一旦、南京事件から離れて、その前に書いていた下記エントリーの続編を書こうと思います。
(1)大東亜戦争・・・自衛のため?アジア解放のため?
(2)昨日のエントリーの補足・昭和初期の軍事費について
(3)日本が行った戦争は、アジア諸国の独立に役立ったか
で、前回、御前会議で「帝国領土とする」と決定されたのは(マライ、スマトラ、ジャワ、ボルネオ、セレベス)は右図のような地域です、と地図を載せましたが、現在の国名を書いていませんでした・・・。気がきかなくてすみません<(_ _)>
地図でも示した「帝国領土とする」とされた地域は、現在はインドネシア、マレーシア、シンガポールですね。
ところで、以前から何度も書いていますが、私は学生時代は歴史が苦手で、授業中は教科書への落書きに専念しておりました(^O^;)
(だって、歴史教科書って、落書きの素材に最適な人物の肖像画や写真が豊富だし(笑))
そんな歴史に無知な私が、2年ほど前にネットで、「インドネシア独立のために戦った日本人がいた」という話を読み、下のような動画を見て感動していたこともあった訳ですが、 日本の国策としては、「帝国領土とする」と、まったく逆だったというわけで・・・。
「インドネシア独立に情熱を傾けた日本人」
当時の主要な産油地域はアメリカとインドネシアだったそうで(中東は現代とは比較にならないほど少なかったらしい)、アメリカから石油の輸出を止められた日本にとっては、インドネシアはどうしてもおさえておく必要がある地域だったようです。
宗主国だったオランダを日本軍はあっという間にやっつけ(オランダ本国はすでにナチス・ドイツに占領されていたので手が回らなかったのかも知れません)、当初は結構歓迎もされていたようですが、日本の軍政下では、現地の人達の反感も相当買ってしまったようです。
当ブログの別館(近代日本動画資料室)で紹介したこの動画の中には、次のようなあるインドネシア人の回想がありました。
日本の占領が始まった頃、日本はインドネシアに対して「兄」のような親密な態度を見せていました。 しかし、新聞に日本軍勝利の記事が少なくなるにつれ、日本は「弟」の私たちインドネシアにむけて苛立ちを爆発させるようになりました。「バカヤロー」とビンタが頻繁に飛び出すようになり、憲兵隊は傍若無人になっていったのです。
主人である日本がバカヤローの原住民を監視しなければならないという態度に変わっていきました。
また、「私の好きなインドネシア」というサイトの中には、インドネシアで使われている高校用歴史教科書の日本占領統治時代の章が紹介されています。
↓
・「インドネシア歴史教科書「日本軍占領時代」
転載は控えさせていただきますが、日本の占領について、「インドネシア独立への準備促進」という面に触れながらも、「日本による占領時代は、インドネシア史上最悪の時代」と、相当に手厳しいようです。約340年のオランダ植民地時代よりも、4年弱の日本統治時代の方が酷かったと・・・。
その教科書の内容は日本語に訳されています。
↓
・「日本占領時代におけるインドネシアの社会生活」
・・・やはり、歴史を学ぶ順番としては、「日本の国策としてインドネシアを大日本帝国領土としようとした」ことが先にあるべきでしょうね。
終戦後「一部の日本兵が独断でインドネシア独立のためにともに戦った」ということばかりを強調して、「日本人として誇りを持てる教育を!」というのは、今の私にはやはり違和感が感じられます。
日本人として誇りを持つ教育をするのなら、過去の苦い歴史も真摯に見つめて反省し、新しい日本として生まれ変わったことなのではないか、と・・・。
補足:
1945年の日本の敗戦後、オランダは再び植民地化のためにインドネシアにやってきたわけですが、2005年の独立記念日にそのことについてオランダ外相が謝罪したようです。
■参考サイト
・日本のインドネシア占領と独立運動(歴史学者:藤原 彰氏 講演録)
