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外務省極秘文書「日本外交の過誤」-(1) 満州事変、国際連盟脱退   

先日から紹介している、『吉田茂の自問―敗戦、そして報告書「日本外交の過誤」』という本ですが、Amazonにある商品説明によると、2003公開された外務省極秘文書「日本外交の過誤」の全文が収録されているようです。
先日、「抜粋かも知れない」と書きましたが訂正します。

今回は、満州事変、国際連盟脱退についての章です。満州問題は大変にややこしいものがあるのですが、背景を知っていないと、ちょっと難しいかも知れません・・・。

満州事変(昭和6年9月18日)の根本原因は、事変前における日本国内の情勢にあった。

深刻な経済不況からして社会不安がびまんしていたにもかかわらず、政党は腐敗堕落していた。この政治の貧困から政党政治に対する不信が生じ、国家革新を唱える一部の勢力に政治進出の機会を与えた。

外部的な原因としては、第一次大戦当時の二十一ヵ条問題以来の中国人一般の排日気運とこれを背景とする張学良の排日方針があった。

こうして、満州事変には、そのよって来るところ遠く、且つ深いものがあったのであるが、さればといって、当時の日本としては、武力進出策に出る以外に生きる道がなかったかといえば、そう断定するだけの根拠はない。

むしろ、国内的、特に政治的な要因をしばらく度外視して考えれば、、日本が満州を含む中国において英米と競争しつつ平和的に経済進出をすることは、十分可能であったと見るべきであろう。いわゆる幣原外交(※1)なるものも、このようなことを前提としてのみ考えられうるものである。

さらに、当時の中国の特殊事情からして、ある程度の武力行動は、かりに止むをえなかったとしても、満州国を独立せしめ、さらに、国際連盟を脱退(昭和8年3月27日)するところまで突っ走ったのは、勢いのおもむくところとはいえ、何ら利するところのないことであった。

これについては、もちろん、日本国内の強硬派ばかりを責めるわけにはいかない。米国のスティムソン国務長官が、事態の推移が見極められるまで待たないで不承認主義(※2)なるものを通告(昭和7年1月7日)したことも、日本をあそこまで追い込む一因となったとも見られよう。

又、当時の外務当局に事変前の内外情勢の行き詰まりを打開しようというような積極性が乏しく、又事変勃発後においては、事毎に軍部に反対したが、その根拠が現実から遊離した観念論に終始したことも、反省の余地があるのではなかろうか。

口先だけの反対は、その都度現実の力によって押し切られ、そして満州事変そのものだけについていえば、、国際的な悪評をこうむりながらも、一つの既成事実を作ることに成功した。そして、国民は、その方について行ったのである。

ともかく、満州国の独立とこれに対する日本の承認は、反対側のスティムソン主義と相まって、事態を抜き差しならなくしてしまった。必要なくして物事を割り切ってしまいたがる癖は、後の「蒋介石を相手とせず」との近衛声明などにもその例を見る。

又、連盟脱退は、日本が米英と袂をわかつ発端となったが、42票対1票というようなことになっても連盟に止まるというだけの良い意味の図太さがあってよかった。この種の潔癖さは、現実政治には、禁物というべきであろう

 


※1いわゆる幣原外交。欧米との強調を重んじた幣原喜重郎外務大臣時代の外交政策。

※2不承認主義。満州国の成立は、太平洋の現状維持についての国際的了解に反し、米国としては認められないというもの。


上記転載文中の※の注釈は、転載元の本『吉田茂の自問―敗戦、そして報告書「日本外交の過誤」』の著者、小倉和夫氏によるものです。


■補足・私見

冒頭で満州問題はややこしいと書きましたが、リットン報告書の九章の中にも次のような指摘がされています。

本件紛争に含まれる諸問題は往々にしていわれるように、簡単なものではないことが明らかだろう。すなわち問題は極度に複雑だから、いっさいの事実とその歴史的背景について十分な知識を持ったものだけがこの問題に関して決定的な意見を表明する資格があるというべきだ。

この紛争は、一国が国際連盟規約の提供する調停の機会を予め十分に利用し尽くさずに、他の一国に宣戦を布告したといった性質の事件ではない。また一国の国境が隣接国の武装軍隊によって侵略されたといったような簡単な事件でもない。なぜなら満州においては、世界の他の地域に類例を見ないような多くの特殊事情があるからだ

「全文リットン報告書」 P.306


なにがややこしい(特殊事情)か、と書いていくときりがないので別の機会に譲りますが、転載した調書の中に「当時の中国の特殊事情からして、ある程度の武力行動は、かりに止むをえなかったとしても・・・」とあるのは、居留日本人(朝鮮人)にたいする迫害や殺害事件などの懸案事項が三〇〇件を超えるともいわれるほど、緊張関係にあったことを指しているのかと思われます。
万宝山事件や、中村大尉殺害事件などもありました。石原完爾、関東軍の謀略による鉄道爆破(柳条湖事件)とその後の軍事行動にだけ着目していると、事変の本質が見えてこないかと思います)

ただ、米スティムソンの不承認主義(いわゆるスティムソン・ドクトリン)が「日本をあそこまで追い込む一因」とありますが、これには石原完爾が行った錦州爆撃などが米の態度を硬化させたともいわれていますから、日本(関東軍)が自ら追い込まれるようなことをしてしまった点に触れないのは、ちょっとおかしな気もします。

もっとも、当時の日本人の国民感情としては、「理不尽な理由で日本が追い込まれている」というものだったとはいえるようです。

これには、新聞メディアがそういう方向で世論をあおったという面もあるようですが。このころから朝日新聞が軍批判記事を引っ込め満州事変支持に方針転換したことは以前にも書いたとおりです。


次回は、『外務省極秘文書「日本外交の過誤」-(2) 軍縮会議脱退、日独防共協定締結』です。


■参考書籍
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