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昭和8年のゴーストップ事件(進止事件)-1   

久々の更新ですが、天木直人氏がブログで「ゴーストップ事件」について書かれていたので、便乗して(?)触れておこうと思います。(この事件については、いつか書いておこうと思っていたので。)

ごくごく簡単に、どういう事件だったのか紹介すると、「ある一等兵が大阪市の天六交叉点で赤信号を無視したことがきっかけで、日本の軍部の暴走が始まった」というものです。

・・・・って書くと、「なんだよそれ」ってツッコまれそうですが(笑)、実際に、軍と警察が激しく対立、目撃者は軍と警察の事情聴取に堪えかねて自殺、最終的には昭和天皇が口を出すまで約半年間もめつづけたというものです・・・。



TAIHEIYOSENSOU_TO_SHINBUN

結果的には、軍人が法を超えたとさえ言える存在となってしまったきっかけとなる事件の一つとしての意味も持っているようなのです。

もう少し詳しく紹介するために、今回も静岡大学教授 前坂俊之氏の「太平洋戦争と新聞」から引用してみたいと思います。

ちなみに、この本は、昭和初期の日本で起きた事件や戦争についてマスコミはどのように伝えたかについて解説したものですが、事件の概略とマスコミへの圧力の様子などを知る上でも、大変参考になる本です。


P.208~

その重大な岐路となったゴー・ストップ事件の発端とは、まことに愚にもつかぬ兵士と巡査のけんかであった。『大阪朝日』によると、事件はこうである。

昭和八年六月十七日午前十一時ごろ、大阪市北区天神橋筋六丁目の新京阪電車前市電交差点で赤信号なのに歩兵第八連隊第六中隊所属の中村政一1等兵(24)が横断した。

これを見ていた曽根崎交通巡査、戸田定夫(27)が注意したところ口論になった。 二人は天六巡査派出所内で殴るけるのケンカに発展、中村一等兵は左鼓膜が破れる三週間の負傷、戸田巡査も下口唇に一週間のケガを負った。

昭和史に刻まれる大事件に発展したこの事件の発端は、このようなささいな一等兵と巡査のけんかであった。赤信号なのに無視して渡った兵隊に過失があった。もし、ここで中村一等兵が不注意を認め、謝っていたならば、ことは簡単にすんでいたであろう。

現代と違って交通信号機がまだ珍しい時代(日本初の信号機設置は昭和5年)です。歩行者の信号無視であっても、交通安全を守るのも任務の巡査としては見逃せなかったのでしょう。

ところがどちらが先に手を出したかということで、上等兵と巡査の証言が180度食い違っていたようなのです。このような軍人と警察のあいだのもめ事はそれまでにもよくあったそうですが、この事件について、軍部は非常に強硬な態度に出たようです。


P.209~

ところが、軍部はこれまでと違って強硬だった。二十二日、軍部はこの種の事件では例のない長文の声明書を発表。

「中村一等兵は全く抵抗しておらず、仮に非行をしたにしても憲兵隊に通知して引渡せば足る」として「皇軍組成の一分子に対する警察官の不法暴行事件で皇軍感情に関する重大問題」と非難した。

それまで、「一兵士一巡査の偶然的事故、警官が皇軍を侮辱したものではない」と黙視していた警察側も俄然緊迫。

「軍人と警官が殴り合いをしたのは実に遺憾だが、軍隊が帝国の軍隊なら、警官も帝国の警官で、その間断じて軽重はない。共に国家の重大任務を負担している点にいささかの軽重もあるべきでない」と真正面から受けて立ち、軍部を批判した。

事態は一挙にエスカレート、大阪地方検事局にもち込まれた。和田検事正は「事件そのものはたいしたものではないが、両者の神経がかくも先鋭化している以上、検事局は双方の体面を考えて処置しなければならぬ」と語った。


日本の近代史について色々な本を読んでいると、この「帝国の軍隊」または「天皇の軍隊」という特権意識のようなものが、随所で様々な影響を及ぼしていたことをとても強く感じます。

その点については別途書くつもりですが、大正デモクラシーの時代、軍人が軍服で列車に乗っただけで一般人から罵倒されていた時代とはエライ変わりようです。満州事変がそのきっかけだったという説もあるようですが、ほんの数年での日本国内の「空気」の変わりようには驚かされます。

日露戦争勝利後、軍人が日本国民のヒーローとなり、第一次大戦後は「もう戦争は起きない」との意識から軍人が蔑まれる時代を経て、昭和5年(1930)の統帥権干犯問題あたりから再び軍人が絶対的権力を手中にするようになる・・・

話がそれました・・・ 


P.211~

事件後一ヵ月、大阪憲兵隊があっせん役を降り、中村一等兵は戸田巡査を名誉毀損、傷害などで告訴した。警察側も負けておらず中村一等兵が交通違反をそれまでに七回も犯していたことを暴露、ドロ試合と化した。

事件解決は長びき、第四師団対内務省の争いに発展、互いに意地とメンツから負けられぬ一戦となった。 荒木貞夫陸相も現地に乗り込み、全国在郷軍人会が応援、警察側も内務省警保局や各府警警察部がバックアップした。

和田検事正はなんとか円満解決を目ざしたが、軍側が謝罪と戸田巡査の処罰を要求して強硬姿勢をくずさず事件は完全に暗礁に乗り上げた。


長くなりそうなので、この続きは次回へ・・・


■参考書籍
太平洋戦争と新聞 (講談社学術文庫 (1817)) 太平洋戦争と新聞 (講談社学術文庫 (1817))
前坂 俊之

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