この映画をめぐる問題について、少し追記しておきます。
話の争点が、映画の登場人物の刀匠が納得していないことに移ってきているようです。
これを、制作者サイドは、「国会議員によって刀匠が変心したのでは?」といい、当の刀匠御本人は話が違うと主張、さらに監督らの態度に「信用できない」とおっしゃっているとか。
刀匠の言い分は、高地新聞のインタビューがあり、それをグリッティさんが全文を引用されています。
映画「靖国」の刀匠インタビュー全文(璧を 完うすさん)
こういう出演者とのこじれは、ドキュメンタリー映画(番組)では往々にしてあることなのかもしれません。
(自分の仕事でも、取引先と合意したつもりが細部の認識がずれているなんてことはよくありますし)
中には意図的なケースもあるのかもしれません。今回はどうかわかりませんが。
ともかく、制作サイドから出演者への趣旨説明などは真摯に行われるべきでしょうけどね。
ただ、この構図、なにかデジャブを感じるなぁと思っていたのですが、思い出しました。
「プライド-運命の瞬間」という映画について、パール判事の息子・プロサント・パール氏が憤慨しているという話です。
「法の正義」を守ろうとした父が渾身力で書き上げた判決書を、映画制作サイドの政治的立場を補完する材料として利用された、映画関係者から企画を聞いたときは、「パール判事とその判決がメインの映画」だと聞かされていたのに、という件です。
これについて詳しいことは、昨年のエントリー「パール判事の主張」の追記の追記」を見て下さい。
さらに似たようなケースとして玄倉川の岸辺さんが、NHKの「女性国際戦犯法廷」番組改編問題に絡めて
書いていらっしゃいましたが、なかなかスルドイ指摘をされています。
「靖国 YASUKUNI」と出演者の了承と「女性国際戦犯法廷」番組 -
刀匠に共感して「靖国 YASUKUNI」を批判する「右」のほうの人たちは、「NHKの企画内容に合意して取材協力したのに全く別の内容に変えて放送されて信頼(期待)利益を侵害された」バウネットに同情するだろうか。
逆に、バウネットを支持して「期待権」を裏切ったNHKを批判する「左」側の人たちは「靖国 YASUKUNI」の制作方法に問題ありと認められるのか。
味方の「期待権」ばかりを主張して考えの異なる相手の権利を認めないのであればダブルスタンダードである。
私が最初にあげた例に置き換えて言えば、右派は製作に協力したパール氏の怒りをくみ取って映画「プライド」を問題視できるか?となるでしょうか。
左派にも同じことは言えるわけで、自分たちの主張に気に入らない映画(番組)に対して難癖をつけるために、出来上がった作品に対する出演者が感じる違和感(?)を利用しているだけ、という言い方もできると。
きつい言い方ですが、左右逆のケースでも同様に振る舞えなければダブスタになるという玄倉川さんの指摘には納得です。
この出演者の「期待権」はどこまで認められるのか、という話は、玄倉川さんのところでリンクされている『「期待権」って?』に詳しく論じられています。
この期待権も程度問題だったり、あるいは制作者サイドの出演者に対する誠実さによっても判断が変わってくるように思えるのでなかなか難しいところではありますが、この「靖国 YASUKUNI」はそもそもなぜ助成金が必要だったのかという点から始まって様々な問題を内包していることは間違いなさそうです。
ただ、靖国神社問題というのは、たった1本の映画で語れるほど単純なものではないと私は考えていますから、この映画の出来映えがどうあれ、あまり関心が湧かないのも正直なところです。
靖国神社に関心のある方には、現代の姿よりも、設立の背景から追って欲しいと、個人的には思っています。日本が大きく捻れた時代の象徴でもあると思いますから。
