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日本人は文化・伝統を大切にしてきた・・・・か?   

時折コメントしていただくグリッティさんのエントリー「受け継がれている歴史と伝統」を拝読して、いつか書こうと考えていたことを思い出したので、記しておこうと思います。

もちろん、私も日本の伝統や文化は大切にしていきたいと思っている一人ですが、それでもまことしやかにささやかれる日本の「伝統」について「それって何かヘン?」と思うことが時々あります。

たとえば、かつての日本人の圧倒的多数が「武士」ではなかったにもかかわらず、「武士道」の伝統を日本人がみな受け継いでいるというような主張とか(笑)。


確かに「武士道」は日本オリジナルなのですが、近代になって作られたという話もありますし。
他にも、実は明治以降になって作られた(捏造?)日本人自身による「日本人観」というのは沢山あるようですから(日本人は勤勉、とか)、鵜呑みにする前に注意する必要はありそうです。

さて、それはさておき、日本が大きく変化した時代として典型的なのは、やはり明治時代でしょう。

急速に西洋文化を受け入れたというのは誰もが知るところでしょうが、実はそれまで営々として培われてきた日本独特の文化を自ら否定し破壊したこともあるいうのは、あまり認識されていないかも知れません。

例えば下の2枚の写真。いずれも首をはねられた石仏です。

 CIMG0050 800px-Lelelenokeee

左はタイのアユタヤ遺跡で撮ってきたものですが、これは、1767年に侵攻してきたビルマ軍によって石仏の首がはねられた跡とのこと。異民族の侵略によって文化が破壊された例の一つです。

そして右の写真は、神奈川県川崎市に残されている石仏の写真です。こちらも首をはねられているわけですが、これをやったのは異民族ではなく、ほかならぬ明治時代の日本人自身です。
(この写真はWikipediaから拝借)

すなわち、江戸末期から明治初期にかけて日本を席巻した「廃仏毀釈」の傷跡が残っている例のひとつというわけです。

この廃仏毀釈運動によって、仏教関係のものは、寺院、仏像、仏画、経典、絵巻物などが、ことごとく日本人自身の手によって破壊されています。

鎌倉時代が起源の鶴岡八幡宮も、今は「神社」ですが、幕末まで八幡宮は「鶴岡八幡宮寺」という神仏習合の寺院ですし、最古の木造建築として世界遺産となった法隆寺にも破壊の手は伸びていて、昭和初期に聖徳太子の名誉回復が行われるまでは、荒れ果てた状態のままだったということは先日書いたとおりです。

この廃仏毀釈運動は、討幕派の中心となった九州・西日本ほど激しかったようで、廃寺となったところも多く「今でも九州には有力な大寺はない」という説明もあります。

・・・・・それまでの日本は、古来の神道と外来の仏教が混ざり合って(神仏習合、または神仏混淆)、それが長いこと伝統でだったはずなんですけどね。孝明天皇(明治天皇のお父さん)でさえ、葬儀は仏式だったという話があるくらいですから。

それが、尊王論を大義名分とする水戸学・大日本史が広まったあたりから、「神道こそが日本の伝統」であるという考え方が広まり、仏教は外来のものとして排斥されました。

起源が外来であれ、長いこと日本の生活に根付いていて、しかも日本独特の形となったのなら、それも立派な「伝統」だと思うのですが。

-----
たしかに、今もお寺は日本各地にありますが、それらは修復されたり運良く残っていたり、新たに作られた可能性の方が高いのかも知れません。

現在残っている古くからの日本の伝統を感じさせるものというのは、たまたま残っているものを見て「日本人は伝統を大切にしてきた」と感じているだけで、日本人自身によって否定され破壊された伝統も案外少なくないのかもしれませんよ。

このあたり、メディアリテラシーにも通じますが、目に入る情報や残された結果だけで判断すると、妙な結論を出しかねないわけで。

わかりやすいエピソードを一つ紹介すると・・・。

第二次大戦時にイギリスの戦闘機スピットファイアがドイツのメッサーシュミットにことごとく撃ち落とされていたとき、かろうじて帰還した機体の尾翼のダメージが特に激しいことを見て、尾翼の強化を指示した人がいたそうです。

それに対し、「尾翼をやられても帰還できたということは、帰還できなかった機体は他の場所をやられたということではないか? つまり強化すべき機体の弱点は、尾翼以外の部分ではないのか?」と言った人がいたとか。

どちらが正しいかはいわずもがなですね ^^

-----

こう考えると、今も残されたものがあるからといって、「大切に守り通してきた」と言い切ってしまってよいものかどうかは、正直迷ってしまうところではあります。

私も日本に生まれた以上、残された日本の歴史や伝統を大切にし、それを誇りに思うことにはまったく異論はないのですが、世界中、いや現在の日本の国土の中にさえ、伝統を残したくても他民族によってそれを許されなかったものも多々あるわけですから、それを鼻にかけて声高に世界に向けて自慢するのは、ほどほどにした方がよいとは思っています。


□廃仏毀釈関係の参考リンク

廃仏毀釈とは - はてなダイアリー
廃仏毀釈と美術品流失
明治の蛮行 廃仏毀釈
神仏分離・廃仏毀釈の歴史経過
神仏分離真っただ中の鶴岡八幡宮
鶴岡八幡宮大塔 (廃仏毀釈前後の貴重な写真があります)


□参考書籍

下記の他、多数

4569697755 ラジオの戦争責任 (PHP新書 508)
坂本 慎一
PHP研究所 2008-02

by G-Tools
4480687599 データはウソをつく―科学的な社会調査の方法 (ちくまプリマー新書 59)
谷岡 一郎
筑摩書房 2007-05

by G-Tools

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コメント

幸せな国

TBありがとうございます。
いや~痛い所をつかれました(汗)

記事書いといて何なんですが、私も日本人が伝統と大切にしてるとは思っていません。
ご紹介されている”廃仏毀釈"も的確な例だと思います。
伝統の最たるものである天皇家でさえ、応仁の乱以降の衰微は良く知られていますし、南北朝時代には天皇家の行列に弓を射掛ける武士もいたようで、敬意を払われていない時期も多かったと思います。
現代人にしたって神社仏閣などぜんぜん意識していませんしね。

ただ、それでもここまで残ってきたものがあり、それが遺跡ではなく、一応生きた状態で機能していることは、すごく幸せな国だなと思います。
その幸せさを意識する必要があると思い記事にしました。

世界的に見れば優れた文明を築いた民族も、その後どこへ行ったかさえわからない例(鉄をはじめて使用したといわれるヒッタイトやアルファベットのもととなるフェニキア文字を使用したフェニキア人など)が多々ありますから。

長文失礼しました。

全体の一割に満たない武士階級の人数ですが
他国の
全人口に対する戦士階級の比率と比べると日本の武士の多さは異常だそうですよ

また武士道という単語で括られた思想・スローガンのようなものは近世のものですが、
こうあるべきという意味ではなく結果としてこういう行動パターンを取るやつが多かったという視点で言うと、
戦いに望んだ際の言動を追う限り大体源平合戦あたりから変わって無いと思います
そして恐ろしいことに似たような言動は武士以外からもあります
一揆や山人などが戦いに望む際も似た様な行動をとります

武士道という言葉がなくても身分が武士ではなくても
何をかっこいいと思うかという感性は同じ日本人ですから似通ってても不思議では無いとおもいます

■グリッティさん

捉え方によっては批判めいた内容に読めなくもないので、TBを送ってから、気分を害されないかどうか、ちょっと気になっていました^^;
たしかに「残っている」というのは、幸せなことには違いありませんね^^

>遺跡ではなく、一応生きた状態・・・

なるほど。
そういう意味で今ふと思い出したのが伊勢神宮の「式年遷宮」。これは特に世界的にもユニークな伝統かも知れません。
20年ごとに社を建て替えてしまいますが、それは建築技術等を後世に伝承するという意味があるそうで、まさに「遺跡」ではなく「生きている伝統」といえそうですね。

余談ですが式年遷宮の公式サイトがありました。
http://www.sengu.info/index.html

■槌矛さん

はじめまして。コメントありがとうございます。

武士道についてはエントリー導入部のジャブとして思いつきで書きましたし、詳しいわけではないので、ここはさりげなく流してください(笑)

>全人口に対する戦士階級の比率と・・・

それは知りませんでした。。。。

>こういう行動パターンを取るやつが多かった・・・

う~ん・・・どうなんでしょう?そういう人はいたでしょうが、「多かった」かどうかは何とも言えないような気がします。
「切り取り強盗は武士の習い」という言葉もあるくらいですから、実態はむしろ逆だった可能性もあるかも知れませんし。

江戸以前の戦のことはほとんど知識がないのですが(汗)、伝えられている戊辰戦争の官軍の暴行・掠奪・強姦は、武士道とは相容れない部分がありますし、あの戦争が日本の戦争として特殊だったのかどうか・・・それ以前に300年近くの太平の世があったから、比較は難しいと思いますが。

>何をかっこいいと思うかという感性は同じ日本人ですから似通ってても・・・

それはそうですね。 ある意味、「理想の生き様」として憧れる人が少なくないのは確かでしょう。
まぁ、西洋にも騎士道があって似た部分はありますけどね。騎士道に切腹はありませんが(笑)

いやぁ

言われてみれば確かにその通りなのかも知れません。

また日本人特有の
ぎりぎりまで追い詰めないと動かない→余裕が少しでもあれば楽観視
という性質の為かも知れませんね

私もブログを書き初めたんですが、勉強させてもらいます。
頑張ってください

■VODGさん

はじめまして。コメントありがとうございます。

>ぎりぎりまで追い詰めないと動かない→余裕が・・・

ごめんなさい。書いていただいた上記部分が、私のエントリー・コメントのどの部分にかかるのかがよくわかりませんでした。。。。

>頑張ってください。

ありがとうございます。
VODGさんのブログも拝読させていただきました。
VODGさんも頑張って下さいね♪

江戸時代、葬儀は:

>孝明天皇(明治天皇のお父さん)でさえ、葬儀は仏式だったという話があるくらいですから。

以前NHKラジオの番組で、徳川幕府は、上は天皇から下は一庶民に至るまで、葬儀は仏式で行うよう定めていたと聞いた覚えがあります。

■いわおさん

ご教示ありがとうございます。
江戸末期より以前のことは、私はからっきし無知なもので・・・。

そうですね

そうですね。武士道に関して日本人全員がそうだみたいな話に笑ってしまいます。
しかも江戸時代には形骸化してしまいます。

ちょっと逸話ですが、
当初、徳川慶喜が将軍になった時はヤル気満々で
「大名の力など借りずとも幕府には旗本八万騎の精鋭がいる。
彼らを招集して薩長など蹴散らしてくれるぞ」と張り切ってました。
それで召集したところ、集まったのは年端もいかぬ子供たちばかり、
不思議に思った慶喜が調査してみると
旗本の軍役義務は当主にしかないのを利用して
戦争に行かされるのを嫌った旗本たちが一斉に子供たちに家督を譲り隠居してしまったとの事。
それを聞いた慶喜は旗本たちの腐敗と弱腰ぶりに全身の力が抜けてしまい、
徳川が滅ばずに平和裏に政権を返還できる策を模索し始めたそうです。
まあ徳川家の武士だ旗本だと言っても、
太平の世を260年も貪ってると只の人になるわけで、
「武士」や「旗本」なんてのは名前だけになってしまうわけです。

槌矛さん
>全人口に対する戦士階級の比率と比べると日本の武士の多さは異常だそうですよ

それはちょっと意味が違います。
日本と西洋など外国とでは平民と戦士階級の区別の仕方が違うだけです。
西洋では平時に騎士や兵隊として扱われる階級はほんの少数で
あとは戦争が始まると大量の農民や平民を徴兵して戦いに望むのに対して、
日本の場合は最下層の下級武士(足軽など)は半士半農として普段は農村で農作業をし、
戦の時は兵士として出兵するシステムなのです。

なんていうか、西洋では戦争の時に徴兵される農民は戦士階級扱いされませんが、
日本の場合はそういう階級も一応は武士扱いされたのです。
でも内情は大差ありません。

■はねださん

色々、興味深いお話をありがとうございます。
慶喜については最近関心がでてきたので、特に参考になりました^^

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