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[書評]「ラジオの戦争責任」 坂本慎一著   

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先日立ち寄った本屋で見つけて、思わず「あ!」 と言ってしまいそうになった本の書評です。

なぜ、そう思ったかというと、戦前にラジオが世論形成にどれだけ影響力を持っていたかということについて、すっかりノーマーク、盲点だったからです。

戦前の日本の国内世論は、戦争を支持もしていましたし、協力もしていました。なぜそうだったのかということに私はずっと関心があって、例えば新聞はどうだったか、とか、教育の影響は?、言論統制の影響は?・・・ということばかりに気を取られていました。

いや、それは私ばかりではないと思います。


書斎の方で紹介している本は、日本の戦争や近代史関係がほとんどですが、「ラジオ」という単語はほとんど目にした記憶がありません。せいぜい、開戦を告げる臨時ニュースか終戦時の玉音放送が出てくる程度でした。

(他に私が知っているのは、真珠湾攻撃の直後に行われた右翼思想家・大川周明がラジオ演説によって大東亜戦争の大義名分を国民に向けてわかりやすく説明した、ということくらいです。)

これはつまり、日本近代史研究家たちであっても、ラジオが当時の日本の世論に与えた影響について研究することを見落としているのではないかと。


戦争を煽った当時のメディアとして、新聞の戦争責任はしばしば語られます。しかし、同時に言論弾圧の話も出てくるため、どうも曖昧な議論に終始している気がします。

新聞報道と言論への圧力については、度々紹介してきた「太平洋戦争と新聞」に詳しいですが、ラジオの方は果たしてどうだったのか・・・・。

この「ラジオの戦争責任」を読み終えてからは、世論形成にに絶大な影響力を持っていたのは、新聞よりもむしろラジオの方ではなかったのかと、そんな印象をもちました。

-----
この本の序章には、「世界最強のマスメディア・日本のラジオ」というタイトルが付けられており、「それはいささか誇張しすぎでは?」とも思いましたが、読み終えてみると、日本独特のラジオ聴取文化などが反映していた事情などが解説されており、十分に納得させられるものでした。

ただ、著者も言及しているとおり、新聞などに比較してラジオ放送の歴史を概観することは難しいようです。そのため、この本の構成は、ラジオに関係した5人の人物を紹介することで、その影響力の程度を実感できるようになっています。

ちなみに、その5人の人物とは、

・高嶋 米峰
・友松 圓諦
・松下 幸之助
・松岡 洋右
・下村 宏

です。

松下幸之助、松岡洋右は有名ですが、他の3人は知らないという方も多いと思います。(私もそうでした)

本の前半では、高嶋米峰や友松圓諦の仏教についての講義(放送)や、松下幸之助のラジオ普及への熱意と実績などが書かれており、「どこがラジオの戦争責任と関係あるんだろう?」と訝しがりながら読んだのですが、通して読むことで、昭和初期の日本人がどれだけラジオの影響を受けていたのかを、よくつかめるようになっていました。

そして後半では、松岡洋右の雄弁さがどれだけ多くのファンを生み、日本の世論に影響を与えたかが見えてきます。

最後の下村宏ですが、この人物については別途紹介したいと思いますのでここでは控えますが、著者は「日本を終戦に導いた最大の功労者」と評しています。

『下村宏が企画したラジオによる玉音放送がなければ、マッカーサーが言うところの「世界史上まれに見る見事な終戦」はなかった』という著者の主張も頷けるところです。

-----
昭和の戦争については、軍の独走・暴走という面は確かにありましたが、世論がそれを支持したためにブレーキが効かなかったという一面も持っていると感じています。
国民の大多数が反対すれば、軍も自分たちの思い通りにはできなかったと言ってよいかと思っています。

戦争の終盤、継続か終戦かの意見が内閣でも真っ二つになっていたとき、阿南惟幾陸軍大臣は、『「一億玉砕」「最後の一人まで戦う」と熱狂している国民に終戦を納得させる方法はない』、と言って戦争継続を主張しました。世論が戦争継続を訴えているから、戦うのを止めることなどできないと言っているのです。
これは、軍部のの言い訳のようにも聞こえますが、たとえ当時の軍部であっても、世論を無視することはできなかった、ということへの証左になるのかも知れません。

そう考えると、「日本はなぜ戦争をしたのか」という疑問へのアプローチには、当時の世論がどのように形成されたか、それには何が影響したのか、という考察を省くわけにはいかないと、改めて感じます。

当時の日本は軍国主義ではあったが、独裁国家ではなかった。軍部を後押しした世論があったのも、あのような結果を招いた一因ではないのか?

その世論形成も、誰かが扇動すると言うよりも、あの当時の社会環境が大きく影響していた可能性も捨てきれない・・・誰かが意図すると言うこともなく、自然と戦争への道が作られてしまった・・・。

以前から漠然と思っていた私のこの予測が、この本を読んで少し見えてきたような、そんな印象を持ちました。

昭和史の盲点に光を当てたこの本の功績は評価されて良いと思います。
発刊されたばかりの本ですが、歴史研究家たちの目にとまり、昭和史研究がさらに一歩深まることを期待したいと思います。

・・・と書くと、難しそうな本というイメージを持たれるかも知れませんが、読みやすい文章で書かれていて、しかも新書ですので、手軽に読めて目からウロコが落ちる一冊としてオススメしておきたいと思います。

戦争の話を抜きにしても、現代の日本人が抱く聖徳太子のイメージや、日本人は勤勉であるという常識も実はラジオ番組の影響ではなかったのかと考えさせられたり、なかなか面白い本でもあります。

ラジオの戦争責任 (PHP新書 508)
ラジオの戦争責任 (PHP新書 508) 坂本 慎一


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コメント

興味深いですね。

ネトウヨと議論していると時折「当時国民も戦争を支持していた(だから軍は悪くない)」という主張を展開するウヨがいます。
もう、アホかと思います。
大多数が支持しようが間違いは間違いです。現状を見れば明らかでしょう。
日本の戦争が各国の独立を促進したという説も、最終的に各国が自国の力で独立を成し遂げ、日本が決定的な影響を行使できなかったという点で「画餅」でしょう。

「理想」が正しいから行動が正当化されるわけではないと思います。
それ故に「世論」に影響を与えるマスコミの誘導、政府の発表は眉に唾つけて見る必要がありますし、「影響の来し方」は知っておく必要があると思います。

なんか、かみ合っていないような・・・

■光太郎さん

光太郎さんがおっしゃるところのネトウヨは、何でもかんでも軍が悪くすべての責任も軍にあるというようなネトサヨ(?)への反発・反論かと思います。
良いか悪いかはさておき、当時はそれが正しいと信じて真剣になっていた人たちが多く、それで死んでいった人も多くいるわけですから、断定的に罵倒断罪するサヨクには反発したくなるのも仕方ないと思います。
もちろん、戦争が正しいか間違いか、で言えば、間違いだと考えていますが。

肝心なのは、良いか悪いか、正しいか間違いかという判断は、現代過去を問わずに様々な立場の意見に広く目を通しあの歴史の流れを客観的に見られるようになってからでも遅くはないということです。
だから早急な価値判断を下して、著しくバランスを欠いた主張には「もっと落ち着け、冷静になれ」と言いたいですね。

「被害者心情を理解している私たちはその味方なのだから、絶対に正しい」的なサヨクの発想も、
「当時の日本人は正しいと信じて戦った。それを罵倒する輩は歴史を歪曲している」的なウヨクの発想も、
歴史を見る上でのバランスの悪さは同じだと考えています。

>「理想」が正しいから行動が正当化されるわけではないと思います。

これは同感です。
正しいか悪いかの硬直的な価値判断ではなく、万人が支持する政策などありえないし、「理想」は立場や価値観によって異なるのですから、BESTではなくBETTERを模索する議論が必要だと思います。

>マスコミの誘導、政府の発表は・・・

眉に唾つける人は結構多いと思いますが、反発するものは疑い、持論の展開に優位なものは疑うことをしない人たちがまだまだ多いですね。
いわゆる「誘導」も、私利私欲が絡んでいるのかどうかの見極めも冷静にできない人が多いようですし。
だから冷静な議論が大切なはずなんですけどね。

国会でもネットでも、「議論」というには程遠いレベルなのが残念です。

玉音放送以前のエピソード:

いわお です。久しぶりにコメントします。
今月

昭和天皇:原武志 著(岩波新書2008年1月22日)

を購読しました。その中で、天皇が即位後の観兵式場で(1928年12月2日)勅語を朗読した際に、その声を中継放送のマイクが偶然拾ってしまったことがあり、以後天皇臨席場面の中継放送では、音声を消す処置が取られたとの記述があります。(p.88 および p.120)
このエントリの趣旨には外れるかと思いますが、一応参考まで。

お待ちしておりました

■いわおさん

今回のエントリーには、いわおさんからのコメントをお待ちしておりました。

当時ラジオがどの程度生活にとけ込んでいたのか、戦時中はラジオは「必聴」とされていたそうですが、どの程度聴かれていたものなのか、など、是非当時の想い出をお聞きしたかったものですから・・・。
(もちろん地方・地域によっての違いはあるかと思いますが)

>以後天皇臨席場面の中継放送では、音声を消す処置が取られ・・・

なるほど。ありがとうございます。
この『ラジオの戦争責任』でも、「この時代の天皇は・・・国民から出来るだけ遠ざけられるべきだと考えられていた(P.212)」とありました。

それゆえに、玉音放送の効果も絶大だったとも言えそうですね。天皇が直接国民に語りかけると言うだけで、誰にとっても想定外の重大事だとわかったわけですし。

もっとも、いわおさんは玉音放送は聞き損ねてしまったとのことでしたね。
(いわおさんのWEBサイトで拝読させていただきました)
でも、玉音放送を聞いた人でも、雑音でよく聞こえずに、「もっとがんばれってことかな」と捉えた人もいたそうですね。

戦時中のラジオセット:

いわお です。
早速のご返事恐縮です。H.P.にも書いたとおり私は終戦時10歳で、当時のニュースをどうこう言える歳ではありませんでしたが、札幌近辺でも空襲警報が発令されるようになってからは、ラジオによる刻々の情報は欠かせないものでした。これはどこでも同じことで、例えば内田百の日記「東京焼尽」(中公文庫)でもその辺の事情がよくわかります。

とはいっても、トランジスタ・IC化以前の真空管ラジオセットは、配電線のある所でしか使えず、駅や、市街地中心部から離れた農村部では縁のない物でした。また、放送局から遠い地域で使える球数の多いセットは一層高価なものでした。私が玉音放送を聴き損ねたのは、アース線(球数の少ないセットでは必須)が丁度接触不良を起こしたもののようで、直後に修理を頼んだりしたことは無かったと記憶しています。

現在はポケットに入れて使える性能のセットが100円ショップで買えるようですから、職場で電子機器を扱ってきた私としては感無量といったところです。

真空管ラジオセットのコレクションや修復を扱ったH.P.は数多くありますが、とりあえず下記の2つをご紹介いたします。少々技術的知識が要るかもしれません。

ハードウェアの話ばかりで重ね重ね恐縮です。今後のエントリを期待しております。

http://www.ne.jp/asahi/radiomuseum/japan/index.html

http://www.geocities.jp/antique_radio_exhibition/

■いわお さん

いろいろ興味深い情報ありがとうございます。

>また、放送局から遠い地域で使える球数の多いセット・・・

住んでいる地域によって、ラジオの機種も選択する必要があったのでしょうか?

戦時中のラジオセット(2)

再度コメント恐縮です。
>住んでいる地域によって、ラジオの機種も選択する必要があったのでしょうか?

そのとおりです。以前は各放送局ごとにその周辺の電波の強度分布を、
 強電界・中電界・弱電界・微電界・極微電界(少々不正確ですが)
などと名づけた地図があり、各地帯ごとにどの位の(真空管の)球数のセットが必要かの目安を示していました。

強力な放送局のある市街地やその周辺では、3~4球のセットで大体間に合いました。局から遠い地域では、高いアンテナを張ったり、高価なセットを購入したりで負担が大きかったと思います。

紹介したH.P.に当時の価格を表示したものがありますが、これを当時の給料と比較してみれば、ラジオセットもそう気軽に購入できるものではないと見当がつくと思います。


■いわおさん

こちらこそ質問にお答えいただいき恐縮です。

値段をざっと見ましたが、現在においてパソコンを買うよりも大きな出費になりそうですね。

この本には、それまで逆賊扱いだった聖徳太子の名誉回復、法隆寺の修復や、丙午生まれの女性に対する迷信の払拭などにラジオが果たした役割などのエピソードもあったので、かなり多くの世帯で聞かれていたのかなぁと思いました。

ありがとうございました。

はじめまして

はじめまして
「ラジオの戦争責任」で検索すると、こちらに辿り着きました。
本稿以外も拝読しましたが、大変興味深い内容だったため、コメントさせていただきます。貴稿から一部リスペクト、引用させていただき「放送記念日に読む『ラジオの戦争責任』」という記事をボクのブログにアップさせていただいています。
今後の記事も楽しみにしております。

■ラジオタ店長 さん

はじめまして。コメントありがとうございます。
ラジオタ店長さんのブログも拝見させていただきましたが、このような趣味の世界があることを初めて知り、大変興味深く思いました。
しかも昭和初期のラジオでBGMとは、お洒落ですね!

私が、なぜ国民は戦争を支持したのかという点について関心を持ち始めていたところに、この本との出会いはタイムリーでした。
著者の言うとおり、あの時代、ラジオが世論に与えた影響についての研究が進むことを期待したいところですね。

戦時中のラジオセット(3)

再び いわお です。

ラジオのハードに関するコメントを2つ書いた直後にこの本を見つけまた。

それからもう一つ思い出したことがあります。

戦前、一般家庭の配電線には、定額制(夜間のみ送電)・従量制(メートルつき、常時送電)の2種類がありました。私の一家が昭和14年から20年まで住んだ札幌駅近くの一戸建て借家には、この両方があり、定額制の方は専ら電燈に使用していました。いつの頃からかは憶えていませんが、昼間でもラジオのニュースの時間にだけ定額制の方も送電されるようになり、その間は昼間でも電燈が点いたのを思い出します。そして大東亜/太平洋戦争勃発の頃から、定額制の方も常時送電となりました。

定額制のみ配電、または無配電の世帯が当時どれ位あったかは知りませんが、夜間のみ、または全くラジオの使えない世帯がかなりあったと思われる時代の社会でも、ラジオがこれだけの影響を与えたとする著者の指摘には本当に感服しました。

■いわおさん

度々貴重なお話ありがとうございます。当時は常時送電ではなかったということは初めて知りました。またひとつ勉強になりました。

この本を読まれたのですね。
ラジオの普及率というデータだけでは見えてこない部分に光を当てたこの本の意義は大きいと思います。まさに歴史の盲点といえそうですね。

>ラジオがこれだけの影響を与えたとする著者の指摘・・・

ラジオを持っていなくても聞こえてくるし、職場でも話題となったり、放送の」速記録が出版されたり、と、当時の新聞と充分肩を並べられるほどの影響力を持っていたということは、私も通読して納得させられました。
そして、あの玉音放送は、ラジオの特性を最大限に生かした終戦のための下村の作戦だったということ、なぜ他の学者達が気づかなかったのか、とも思いました。

「生きて虜囚の辱めを受けず」とか「鬼畜米英」「米兵に捕まれば慰み者にされる」などの当時の常識(?)は、どのようにして日本人の間に広まっていったのかを知りたかったのですが、もしかしたらラジオでもそのようなことが流されていたのかなぁ、などと想像しています


はじめまして。「ラジオの戦争責任」は面白い本でしたね。
戦前のラジオ普及状態や国民に対する影響は、
竹山昭子著「ラジオの時代」に詳しく書かれています。

私も道楽でラジオ史の研究の真似事などをしていますが、
いわおさんが書かれている、
>配電線のある所でしか使えず、
>駅や、市街地中心部から離れた農村部では縁のない物でした

という記述には少々疑問があります。
当時は日本各地に川の流れを利用した、小規模な水力発電所がたくさんあり、
地元の電力供給を賄っていました。(現在のように大手電力会社の独占状態になるのは、のちの話)
よって、昭和も10年台に入ると、よほどの農村地帯でも電気は来ていました。
実際、わが村でも(未だに行政単位が”村”です)
ラジオはそこそこ普及しておりました。
最初に導入したのは、ラジオ商。次いで呉服屋。以後、商店が数件続き、
その後は、山林経営者や地主が次々にラジオを購入しました。

「ラジオの戦争責任」に記述があるように、1軒がラジオを買うと、
隣近所に聴こえるように大音量で流していた、というような話は聞いたことがありません。
そこそこ人口が多かった県庁所在地でも、わが村でも、そのようなことはありませんでした。
東京や大阪のような、人口密集地だけの現象だったのでしょうか?

いまだに笑い話になっているのは、
昭和初期の暖冬だった年、
「雪が降ってもすぐ溶けてしまうのは、ラジオの電波が溶かしているんだ」
という風説が、まことしやかに囁かれたことです。

追記です

そういえば、当時、
人里はなれた場所にある我が家では、終戦の事実を数日の間、知りませんでした。
家長が、当時のラジオの煽動口調のトーンや軍歌を嫌っており、日常的にラジオの電源を入れることが無かったため、当然玉音放送のことも知らず、
終戦後幾日か経って、野菜を分けてもらいがてら、数日分の新聞を持って来てくれた人に終戦の報を聞きびっくり。
(田舎だったため、新聞は家まで配達されず、集合ポストに入れられていたので、そこまで取りに行かなければならなかった)
みなさんも当時を知る方々がご存命のうちに、色々と聞いておかれると面白いと思います。

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