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靖国神社・千鳥ヶ淵戦没者墓苑   

IMGP0701

先日からアップしてきた桜の写真は千鳥ヶ淵、北の丸公園のものですが、そのすぐ北側にある靖国神社にも足を運んできました。

今回も写真を載せながら、靖国神社について思っていることを書いてみようと思います。

日本近代史を中心に本を読みあさっているため、靖国神社については、否定はできないけれども肯定もできないという 、まぁいつもの私らしい、あいまいな価値判断になります(苦笑)、

ただ歴史問題も政治問題も関係なく、桜の名所であることは間違いありませんね。

(本エントリー内の写真はクリックで拡大) 


さて、否定できないというのは、3月21日のエントリーで紹介したように、かつての特攻隊員の方が亡くなった戦友に会うと約束した場所としての意味があるからです。戦時中にいくら戦意高揚の役割を果たしたからといって、戦後生まれのIMGP0705者が無碍に否定できるものではない、ということです。

ちなみに今年も神雷部隊戦友会の慰霊祭は無事に行われたそうです。特攻で亡くなった神雷部隊隊員が親戚にいるという方のblogで報告されていました。 (右の写真は神雷部隊戦友会寄贈の桜)

話の花束: 神雷部隊戦友会と共に
話の花束: 忘却が特攻隊員を犬死させる

特に特攻について、色々な本や証言を読んできた私にとっては、下記に引用させていただく部分について強く共感します。

特攻隊員は左の人が言うように「犬死した」のではありません。
右の論陣が語るような雄雄しい「軍神」でもありません。
彼らは己の生を精一杯生きた生身の人間。
特攻に至るまでは彼らにも葛藤があり悩みがあり恐れがあり、様々な境地を経て解脱の域に達した、というのが正しいのでは無いでしょうか?

しかし、その一方で靖国神社については、肯定できない部分も少なからずあります。

ひとつは、「国のために戦死した英霊」というのが、果たしてどうなのか?IMGP0748

藤原彰氏によれば、太平洋戦争の戦没者230万人の過半数は餓死とのこと。あるいは飢餓による栄養失調と免疫低下によるマラリア等による病死です。 戦闘行動による戦死ではないのです。

ならば、彼らが戦ったのは飢餓かウィルスか、それとも補給軽視の作戦を実行した軍上層部の無茶な命令なのか・・・。
そんな無惨な死に方をした彼らが、「日本の為に自らの命を惜しまず戦った」として祀られて、いったいどう感じるのか・・・。

かつて小泉元総理が「心ならずも・・・」と語ったことに一部の右派論壇は猛反発していましたが、そういう人たちこそ、自分たちの政治主張と妄想の為に人の死を利用している気さえします。

もうひとつ、受け入れ難いのが、いわゆる靖国史観と呼ばれるものと、靖国神社を創建した側の論理です。 
遊就館でいつも上映している「私たちは忘れない」という映画( 企画・制作:日本会議、英霊にこたえる会)はその典型的な靖国史観だと感じます。
(YouTubeにもあります→「私たちは忘れない」)

昨年、私がこの映画を見たときには、いくら英霊への感謝の気持ちを喚起するためとはいえ、そのあまりに独善的な歴史認識には正直なところ目眩がしたものです。

当時は軍国少年だったという「戦争を語り継ごうブログ」の西羽潔さんも、この映画のことを「まるで 戦時中の『ニュース映画』を観ているよう」とおっしゃっています。

戦争が終わり、客観的・国際的な視野で自国の歴史をながめられる環境になっているにもかかわらず、井の中の蛙だった当時日本の国内向けプロパガンダが60年以上たった今も繰り返されている場所。そんな感じを受けます。

あの映画は見る人の感動を呼び起こすような作りになっていますが、あれを見て「なぜ日本が戦争したのかわかった!」と思ったなら、それは戦前のプロパガンダにかかったも同然といっても言い過ぎではないと思います。

とは言っても、映画を制作した側も、おそらくほとんど戦後生まれでしょうから、過去のプロパガンダを繰り返しているという認識はきっと無いと想像しています。客観的・大局観的に日本が歩んだ歴史を眺めるという意識の欠如から、自分たちでも気づかぬままにあの時代の思想的末裔となってしまっているだけなのかと。


■靖国神社を創建したのは・・・

そもそも靖国神社は、明治維新・戊辰戦争以降の「国家のために尊い命を捧げられた人々」(靖国神社HP)を祀るとされていますが、これもいかがなものでしょう? IMGP0737
それならば、戊辰戦争で賊軍とされた幕府側は、国家のために戦っていないとでもいうのでしょうか?

厳密には「天皇・朝廷・政府側の立場で命を捧げた」(Wikipedia)というのが、適切でしょう。

こう言ってしまっては身も蓋もないかもしれませんが、明治維新を成し遂げた当時のテロ・クーデターの首謀者達が、戦死した仲間の為に建てたということだって言えるでしょう。

維新を成し遂げた人たちを筆頭に、水戸学に心酔していた勢力は、、それまで700年続いた武家政治を否定、広く根付いていた仏教も否定し、廃仏毀釈運動で寺院を破壊しました。いまでは世界遺産となった法隆寺でさえ、昭和初期の高嶋米峰による聖徳太子の名誉回復運動がみのるまでは惨憺たる有様だったとか。

「戦後はアメリカという勝者によって日本の歴史を書き換えられた」ともいいますが、そもそも明治維新以降に語られてきた日本の歴史自体が、戊辰戦争の勝者によって書き換えられたものとも言えるのです。

そして足利尊氏などを朝廷に逆らった大逆賊と終戦時まで国民に教育、賊軍側(佐幕派)には戊辰戦争以降も徹頭徹尾冷たい仕打ちをしているのです。 

小島毅氏は著書「靖国史観」のなかで次のように言っています。
新撰組組長だった近藤勇を、東京裁判よりもひどい一方的な断罪で復讐刑的に斬首し、会津で交戦した白虎隊をふくむ軍人たちのまともな埋葬すら許さぬままに、敵の本営だった江戸城中で仲間の戦死者の慰霊祭を行った連中。靖国を創建させたのはこういう人たちであった。
(中略)
長州藩は京都御所に向かって発砲したことを謝罪したか?
薩摩藩は江戸市中に放火したことを謝罪したか?
テロとの闘いを標榜する平成の首相達は、吉田松陰を頌える前に、東京の板橋駅前にある近藤勇の鎮魂碑の前で頭を垂れるべきだろう。彼はテロリストを取り締まった特殊警察部隊の司令官だったのだ。
IMGP0466 
右の写真は板橋駅前の近藤勇の墓所です。
(他の写真とは撮影日は違います)

他にも書きたいことはいろいろありますが、どうもうまくまとめられません。このままダラダラと長くなるのもなんなので、今回はこの辺で・・・。





下の写真は、靖国神社から徒歩数分のところにある、千鳥ヶ淵戦没者墓苑です。 
無名戦没者の墓であり、靖国神社と違ってこちらには戦地で収拾された実際の御遺骨が治められている場所です。御遺骨は遺族に引き渡すことのできない無名戦士のものです。

参拝のための行列までできていた靖国神社から徒歩数分のところなのに、訪れる人も少なく閑散としていました。靖国神社には多くの人が参拝するのに、千鳥ヶ淵墓苑には足も運ばず献花もしないのはなぜなのでしょう。。。
 
IMGP0826IMGP0807







IMGP0804    IMGP0824
















□参考文献
4250201155餓死(うえじに)した英霊たち
藤原 彰
青木書店 2001-05

by G-Tools

4480063579靖国史観―幕末維新という深淵 (ちくま新書 652)
小島 毅
筑摩書房 2007-04

by G-Tools

4569697755ラジオの戦争責任 (PHP新書 508)
坂本 慎一
PHP研究所 2008-02

by G-Tools


他、多数。
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コメント

あの戦争で:

いわお です。

私は以前、故山本七平氏の「私の中の日本陸軍」(文藝春秋)を始めとして同氏の著書を何部か読みました。そうして感じたことの一つは、「死なずに済んだ人を数多く死なせたのがあの戦争」だったと言うことです。

補給不十分のための餓死者。収容保護されれば社会復帰・戦場復帰も可能だったと思われる多数の傷病兵。援軍派遣も撤退も不可能な前線で繰返された玉砕戦…

戦後、戦犯処刑された方々もそれに加えたいと考えます。

靖國神社

 私の「英霊」の捉え方は、結果直接敵と対峙して、戦闘、玉砕、特攻で散った方々と、餓死であれ、先の方々と同じ思いで戦場に赴き、結果戻る事が無かった方々とに差異を持てないという考えです。
 もちろん、大量の餓死者を出した、その戦略・戦術・背景の研究や評価は、現代から見た物を含めて当然行うべきと考えます。

>もうひとつ、受け入れ難いのが、いわゆる靖国史観と呼ばれるものと、靖国神社を創建した側の論理です。
 遊就館でいつも上映している「私たちは忘れない」という映画( 企画・制作:日本会議、英霊にこたえる会)はその典型的な靖国史観だと感じます。
・これは仰る通りだと思います。
 ただ、当時の日本を知る意味では貴重な物だと思います。
 そして、受け入れ難いと感じる人が居るのであれば、私はそこに存在する価値があると思っています。

>当時は軍国少年だったという「戦争を語り継ごうブログ」の西羽潔さんも、この映画のことを「まるで 戦時中の『ニュース映画』を観ているよう」とおっしゃっています。
・これはつまり戦時中そのものだと証明して頂いているわけですね。
 
>戦争が終わり、客観的・国際的な視野で自国の歴史をながめられる環境になっているにもかかわらず、井の中の蛙だった当時日本の国内向けプロパガンダが60年以上たった今も繰り返されている場所。そんな感じを受けます。
・そのとおりでは無いでしょうか。
 ただ、遊就館に来て、60年以上前のプロパガンダに触れ、当時の国民はこれを「受け入れる」以外の道が無かったであろう事や、今は仰るように客観的、国際的な視野でこれを見る事が出来、自由に批判、評価が出来ると言う現実を悟る事もまた、重要なことだと思っています。
 それこそが、事実を認識して真実を探ることに繋がるとも思います。
 それには、他の場所では意味がないのかもしれないとも思います。

長文エントリーへのコメントありがとうございます

■いわおさん

>「死なずに済んだ人を数多く死なせたのがあの戦争」

それは日本兵にはもちろん、戦闘地となったアジア諸国の人にも言えそうですね。
山本七平氏の著作は読んだことはありませんが、その書評を見ると毀誉褒貶定まらない方のようですね。
余談ですが、自分は、基本的には論拠を明示する歴史学者・研究者の著作で史実を見るようにしていて、思想家・評論家・ジャーナリストの著作は距離をおいて、バランスを心がけて読むようにしています。

■tonoさん

>先の方々と同じ思いで戦場に赴き・・・

この部分は、心情的には理解できるのですが、少々無理があると感じます。
そういう人が沢山いたことを否定するわけではありません。
そうではなかった人も沢山いたことを見落とすわけにはいかないと思うのです。

また、靖国神社が、「当時はこう考えられていた」という説明付であの映画を流すのなら異論はないのですが、実際はそうではありません。

第一次大戦で西洋諸国の外交政策が大転換したことに日本が気づかぬままに、従来の軍国主義を引きずっていたことさえ説明しないから、いまだに「あの時開戦を決意しなければ日本は他のアジア諸国と同様、欧米の植民地になったはず」というような、あまりに実際の世界の歴史の流れとかけ離れた主張が出てくるのではないでしょうか。

日本に非は全くなく、ただ一人世界から理不尽な扱いを受け続けたというのは、確かに重要な情報を隠されていた当時の日本人の感覚だと思いますが、今もそのまま主張している為に、歴史に疎い人は60年以上前の感覚がそのままその人の歴史観となってしまっています。
それは戦後の歴史研究を無視していることにもなります。

そういう人たちの主張に対し、海外諸国が当時の日本を連想して警戒観を持つのは当然のことでしょう。
そのことが、戦後多くの人が苦労して回復し培ってきた日本に対する信頼を損ねることにならないか、ひいては日本の国益を損なうことになりはしないか、私はこの点を一番憂慮しています。


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