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TOP > 南京事件(1937) > title - 南京事件の「皇軍」に対する当時の日本人の嘆き

南京事件の「皇軍」に対する当時の日本人の嘆き   

昨日のエントリーで、
太平洋戦争と新聞 (講談社学術文庫 (1817))
『「果たしてこれが皇軍か」と嘆いたのは、確か外務省の石射猪太郎だったかな?(ちょっとうろ覚え)

と書きましたが、その部分が書かれた本を本棚から探し出してきましたので、メモ代わりに引用しておきたいと思います。

今回引用するのは、 前坂俊之著「太平洋戦争と新聞」という本で、以前から拙ブログ左側のおすすめの本のところにも掲載しているものです。 


 


P.332~

当時の外務省東亜局長・石射猪太郎は、1938年1月6日の日記に、

上海から来信、南京に於ける我が軍の暴状を詳報し来る、掠奪、強姦、目もあてられぬ惨状とある。
嗚呼、之が皇軍か


と記述している。

※元資料:石射猪太郎 『外交官の一生』 中公文庫P.332~P333 (1998年)

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ちなみに、この外交官・石射猪太郎氏(右写真)は、盧溝橋事件では不拡大方針を強く主張して懸命に事変拡大阻止に動いた人です。

この時代の事を調べていると、石射猪太郎広田弘毅とのやりとりなどもよく出てきます。 (広田弘毅は、文官では唯一のA級戦犯)



もうひとつ、この本の中から当時の軍紀退廃を嘆いた軍人の話を引用しておきます。

その軍人とは、杉本五郎中佐。
P.332~

当時の軍人の座右の書であった『大義』(1938年5月刊)の著者・杉本五郎中佐は37年9月に内蒙古で戦死したが、その『大義』の中で伏字となっている部分がある。

現在、大陸に居る皇軍は侵略軍であって皇軍ではない。

暴行、掠奪、強姦などほしいままにしているような軍隊は断じて皇軍ではない。

・・・・・・・・・ただちに大陸より軍を撤退せよ。


※元資料:洞富雄『南京事件』 新人物往来社 P.188(1972年)

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 杉本五郎中佐が批判している支那派遣軍の実態も、昨日紹介した親泊朝省の批判とほぼ同様と捉えられるかと思います。

杉本五郎中佐は1937年9月に戦死しているので、同年12月の南京陥落時には生きていないわけですが、大陸での日本軍の様子を示す資料として参考になるかと思います。

(右写真は、 杉本五郎中佐の遺言本『大義』。 画像クリックで、『大義』を紹介しているサイトにとびます)






他にも、当時の関係者が、支那事変、特に南京に於ける日本軍の軍紀の乱れを認識していたという資料はいろいろあるようです。

その中には、松井石根司令官が解任された理由のひとつに、この軍紀の乱れがあった事を示唆す文書もあります。(下記引用部分は、読みやすくするため少し編集しました)
(略)
松井大将の召還理由として半官報は次のごとく報道し居れり

(イ)松井大将は、多弁を弄し外国側を刺激せること

(ロ)南京その他占領地帯における軍紀廃頽は外国新聞に報道せられ、外国の世論不利に赴けること

(ハ)軍事行動の不進捗

20071219
(クリックで拡大)
「日本ノ対支行動行詰ニ関スル特別通信ノ件」1938.3.22
アジア歴史資料センター:B05014001200



南京事件については、ネット上だけでも様々な説や意見が飛び交っていて、事件概要をつかむのさえ少々努力を要すると思います。それゆえ安易な結論や説に飛びついてしまいがちだと思いますが、そこはぜひ冷静になって、理論的に考えていくのがよろしいかと。

また、ここで示させていただいたように、当時からこの事件(というか支那派遣軍の軍紀退廃)を認識していた日本人による資料もあるわけですから、せめて「日本人がそんなことをするはずがない」説とか、「南京虐殺は東京裁判で原爆の罪を相殺するためにアメリカが捏造した」説ってちょっと怪しいかもね、ぐらいには思っていただけるかなぁ・・・と。


■関連過去エントリー

南京事件を批判して自決した軍人がいた

支那事変勃発から一年半で732名も

支那事変時の軍紀の乱れの特徴

 


■参考リンク

日本近代史と戦争を研究する 中支那方面軍司令官・松井石根の解任

『大 義』 杉本五郎

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コメント

こんにちは。maroon_lance formally known as 槍栗中尉です。
私の持っている大義は戦前版のため、伏字の部分が知りたいと思っていましたが、なるほどこういう文章が入るんですね。前後の文脈からなんとなく想像は出来ましたが。勉強になりました。ありがとうございました。

本日も知らない情報をありがとうございます。
皇軍に誇りを持っていた指導者達がどのレベルを恥ずべき行為と思ったのか今となってはわかりませんからね。実際のところ。現場の記者、兵士
は知らないというコメントも多々あるので、ほんとにわかりません。そんなことも踏まえて数冊読んだのと、安全区を歩いた感想として、
私の現時点での理解は、
・南京防衛司令官唐生智は下関から逃走してしまったので、司令官がいない支那兵は正式に降伏する術を失っていた。
・そして、日本軍は、降参してくる支那兵、攻めて来る支那兵とどう判断して良いかわからない状況に陥り、現場は騒然となった。その中には降参したつもりだった支那兵の中に殺されたものも複数でた。
・逃走する支那兵の中に掠奪、暴行も複数存在した。
・その中に恥ずべき動揺な行為を行った日本兵も存在した。
・今となっては日本軍が何人殺したなどということはわからず、統制を失った支那兵とそれに乗じて問題行動を起こした一部の日本兵による事件である。

左派の人が書いてる本はよくよく読んでみると、戦闘行為としては何も問題ないことも誇張して書いているような気がします。
例:南京事件(笠原氏著)もはや、戦闘的には無力で、あらゆる手段をつかって渡江しようと長江の流れに漂う群衆が、殲滅の標的にされた。とかの記述。投降せず逃げる行為は攻撃の対象になるのは何も問題ありません。軍事知識の欠落か?
右派の人で良く聞くのは、「目撃情報ではなく伝聞である。よって、当てにならない。」これも困ったものです。(私は勝手に思っている。)

客観的に見ることは非常に難しい・・・

南京の戦闘は

 まだまだ解らないことが多いですね。
 私は少なくとも「日本兵の犯罪行為は皆無であった!」というのは最初から「それはない!」と思っています。
 何度も言うように、殺人が正当化され、正義であり時に誉れであるという異常な価値観の中に、我が身があったらと考えたときに、どれ程、正常な判断や行動が出来るのか自信もなく想像も付きません。
 私は自分では普通の人間だと思っているし、先人も普通の日本人的な礼節を持った人が大半だと思います。
 そういう、倫理観や正義感の強い人ほど、その価値観がひっくり返っている世界に置かれると、動転するのかも知れません。
 敵を人間と見れば、葛藤が始まり命を落とす。従って敵は「卑属」であり「鬼畜」でなければ戦えないのでは無いかと推測します。
 後は、上のfuyunekoさんもおしゃっているように、恥ずべきレベルが兵隊全てを聖人君子であるが如く期待しているのか、他国の軍に比べても許し難い程酷いのか等の目線もありますね。
 当然「高望み」すれば嘆きは大きいでしょうし「高望み」の背景が、もしも過去の日本軍はそうであった!のなら尚のことでしょう。
 私は斯様な先人達を非難する資格も無いし、非難するつもりも毛頭ありませんが、私の体験できない壮絶な世界で、普通の人間がどう生きられるのか、それこそ命を賭けて示している事から目を背けずに教訓としていくことが、先人に対する恩返しだと思っています。
 

コメントありがとうございます

■maroon_lanceさん

さすがmaroon_lanceさん、「大義」をお持ちでしたか。
maroon_lanceさん作成のカルトQが一問も解けなかった私でもお役に立てたようで、照れますな(笑)

当時は「大義」は大部売れたみたいですね。ちょっと検索してみたのですが、「こんなに素晴らしい事が書いてあるのに、なんで伏せ字の部分があるのだろう?」と不思議に思っていた人もいたみたいですね。


■fuyunekoさん

唐生智の決断がもう少し早ければ・・・というのはありますね。
軍人が引き際を決断するのは難しいのでしょうが。

で、
>今となっては日本軍が何人殺したなどということはわからず、統制を失った支那兵とそれに乗じて問題行動を起こした一部の日本兵による事件である。

と書かれておりますが、捕虜の処分についてはいかがでしょう?
(この後に私の意見を書こうとしたけど、長くなったのでエントリーとして一本たてる事にしました)


■tonoさん

私見ですが、「戦闘行動」と、当時の日本軍の兵站の常識であった「徴発」行動や「駐屯地での行動」を整理して考えた方が良いと思います。あと、「兵士個人の心情や責任」と、「国家・軍という組織としての意志・責任」も、です。

あと「他国の軍に比べても」とされていますが、他国と比較して相対化することは、何があったのか事実関係を把握してから考えるべきだと私は思います。他国との相対化は真相に近づくためには余計なバイアスとなるおそれ大かと。

以前にも書いたような記憶がありますが、非難する事と、事実を調べて明らかにする事はまったく別のことです。
当時の行いを反省し詫びている元日本兵の方達も沢山いるのですから、そういう声にも真摯に耳を傾けるべきだと私は思います。

唐生智は私の記憶によるとそれほど蒋介石から権限は与えられていなかったはずです。仮に唐生智に権限が与えられていたら、日本軍に降伏する通達を出すべきであったと思いますけど。逃げるのはやはり指揮官としてはまずいと思います。

捕虜の処断については管理人様の記事を読んでから私なりの理解を展開させて頂きます。

それにしてもまだ生存者がいる近代史レベルでこれだけいろいろな意見が出るということだとこれまで学んできたことはいったいどこまで正しいのかわからなくなるのが正直なところです。

毎度語意不足で申し訳ないです。

>「戦闘行動」と、当時の日本軍の兵站の常識であった「徴発」行動や「駐屯地での行動」を整理して考えた方が良いと思います。
・これは私も最初そう思ったのですが、元兵隊の方の話等聞くと(今のところたった、2人ぐらいですが)
 「弾を撃っているときや、突貫している時だけが戦闘じゃないんだよ!」
 「内地ならともかく、駐屯地であろうが何時背後から撃たれるか、砲弾が飛んでくるか解らない恐怖は同じ、寧ろ突撃している方が楽と思うことさえあった」
 事実関係の分類として整理するのはあると思いますが「駐屯値にも拘わらず・・・」「戦闘行動とは違う」等は、個人的には違和感を感じています。
 
>「国家・軍という組織としての意志・責任」も、です。
・国歌・軍の意志が、組織上どこまでなのか難しいですが、それは私もそう思います。
 また、その対象が対国民か対外国かでも違うでしょう。
 なお、戦争である以上、自国の国民の被害は国にあると思いますので、対外国人はその国が代表する物と考えます。

>あと「他国の軍に比べても」とされていますが、他国と比較して相対化することは、何があったのか事実関係を把握してから考えるべきだと私は思います。他国との相対化は真相に近づくためには余計なバイアスとなるおそれ大かと。
・言葉が足りませんでしたね。相変わらず文が下手で申し訳ないです。
 歴史は「事実」がスタートだと思っていますので、その「事実」の背景・環境等を合わせて「真実」が見えると考えています。
 従って「外国と比べて・・」と言うのは、j.seagull さんも書かれている「当時の日本軍の兵站の常識であった」の「常識」の様な意味合いです。
 法律で言えば、条文に対して「判例」的な物でしょうか?
 例えば「当時の日本軍の常識」は「日本軍だけの常識か」「世界の常識はどうであったか?」は「真実」を探求する上では重要な要素ではないかと思うからです。
 これを省くことは寧ろ「バイアス量」すら解らなくなるのではないかと考えている訳です。
 
>以前にも書いたような記憶がありますが、非難する事と、事実を調べて明らかにする事はまったく別のことです。
・激しく同意です。
 私の言う「真実」とj.seagull さんの「事実」が、最終的には同じ事を言っていると思うからです。

>当時の行いを反省し詫びている元日本兵の方達も沢山いるのですから、そういう声にも真摯に耳を傾けるべきだと私は思います。
・私もそう思います。大変貴重な本音の声だと思いますから。
 あくまで自分のやってきたことは正しかったと言う方も多いのも事実ですね。
 私はかの方々が、現代の平時に我に返って、異常時の行いに対して、自己をどう評価する事が、自分に対して、他の生き残った方々に対して、或いは死んで行った戦友に対して一番良いのか、ある意味どうすれば、自分は楽になれるのかという事を模索し、葛藤した結果の各々の方の言葉であろうと思います。
 また、多くの何れも語らない戦争体験者の方々がおいでになる事実も見逃してはならないと思います。そう言う方々の思いにこそ真実がある、本当のサイレントマジョリティーとはそう言う物ではないかと思っています。

 あっ! 色々と書きすぎました。
 ここは、まず日本悪し!ではない、何でも日本は正しい!でもない、貴重な私の情報源の一つです。
 これからも良い記事を沢山書いてくれることを期待します。
 ありがとうございました。
 今日はこれで、失礼致します。

紹介されたHP”『大 義』 杉本五郎”の一番下、第十七章戦争で赤字になっている部分は確かに原本では伏字になっています。ふと思い出して探したところ、宮武剛『将軍の遺言』でも赤字部分はそっくり引用されていました。なんでも昭和18年に岩手の神民塾が復刻したのだそうですね。URLを削ってトップへ行くと、『国防の本義と其の提唱』外興味深い文章が多数アップされています。なかなか凄いHPを紹介していただきありがとうございました。

■fuyunekoさん

生存者がいるからこそ、迷惑を掛けたくないと、本当のことを語らない(語れない)人もいますし、冷静かつ客観的になれない人も少なくないのだと思います。
ましてや皇国史観の思想的末裔達のプロパガンダがまだまだにぎやかですし・・・。
何百年も前の歴史を見るのと同じ感覚であの時代を眺められれば、些末な部分はともかくおおまかな史実は見えてくると思っています。


■tonoさん

長文コメント有り難うございます。
全部にお答えすることはできませんが、ひとつだけ。

「当時の行いを反省し詫びている元日本兵の方達」に罵声を浴びせる人達がいますね。(もちろんtonoさんから見ても許せない行為だと思いますが。)

たとえば映画監督で番組製作会社社長の某氏は自分の番組内で、南京事件について証言する元日本兵について、「嘘つき爺」「日本人かお前は」「 我々の手で処刑してやる」とまで・・・。
http://www.youtube.com/watch?v=HkCAzsp6Rdk

命がけで闘い一歩間違えば靖国神社に祀られたかも知れない人に対して、自分達の主張にそぐわない意見だからと、この発言・・・。
しかも南京事件についての知識は、ど素人の私から見ても相当いい加減なもの。
こういう結論ありきの人達の南京事件への態度には、私は強烈な嫌悪感を抱いております。


■maroon_lanceさん

紹介した『大 義』 のサイトは、このエントリーを書くに当たってちょっと検索して見つけたものですので、以前から知っていたわけではありません(^_^;)
でも、maroon_lanceさんのツボに入ったようで♪
ひょんなことから興味深いサイトを見つけたりしますから、ネットにみなはまるんでしょうね。

然り

>こういう結論ありきの人達の南京事件への態度には、私は強烈な嫌悪感を抱いております。
・同感です。
 私とj.seagull さんの知識量・質には雲泥の差があり到底私の及ぶところではありませんし、手法やアプローチに違いはあると思いますが、「真実」を知りたい気持ちは同じであると思います。
 私が、プロパガンダへの意識的な対抗扇動を相当寛容する!というよりすべき!というスタンスを取っている事はお判りと思います。
 しかし、いや、だからこそ斯様な生死の境界線を越えて生き抜いてこられた先人の生き様を教訓とせず、あまつさえその先人に対し上から目線での「糾弾」「罵倒」等は絶対に看過出来るものではありません。
 日本人を語るなら「恥」を知るべきは誰か良く考えて貰いたいと思います。
  

最近読んだ、ヘレン ミアーズという方の本にとても感銘を受けました。
是非、勧めたい。

ちなみに、自分は南京事件の際、便衣兵とともに、一般市民にも攻撃してしまったかもしれないが。虐殺はなかった説を信じています。
便衣兵がはびこる中、一般市民とも区別もムズカシっかったと思いますし・・・・、戦場では(疑わしきは殺せ!!!)、これは、今の戦争でも同じです。国際法を無視して、便衣兵によるゲリラ戦を行った中国軍の非もあるのでは???

中帰連のかたは、盛んに日本悪玉の証言(嘘と証明されるもの多々)をされるので、遺憾に思います。しかし、彼らも犠牲者だと思うと、かわいそうにも思う。日本人が、証言や写真を事実とすぐに考える人がいるのも原因だと思いますが・・・

日本人は反省をすることはもちろんだが、先の大戦で日本を守ってくれた先人を誇るべきだと思います。

自分は高校生なので、文章も下手ですいません。
頑張ってください。
大学生になったら、自分もたくさん本を読んで勉強します。

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