<日本人拘束>比女性の尻たたき 「蔑視だ」批判噴出
「女性の尻を叩くのは日本男性の習慣」って、そんな習慣は聞いたことがありませんw
フィリピンのマニラ空港でセブ島知事の長女で弁護士(26)の尻をたたいたとして、東京都の日本人男性(65)が入国管理法違反(好ましからざる行為)容疑で当局に身柄を拘束されている。
フィリピンでは女性上院議員が「我が国の女性蔑視(べっし)だ」と発言し、主要紙も「非常識だ」と批判するなど問題化。一方、収容施設で毎日新聞の取材に応じた男性は「マナー違反を注意しようとしただけ」と話している。
同国当局によると男性は8日午前、セブからマニラ空港に到着し手荷物を取る際、近くにいた弁護士の尻をたたいた疑い。
弁護士が騒ぎ、男性は入管職員に拘束された。弁護士はこの後、主要紙に「男性は(たたいた直後)私に、女性の尻をたたくのは日本男性の習慣だ、と弁明した。侮辱だ」と主張。女性議員も「フィリピン女性に敬意を持つべきだ」と厳罰を求めた。
百歩譲ってそれが日本の習慣だったとしても(ありえませんが)、それを他国の人にしても構わないということはないですね。
このニュースを見て、アジア太平洋戦争時の占領地で「日本式」を持ち込んで反感を買った話を思い出したので、ちょっとまとめてみます。
例えば元日本兵で上官から平手打ちを食らったt体験談は枚挙に暇がありませんが、それは占領地の民衆に対しても行われていたようです。そして、それは現地の人にとっては日本人が考える以上に屈辱的なことだったようです。
フィリピンの人にとって、平手打ちを受けるよりは蹴られた方がましだという。平手打ちは相手を殺したくなるほどの屈辱なのである。日本兵は、内務班の中で、教育的指導と称し部下に日常的にふるっていたのと同じ感覚でフィリピン人に対しても平手打ちを浴びせた。
比島派遣軍参謀部で情報を担当していた元少佐、一木千秋氏はこう指摘する。
「日本から来た軍隊は、中国や満州におったんで、フィリピンのことを知っているわけないからね。フィリピンの風習とか習慣というのは知らないで来て、戦場に出されたというような状況でしょう。フィリピンのことを知ろうともしなかったし、また、上も知らせようとしなかった。
例えば、パラオでの飛行場建設なんかで、あそこはイスラム教徒ですがね、左手で叩くともうたいへんなのに、左手で殴ってね、非常に敵愾心をあおって、襲撃を受けたりしたね。習慣を知らないからね」
「レイテに沈んだ大東亜共栄圏」P.83
マレー半島と同じくイスラム教徒が圧倒的に多い蘭印では、日本憲兵の現地の慣習を無視した行為が終戦後、BC級の起訴事由になった。イスラムでは左手は不浄とされ、左手で物を与えたり、人前で人を叩くことは厳禁されているが、憲兵は遠慮会釈なく左手でも現地人を殴って恨みを買った。
日本には鉄拳を教育・躾の一手段と考える伝統があるが、そう思いこんでいるのは日本人だけで、外国には人間に対する冒涜、存在否定という意味さえある。またイスラムでは裸は厳禁だが、日本兵は越中褌で歩くのが習慣であった。
「BC級戦犯」P.172
平手打ちや殴るといった行為もさることながら、現地住民への蔑視観や皇国の兵隊という「特権意識」を被占領地住民に見せつけていたように感じる話も多く目にします。
たとえば道で会釈をしなかったからという理由で殴られたという話は、日本の中でもあったらしくて時折目にすることがありますが、その慣習(?)もそのまま占領地に持ち込んでいたようです。
下記の動画の8分10秒あたりに、日本の軍人にだけお辞儀をする車掌の映像(インドネシア)があります。
また、コリン・ロスというドイツ人ジャーナリストの「日中戦争見聞記―1939年のアジア」という本には次のような記述があります。
上海の共同租界内で日英両軍の警備分担区を隔てる細かい蘇州河にかかるガーデンブリッジの中央部に、日本軍の歩哨が立っていた。歩哨のかたわらを中国人達が果てしなく通っていた。自転車に乗っているものは自転車から降り、自動車は人間と同じ速度にスピードを落とした。誰もが、富者も貧者も、地位の高いものも低いものも、小柄で貧弱な日本兵の前に来ると一様に深々とお辞儀をした。
日本兵は直立不動の姿勢で前方を見つめ、天皇の代理人として、この卑屈な挨拶を受けていた。
橋の末端では-ここも共同租界内であった-イギリス兵が監視していた。ダラム(イングランド北東部の都市)連帯所属のこの大男の兵士は、日本兵よりも頭一つ半ほど大きかった。だが、このイギリス兵に注意を向けるものは一人としていなかった。人々は無視したように彼の脇を流れた。
「日中戦争見聞記―1939年のアジア」P.204
私がこの本を読んだのは2年ほど前のことであまり知識もなかったため、この光景が不思議だったのですが、今思えば、上海の中国人がここまでお辞儀をしたのは、そうしないと日本兵に殴られるからかも知れませんね。
日本軍が侵攻したアジア各地では、戦火による影響の他にも徴発や経済混乱、軍票によるハイパーインフレ、労務者への暴行虐待、ゲリラ・スパイ容疑での虐殺など様々な問題がありましたが、このような日常風景の中にも反日感情を抱かせる原因はたくさんあったように思えます。
■08.07.01追記
自分でこのエントリーを読み直してみて、ふと思ったことを追記しておきます。
平手打ちの話ですが、進駐した日本兵が皆そういうことをしていたかどうかについては、留保が必要です。
いうまでもありませんが、一部の事例をもって、その組織(日本軍・兵)全体がそういう性質を持っていたかのように語るのは適切ではありません。
極端な行為、酷い行為というのは目立つものです。荒れた成人式の報道を見て、すべての若者が荒れているように思うのはおかしいですね。マナーの悪いドライバーや喫煙者は目立ちますが、それはその集合体全体を説明するのに適切な事例ではないかと。
少ない事例ではあるようですが、BC級戦犯裁判において、日本兵を弁護した現地住民がいたという事実もあるようですから。(もちろんこれも日本軍という組織「全体」を表す例にはなりえません)
あえていうなら責任者や権力を持っている人物の行為や指示命令が、組織全体の印象に反映しやすいことはあるでしょう。
■参考書籍
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