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66年前の今日4月18日、日本本土初空襲の日   

Map_of_Tokyo_and_China

1942年(昭和17)4月18日、66年前の今日は、日本本土が初めてアメリカの空爆を受けた日です。日本の歴史上、初めて空から敵の爆弾が降ってきた日です、

米軍指揮官の名前をとって「ドーリットル空襲(Doolittle Raid)」(またはドゥーリットル)と呼ばれます。

真珠湾攻撃からまだ間もない時期で、 アジア各地での破竹の進撃にまだ日本が酔いしれていた時、いきなり首都東京が空爆を受けました。他には川崎、横須賀、名古屋、四日市、神戸が空襲を受けています。


b25-11aこれは、太平洋上の空母から発進したB-25爆撃機(右写真)が日本を空襲、空母には着艦できないためそのまま中国やソ連に飛んでいき着陸するという奇抜な作戦でした。その時のルートが、右上の図(クリックで拡大)です。

この空襲による日本側の被害は、死者50人、破壊家屋262戸とのこと。
首都東京が空襲されたわりには少ないように思われるかも知れませんが、昭和20年の東京大空襲で使われたような焼夷弾はまだありませんでした。それに大空襲の時は爆撃機の数が桁違いですので。

この時に米軍機は爆弾投下だけでなく東京葛飾の学校に向けて機銃掃射をやらかしています。これによって13歳の石出巳之助君が背中を撃たれて亡くなっています。戒名は「悲運銃撃善士」。

日本国内では、これで反米感情がますます高まったとのこと。
また、中国に着陸したB-25爆撃機の搭乗員の一部は日本に捉えられて捕虜となり、処刑されています。
下記は、日本を空爆したと米兵捕虜の処分を発表する映画ニュース映像です。


(このYouTube動画はコチラへ→ 本土空襲機搭乗員の処分 2分03秒)

映像の中で、この空襲について「人道を無視」「暴虐非道なる行為」としていますが、当時の人たちは同じようなことを日本が中国でもやっていたなどとは夢にも思わなかったのかも知れませんね。


さて、話は少し変わるのですが、この空襲によって、アメリカ人は「鬼畜」という印象を持った当時の日本人は少なくなかったのではないか?と私は想像しています。この空襲では軍事施設以外も被害を受けたのは、上述したとおりです。

同様に日本人がアメリカ人を「鬼畜」と思うようになった出来事としては、下の写真が報道されたことがあげられます。これは、以前にも沖縄集団自決について書いたときにも紹介したものですが、亡くなった日本兵の頭蓋骨を戦場のみやげとして持ち帰り、「ニューギニアの海岸で拾ったJapのものだよ」といって彼女にプレゼントしたという写真です。
banko-life56282 bankou
左はアメリカの雑誌ライフの1944年5月号に掲載されたもので、この女性はお礼の手紙を書いているところとされていたそうです。これがドイツ外務省経由で日本にも知られることとなり、右写真の新聞記事となります。見出しは「米鬼の蛮行はこれだ-復讐に我らの血は沸き返る-」 

右の新聞の切り抜きは「自在方言」さんが保管されていたもの。残念ながら何新聞か、また年月日も不明とのこと

他にも日本兵の遺骨で作ったペーパーナイフをルーズベルトが下院議員からプレゼントされたことが暴露されて、さすがにアメリカ内でも死体冒涜問題が重大化したという話もあります。

米駆逐艦キッドに体当たりした特攻兵の頭部が艦内に残っていたので、それを洗って頭蓋骨を取り出して持ち帰った話もありますし、日本兵の戦死体から金歯を取り出したり、遺品を持ち帰ることは少なくなかったようです。(そういうシーンの動画もネット上にあります)

戦後になって、アメリカから日本兵の遺族にお返ししたいと様々な遺品が返還され、美談のように報道されることがありますが、元々はそのほとんどが戦場の土産として米兵が持ち去ったものなのだとか。

これらの話が戦時中どれほど日本人に知られていたかはわかりませんが、、ドーリットル空襲時の子供への機銃掃射や、上記写真の遺体冒涜は報道されていたわけですから、「米兵はまさに鬼畜であり、捉えられたら男は殺され、女は強姦されて殺される」という話は、かなり信憑性の高いうわさとして日本中に広まっていたのではないでしょうか?

なにしろ、生のアメリカ人を生まれてから一度も見たことがない日本人がほとんどだった時代のことです。
そして、それが集団自決の一因になっていたとは考えられないでしょうか?

投降せずに自決を選択した人たちがいたのは、戦陣訓の「生きて虜囚の辱めを受けず」だけのせいではないように私には思えます。


なお、ドーリットル空襲に衝撃を受けた日本は、この様な作戦を二度と起こさせないため、支那派遣軍145,000人以上を投入して中国浙江省、江西省内の飛行場をつぶす「淅□作戦(せっかん)」作戦を実施。期間は1942/5/14~9/30まで、飛行場を中心とする半径1.5キロ地域の飛行場施設、利敵民家、樹木、橋梁はほとんど破壊、民船800隻を押収するという徹底したものでした。

なお、この作戦では、あの731部隊が細菌戦も実施したとの話もあり、誤って汚染地域に入った日本兵一万人以上が赤痢やコレラ、ペストに罹患したという情報もあります。
(米軍捕虜となった日本兵の証言をまとめた米側資料があるとのこと → 参照リンク

下記は、ドーリットル空襲の米軍による記録フィルムです。空襲の直前に日本軍の特設監視艇(漁船を徴発して改造したもの)を米駆逐艦が撃沈する様子も映っています。


(このYouTube動画はコチラへ→ The Doolittle Raid - April 18, 1942 (4分53秒)



■参考リンク

ドーリットル空襲 - Wikipedia
本土初空襲
731部隊「細菌戦、7カ所で実施」 42年、中国での作戦 防衛庁保管日誌で確認
頭蓋骨冒とく写真掲載、独政府が調査
The Doolittle Tokyo Raiders - R.O. Joyce Memorial Site
www.DoolittleRaid.com - Home page of The Doolittle Raiders Remembered
Allied Atrocities

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骸骨の写真は読売新聞(昭和19年8月11日)、毎日新聞、朝日新聞に掲載されていますよ。

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