには、もともと日米交渉は、松岡が欧州、ソ連訪問中に、松岡に連絡なく始められ松岡がそれを根に持っていたこともあろう。

しかし、より重要な要因は、松岡のもっていた対米交渉観、すなわち、アメリカも交渉に乗ってくるはずである、との読みであった。

松岡は、つとに、一九四一年二月、ワシントンへの赴任途次の野村大使に対して、対米交渉に関連して自分の考えを打電した。その中で松岡は、米国の二つの理由から日本と全面戦争を行うことを(長期的には)無駄と考え、交渉のテーブルにつき、妥協の道を探ろうとするであろうとしている。

『二つの理由のうちの一つは、日本という国の底力である。

仮に日本を屈服せしめ、第一次大戦後ドイツに課せられたヴェルサイユ条約の如き過酷な条件を日本に課したとしても、日本は、おそらく三十年以内に第一次大戦後のドイツよりも早く驚異的な復興をとげるであろうからである。

第二に、日本が米国によって敗退すると、必ずソ連が全中国を赤化し、アジアの大半を赤化するであろうが、米国はかかる事態を好まないであろう、という二点である』

松岡の、この驚くべき先見性は注目に値する。

ただ松岡は、肝腎な一点において、米国の態度を読み違えた。

それは、米国が、松岡のような先見性をもち、冷静な計算をしてみるような国ではなかったことである。米国にとって、日本は、信条が違い、民族と文化を異にする「異国」であった。そのことは、排日移民法や戦時中の日経米国人の扱いに明白に表れているところである。

米国の持つ、この執念にも似た信条、相当な偏見を含んだ対日観--それら全てが米国を意固地にさせていることについての読みが浅かったと云える。

吉田茂の自問―敗戦、そして報告書「日本外交の過誤」』P.179

 

かなり長くなってしまいました・・・スミマセン。

開戦前の日米交渉については、数多くの研究や書物(トンデモ本も含めて)がでていますが、「あの時日本はどうするべきだったのか、なにが拙かったのか」については、あまり語られていないような気がします。
(おそらく私が知らないだけ、という可能性が高そうですが)

歴史を鑑とするためには、「誰が悪いのか」という視点よりは、「どうするべきだったか」「なぜ判断を誤ったか」という視点で書かれたこの調書は、絶対的に正しいとは云えなくても、外交に携わる人達は参考にすべきでしょうね。


次回は、『外務省極秘文書「日本外交の過誤」-(8)終戦交渉』です。

戦争は始めるときより終わらせることの方がはるかに難しいと思うのですが、その終戦外交でも日本のとった行動は不可思議な点が多々ありますが、その点について分析した調書です。


■参考書籍

吉田茂の自問―敗戦、そして報告書「日本外交の過誤」
吉田茂の自問―敗戦、そして報告書「日本外交の過誤」 小倉 和夫

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