最近の事件や事故報道について書いている人様のブログ(特に政治系)を見てまわっていて、思ったこと。
たとえば沖縄の事件や、イージス艦と漁船との衝突事故などを、あたかも事実関係を自分がすべて知っているかのような前提で語る人の多さはいったいなんでしょう。
それでもって反対意見に怒ったり絡んだり・・・・・ホントにおつかれさまです。
でも、新聞・テレビ・ラジオの報道や、PCの前に張り付いてネットで調べればわかるというほど、「事実」は単純ではないと思います。
政治問題に発展したものについては、特に、「事実はどうだったのか」ということを軽視すべきではない、と思います。
報道は速報性も大事だけど、今報道されていることだけで「事実はこうだと思いこ」んで政治議論・活動に持ち込む人たちは、ちょっと待てないものだろうか?
メディアも探偵気取りかどうかわからないけど、憶測だけで結論をいそぎすぎじゃありませんか?
(その方が視聴率や購読部数が稼げると考えているからなのだろうけど)
その、「憶測であるはずの結論」を元に論陣を張っている人たちって、主義主張を問わず、私にはみんな同じ穴の狢に見えます。前にも書いたけど、右派も左派も同レベルってつくづく思います。
産経も朝日もバイアスが強いメディアだけど、右派も左派も、自分が嫌うメディアを裏返したところに真実があると思いこんでいるところがそっくりです。
※ここで言う右派・左派というのは厳密な意味を持ちません。便宜上、そう表現しているだけです。
■あえて判断を留保する冷静さを
論拠となっている報道内容は、どこまで事実なのか?そこが明らかにならない限り、やはりある程度の留保はしておくべきだと思います。
たとえば、先日被害者が告訴を取り下げて、米兵が不起訴処分となった沖縄少女暴行事件。
「沖縄」「少女」「米兵」などでニュース検索をすると、うんざりするほど数多くの扇動的な見出しや記事がヒットします。もう米兵が暴行したと確定済みかのような記事のオンパレードです。
ほかのブログで、「強姦は親告罪だから被害者が告訴を取り下げれば警察は捜査できない。申告を取り下げて警察が手を引いたということは、それは警察が強姦があったと認めたのと同じ」という趣旨のことを書いている人もいました。
そういう可能性も確かにあると思います。でもそうとしか思えないのなら、やはりそれは思いこみ、決めつけでしょう。
逆に、DNA鑑定が行われたという報道がないことから、某芸能人の暴行事件捜査と比較して、強姦はなかった可能性が高いのでは?という推論が成り立つことを指摘している方もいます。
仮に、実はよくある男女の行き違いだったとして、これだけ大騒ぎになれば少女の方としてもさすがに困惑して「もう、そっとしておいてほしい」と告訴を取り下げ、警察も事件性が薄いと判断したという可能性だってあるはず。
冷静に考えれば、事実を知っているのは当事者の少女と米兵の二人だけ。警察だってまだ捜査中だったし、だから米兵もあくまでも「容疑者」だったはず。
「少女の気持ちをもっと考えろ!」という意見もありますが、思いこみでレイプがあったと決めつけて騒いでいる人たちの方こそ、もっと冷静になって考えたらどうでしょう。
米兵を擁護するつもりも被害者少女を疑うつもりも毛頭ありませんが、極端な話、冤罪の可能性だって否定されてはいないのですから。
(もちろん、控訴取り下げというだけで「冤罪だった」と断定してしまっている人も問題)
「右派や保守系メディアによって告訴を取り下げさせられた」、なんて書いている人もいるけど、何を根拠にそう言っているのか?被害者の少女に本音を直接聞いたんですか?そんなのただの思いこみでしかないでしょう?
この少女の「そっとしておいてほしい」という言葉は、いったい誰に向けられたものなのか?
少女側の行動にも視線を向けた右派か?、それとも基地反対派か?、あるいは両方なのか?
■自分の思いこみを、自覚も検証もできない人たち
相手の主張に「一理あるかも?」というような譲歩は天地がひっくり返ってもあり得ない、相手が何を言おうと絶対に許せず罵倒することしか頭にない。嫌いな奴が言うことは、何が何でも反対で絶対に許せないという脊髄反射の押収ばっかり・・・。
そして「事実」と「当事者」はいつも置き去りです。
このように思いこみで語っている人たちが、歴史の捏造・修正(?)説を批判したって私にとっては説得力ありません。
(私がはてなの「歴史修正主義に反対します」リングに参加をためらう理由がそこにあります。)
「南京事件・慰安婦はねつ造だ!」というのは妄言レベルの思いこみだと思うけど、軍隊嫌いからくる思いこみや決めつけも相当にひどいものがあると思います。
(「軍隊が嫌いなこと」についてはどうこう言うつもりはありません)
そのような決めつけで語る人たちの存在が、「従軍慰安婦はねつ造だ!」などという主張に言質を与えてしまっているようにさえ思えます。
暴論を承知で言いますが、事件が起きるたびに「米軍基地があるからだ」というのと「在日がいるからだ」というのと、その思考パターンに違いはあるのでしょうか?
■事実についてすべて知り得る第三者など一人もいないはず
私たちが報道で知る情報というのは、あくまでも、他人のフィルタを通した断片的なものでしかない、ということを忘れてはいけないと思います。事件・事故の本人でもなければ目撃者でも当事者でもないのですから。
だからバイアスには常に留意する必要があるのです。
政治系ブロガーも、あくまでも現時点で報道された、「限定された一部の情報」と自分の「思いこみ」で語っているってことを、もっと意識した方がよいと思います。(ガス抜きでやっている人も多いだろうけど)
私もえらそうに言えた義理ではないけれども、ヒステリックになっている人達を見れば見るほど、「やっぱり事件(事故)を政治利用しているじゃんw」と皮肉の一つも言ってさしあげたくなります。
メディアが触れていない(まだ判明していない)あらゆる事実が存在する可能性を含めて考えてみなければ、メディアに煽られているだけ、はっきり言って思考停止です。
「確証バイアス」のエントリーでも書きましたけど、人は、自分の「推論」を証明することには力を入れるけど、それが間違っている可能性を予期するのは苦手なんです。また、間違っていることを示唆するような情報に対しては、拒絶したり無視したりしがちです。熱くなってくるとその傾向は強まるでしょう。
だから、「冷静になって考える」ことが大切なんだ、と声を大にして言いたいです。
■報道に熱くなることの怖さ
普段から各種報道に熱くなりやすい人たちというのは、どうしても戦前を連想してしまいます。
この報道にすぐ熱くなる傾向というのは、結構危険な気がします。
というのも、報道がきっかけで国際問題となり国家衝突へと突きすすんでいった事例は、過去にいくらでもあるからです。
・・・・と、ここまで書きかけましたが、先が長くなりそうなので、この先は次回へ<(_ _)>
■今回と似たような構図に疑問を感じた過去エントリー
・メディアリテラシーと長崎市長銃撃事件
・サヨクの方が怖いよ・・・
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こういうタイトルのエントリーを貼ると、さっそく拙ブログをネトウヨと早合点する人がいそうなので、下記エントリーにもついでにリンクしておきます。
・やっぱりウヨクも怖いよ
