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外務省極秘文書「日本外交の過誤」-(3) 支那事変   

今回は支那事変の章を転載します。
少々難しい漢字や、人によっては見慣れない言葉もでてきますので、ふりがなを追加していきます。
また、せっかくWEB上に転載するので、難しい言葉については適当な説明のあるサイトにリンクを貼っておきます。


昭和十年頃から、昭和十二年七月七日の蘆溝橋事件(ママ)が支那事変と拡大するに至るまで、有吉、川越大使の中国側との国交調整交渉が行われた。

しかし、満洲事変に成功した関東軍の強硬派が中心となって、梅津何応欽(うめず・かおうきん)協定、土肥原秦徳純(とひはら・しんとくじゅん)協定の如きが結ばれこうした背景の下に冀東(きとう)防共自治政府(※1)、冀察(きさつ)政務委員会(※2)、内蒙古自治政府が樹立されたような情勢の下においては、国交調整というようなことは、所詮おこなわれ難いことであった。

昭和十一年の二二六事件の後成立した広田内閣は、陸軍の華北五省分治工作を抑制しようとはしないで、国境調整を行わんとしたが、それではだめなことは、当然であった。

当時、満洲と華北の通車通郵等の実現せられた気運に乗じ、分治工作を抑制してかかったならば、当時の国民政府内の情勢から見ても、満州国問題は黙過の形において、国交を調整することも相当可能性があったと思われる。昭和十一年末の西安事件の後にも、その可能性はあっただろう。

しかし、満洲で打切りにして両国の国交を調整するというこの可能性は、結局まじめに追求されないままで、支那事変に突入した。

蘆溝橋事件(ママ)に際して、内地師団派遣の問題があった。それまでの軍のやり方にかんがみれば、事変の拡大を避けるつもりであったならば、派兵には絶対反対すべきであった。

現に当時外務省の事務当局は、広田外相にその旨を進言したが、外相は閣議においてあっさりこれに同意し、兵力は不要になったら、いつでも引揚げるということだったからと弁明したといわれる。事実とすれば、事変拡大阻止の誠意を疑われる程の表面な責任回避であったという外ない。

この事変の処理については、その方策として、何度も「要綱」とか「方針」とかが決められ、又、臨時政府とか維新政府とか南京政府とかが樹立されたが、いずれも事変処理を実質的に前進せしめるに至らなかった。

それは、結局事変が拡大し、長びくにつれて、日本側の条件が実質的に苛酷となり、折角樹てられた政府もいわゆるかいらい政府以上のものとして扱われなかったからである。

昭和十七年十二月、すなわち太平洋戦争も大分旗色が怪しくなってから行われたいわゆる対華新政策(※3)なるものは、政治的効果を持ちうるには、時すでに遅かった。あれだけのことを太平洋戦争前にでもやっていたら、情勢は大分変わっていたかも知れない。

又、前にも述べた昭和十三年十二月二十二日の近衛声明は、蒋政権との和平工作に終止符を打ち、新政権を盛り立てて行く腹を決めるつもりでなされたものであるが、実際には、いわゆる全面和平のための重慶工作は、それが、先方まで通じたかどうかは別として、ほとんど終戦直前まで、いろいろの方面で行われた

大体、軍が中国の本土から撤収する腹を決めない以上、初めからできないことのわかり切った話で、政府の当局者が藁をもつかむ思いでいわゆる和平工作屋に乗せらりたりしたのは、貧すれば鈍するの類と評する外ない。

要するに、日本の中国に対する施策は、表向きはともかく、その実質において、名文の立たないものであった。ために中国民の反感も買えば、諸外国からの非難も受けた。そのやり方も、調子の良いときは調子に乗り過ぎ、止まるべきところで止まることを知らず、一旦調子が悪くなると単なる悪あがきに終わった。

紙の上では美辞麗句を並べた作文が会議を重ねて練られたが、実行に移され効果を挙げた政策という程のものは何もなかった。

外務当局は、実質的には、占領地行政を少しでも穏やかなものにするために、又、軍の尻ぬぐいをするために、限られた範囲で努力するというに止まった。

従って、努力したわりに、実効はなかった。


※1 冀東防共自治政府 河北省及び東部内蒙古地区に日本軍が作ろうとしていた自治政府。 

※2 冀察政務委員会 河北、チャハル両省の自治政府樹立をてこ入れするための組織。
※3 河北五省 通常、満洲に隣接する中国北部の五省で、当時の名称を用いれば、山東、山西、河北、垂涎、チャハル(察哈爾)の五省で、ほぼ今日の内蒙古地区及び山東、山西、河北省にあたる。
※4 いわゆる対華新政策 重慶の蒋介石政権と和平を実現するために思い切った対中政策の転換を決定したもので、「大東亜戦争完遂のための支那事変処理根本方針」と正式には呼ばれているものを指す。
       

■補足・私見

日本と中国の戦争について、十五年戦争という表現がされることがありますが、満洲事変、第一次上海事変以後、数年間ですが平和な期間があったようです。

転載文中にある「当時、満洲と華北の通車通郵等の実現せられた気運」というのはそのことを著していると思われます。
「通車」は1933年7月の中国・北平(現在の北京)~満洲・奉天(現在の瀋陽)で列車乗り入れが実現したこと、「通郵」とは、1935年10月の中国・満洲国間の郵便取り扱いが始まったことをいいます。

他にも、1934年12月には関税開設、1935年10月には中国実業団の訪日、1937年3月には日本実業団の訪中など、むしろ日中親善の雰囲気さえあり、表だった軍事行動もありませんでした。

ただ、その裏では日本軍の謀略的な動きもあって、事件を口実に日本の影響力が及ぶ範囲を広げ(梅津・何応欽、土肥原・秦徳純協定)、あるいは冀東防共自治政府、冀察政務委員会(*)など、蒋介石よりは日本のいうことを聞く勢力を利用する動きがありました。これが「華北五省分治政策(北支分治政策)」の流れです。そして、それが中国の反感を買い、再び反日・排日活動が高まっていき、盧溝橋事件・第二次上海事変以降、全面衝突となりました。

*冀東、冀察の「冀」は、河北省の別名で、冀察の「察」は察哈爾(チャハル)の「察」です。

北支分治政策は、蒋介石側から見たら紛れもない日本の侵略行為とうつったでしょう。ですからこの状態を改めれば国交調整の可能性は高かったはず、しかしそうしなかったら、交渉などまとまるはずもないというのがこの調書の指摘ですが、もっともだと思います。


なお、盧溝橋事件や第二次上海事変は、それまでの日中の衝突と違って日本側の謀略の形跡はみられないようで、むしろ、中国側による挑発から、事件後間もない頃から蒋介石が国家存亡にあたっての日本との消耗戦を目論んでいたことから、日本はむしろ戦争に巻き込まれた感さえします。

もちろん、そのような状況になってしまったのは、それまでの日本の行為にも原因があるわけですが、盧溝橋以降の戦闘は日本側から見れば「侵略戦争」とは言い切れない気もします。日本の侵略行為はむしろ、満洲事変・塘沽協定(タンクー協定)以降の、北支分治政策という、政治的活動の方と言えるかと思います。


次回は、『外務省極秘文書「日本外交の過誤」-(4)日独伊三国条約締結』です。


■参考書籍
吉田茂の自問―敗戦、そして報告書「日本外交の過誤」
吉田茂の自問―敗戦、そして報告書「日本外交の過誤」 小倉 和夫

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