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なぜ歴史にこだわる必要があるのか   

私は、ネット上にある質問サイトの歴史カテゴリーを勉強のためによく覗きます。

そこで先日、大変すばらしい、私が100%共感した書き込みを見つけましたので、転載させていただこうと思います。

私が普段から思っていること、主張したいことが見事にまとめられており、私が駄文を書くよりもそのまま転載した方が、拙ブログを読んでいただく方にも有意義かと思いましたので^^
枝葉にこだわり、戦争の本質を見ない、「日本は悪いことをした」「日本はアジアに貢献した」的な判断では、過去の歴史の本質を掴むことができません。

日本が選択した、「戦争を始める」と言う判断が正しかったかどうか、から物事を押さえなければなりません。

日中戦争や太平洋戦争の、国土が焼け野原になり、数百万の日本人の命を犠牲にした「開戦」の選択が、「政治判断として正しい」と考えるなら、中国や韓国などの言う「日本が再度攻めてくる可能性がある」と言う彼らの主張は、正しいと言えます。彼らの日本が「再度軍隊を大陸へ進めてくる」と言うのは、当然ながら空論に過ぎません。

「開戦」の政治判断は、誤りであったのですから。(焼け野原になって、多数の死者を出し、占領されるというのは、明らかな政治的失敗です。)  

日本人が「戦争を始めた原因」を十分に認識するなら、「再度軍隊を大陸に進める」ことはありえません。

ですから、日本人としては「失敗の原因が何処にあったか」徹底的に検証し、同じことを繰り返さないために、その点を次の世代に伝えなければなりません。これは、戦争で亡くなった多くの人たちに対する責任でもあります。

この「原因」を掴まなければ、何でもかんでも責任があるという自虐史観(日本人としての自立心を失わせます。)や、責任を認めない戦争責任放棄史観(中国や韓国の言う歴史認識がないことを証明してしまいます。)となってしまいます。

何でもかんでも当時の日本は悪かったと言う論も、悪い所はないという論も、共に「失敗の真の原因」を把握していない点では同じで、どちらも日本にとって有害です。

歴史をしっかり調べ「失敗の真の原因」を掴むことによって、同じ原因による失敗を繰り返さない未来を選択することが、はじめて可能になるのですから。

大東亜共栄圏などについて論じるときには、「戦争をはじめる」という大きな間違いの原因を把握せず、またはそれを明らかにしないまま、「副次的に発生した戦争の良かった点」「悪かった点を小さく評価」する論だけを主張するのでは、日本の将来の判断材料になりません。

特に、中国・韓国の主張に対して反論するためには、「ここまでが問題点で日本に責任がある」だから、「ここからは、責任がない」との論を展開せず、「責任がない」点だけを述べても、無責任・歴史認識がないと判断され、あしらわれるだけですし、日本の中だけでしか通用しません。

http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2708817.html

(読みやすさを考慮して、適宜改行を加えました。強調箇所は引用者による)

これは、「 大東亜共栄圏での、日本の東南アジア占領のようすはどのようなものだったのでしょうか?」という質問に対して寄せられた回答の中の一つで、sudacyuさんという方の書き込みです。

もう、ホントにsudacyuさんのおっしゃるとおりです。
私もこういう見識と文章力を持てるようになりたいと、強く思いました。

こういった質問サイト(歴史カテゴリー)では様々な方が回答を書き込むので、いろいろな意見や情報を比較でき、歴史関係のブログを巡回して読むよりも効率的な勉強ができるように思います。

(もちろん中にはどーでもいい書き込みもありますが(笑))
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コメント

こんにちは。
ごく簡単に一点だけ。このかたの議論ですと、もし日本が過去の戦争に勝っていたとしたら、開戦への政治判断は正しく、反省する理由はないということになります。ここでは中韓の反発が取りあげられてますが、ほんとうに日本が戦いに勝っていれば彼らの反発はなかったのでしょうか?おそらく、そうではないでしょう。とすれば、これもやはり内向きの理屈と言えないでしょうか。

■mujinさん

想定外の方向からのご意見ありがとうございます(汗)

>もし日本が過去の戦争に勝っていたとしたら・・・

そうきましたか^^;
でも、戦争に勝った場合のことについては、この方は何も言及していませんし、おそらく米英に対しても正しかったとは言わないと思いますよ。
(もちろん私の想像ですが)。戦争や政治を語るときに、論理学的な手法による指摘はあまり適さないかなぁ、と・・・。

>これもやはり内向きの理屈と言えないでしょうか。

たしかにそういう見方もできると思います。
ただ、あのような状況になったときに、戦争を避けるためにどういう政治判断・行動をするべきだったのか、あのような判断をした背景には何があったのか、は押さえておくべきであり、その反省を「今後の日本にどう生かしていくか」、ということに歴史研究の意味がある、というのが彼の主張でしょう。「内向き」に見える理由は、そこかな、と。

私はあの大戦には、日本だけでなくアメリカや中国側にも原因があると思っています。平和な暮らしをしているところに突然異民族が押しかけてきたという大航海時代のような、明らかに侵略国側に原因があるものとは異なりますから・・・。

もちろんその時代に日本政府が課せられた内外の制約について度外視しているわけではなくて、わたしがここで着目したのは、このかたの議論だと、当時の日本が対外的に加害者であった事実を看過しているということでして、被害者を日本国民とするならば、その加害者は日本政府であり、そうして加害/被害の関係が国内で完結し閉じてしまっていることなんですね。そのような関係ももちろんありましたけれども、それと同時に対外的には日本総体として加害者の立場でもあったわけですが、このかたの議論には一切それが視野に入ってこないし、そうすると必然的に反省の対象ともならない。いじわるな見方をすれば、「あれは負けたのが悪かった、こんどは勝てる戦争をしかけよう」と言ってるかのようにも見えます。それがかれの真意であるかどうかは脇に置いていただいて、そのつもりで読めば全くの矛盾なくそう読めてしまうことにはまったく瞠目すべきでして、おそらく中韓の人々の多くはそう読んでしまうだろうと思います。
しかし国民に対する政府の責任を問うだけでも、この社会では相当な困難があるのだろうなあという感慨はありますね。本来ならば保守をもって自負する人たちにこそ求められる言葉であるはずなのですが…。

わたしは、このかたの「書かれていること」については大いに賛成できてまして、なにも反対するところはないのです。ただ、決して看過できるほど小さな問題ではないはずなのに、ここには「書かれていないこと」がある、というところに引っかかりを感じるわけですね。なにが書かれていないか、ということについて注意をはらっているのです。

■mujinさん

なるほど、再度書き込んでいただいたことでmujinさんのお考えとおっしゃりたいことがやっとわかりました。
ありがとうございました。

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