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支那事変勃発から一年半で732名も   

1937年の南京事件や従軍慰安婦問題について色々調べていると、当時の日本軍の軍紀・風紀の問題がでてきます。

南京事件については、便衣兵(というより敗残兵かと思いますが)の掃討と捕虜の処断の他に、略奪・暴行・強姦の問題がでてきます。

慰安所については、強姦事件の多発がその設置の一因とも言われているようですね。

いずれも当時の軍紀・風紀がどのようなものだったのかを把握しておくことは、南京事件や慰安婦問題を知る上でおさえておいた方がよいポイントかと思います。

特に日露戦争の頃などについて、私は「日本軍の規律は厳しく正しい」という漠然としたイメージを持っていたので、略奪、暴行、強姦などといっても、そのようなものはきっと「ごく一部の不届き者」によるものだろうとずっと勝手に思っていたのですが、果たして1937年の支那事変の頃はどうだったのか・・・。



gunki-sinsaku
南京事件でも慰安婦問題でも、それらを扱った本によく引用されているのが、昭和15年(1940)の陸軍省による「支那事変ノ経験ヨリ観タル軍紀振作対策」(右の写真)という文書です。 

表題から推察されるとおり、「支那事変では軍紀上の問題があったから、その経験を生かした対策を」という冊子です。

軍の上層部では、軍紀の弛緩を把握し問題視していたという、ほかならぬ証拠としての意味があるわけですね。


一部引用してみます。

gunki-3


事変勃発以来の実情に徴するに赫々たる武勲の反面に掠奪、強姦、放火、俘虜惨殺等皇軍たるの本質に反する幾多の犯行を生し為に聖戦に対する内外の嫌悪反感を招来し聖戦目的の達成を困難ならしめあるは遺憾とする所なり

(カタカナはひらがなに直しました)
※右図はクリックで拡大。赤傍線はJ.Seagull




犯罪の内容とともに、皇軍の「聖戦」遂行上も軍紀の乱れは問題ありと認識していたようです。

そして、タイトルに書いた「732名」というのは何かというと・・・

gunki-2


  支那事変勃発より昭和14年末に至る間に軍法会議に於いて処刑せられし者は掠奪、同強姦致死傷420強姦、同致死傷312、賭博494に達しあり

(カタカナはひらがなに直しました)
※右図はクリックで拡大。赤傍線はJ.Seagull




と、いうわけで、支那事変勃発の1937年7月から1939年(昭和14)末までの約一年半の間に、軍法会議で強姦致死傷の有罪判決を受けた日本軍将兵が計732人(420+312)もいたんですね。

支那事変勃発以降、日本軍将兵が急増したからといっても、ちょっとこの数字では、「一部の不届き者」と言うには多すぎる気もします。

なお、当時の日本陸軍刑法には、「強姦致死罪」は規定されていても、強姦自体について罰する規定はなかったようです。

強姦については一般の刑法での規定しかなく、しかも被害者の親告が必要だったようで、そうすると、かつ死傷を伴わない、表沙汰にならなかった強姦は、どのくらいあったのでしょうね・・・。

それでも、昭和17年には下記のような「陸軍刑法改正意見提出の件」が提出され、陸軍刑法に「強姦罪」が設けられ、非親告罪と規定されたようです。

rikugun-keihou 
戦地に於ける強姦は軍紀を破壊し軍の爾他の宣撫工作を一切無効ならしむ 又被害者に於て後難を恐れ告訴を躊躇する場合極めて多きを以て非親告罪として処分するの要あり

(カタカナはひらがなに直しました)
※右図はクリックで拡大。赤傍線はJ.Seagull




以下のエントリーに続きます。

・支那事変時の軍紀の乱れの特徴
・南京事件を批判して自決した軍人がいた
・南京事件の「皇軍」に対する当時の日本人の嘆き
・南京事件論争についての私見





■参考資料、リンク

・アジア歴史資料センター

教育指導の参考資料送付の件 (大日記甲輯昭和15年)
レファレンスコード「C01001825800」
教育指導参考資料送付の件 (昭和16年 「陸支密大日記 第59号」)
レファレンスコード「C04123563200」(活字です)
『「慰安婦」問題調査報告・1999』-2(PDF) 政府発表文書に見る「慰安所」と「慰安婦」
~『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』を読む~

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コメント

「何のために命がけで戦ってるかわからない」という状況だったらそりゃあ軍規も乱れたでしょうねぇ。上海事変あたりまでは「日本人居留民を守るのだ!!」という明確な目的のために戦えたんでしょうが。

実際、内地の一般市民でさえ、だらだらと続くシナ事変にうんざりだったのだから、前線の兵のストレスは想像を絶したでしょうね。

コメントありがとうございます

■クロソさんへ

後ほど書こうと思っているのですが、戦線の急拡大と、それまでとはうってかわった中国の頑強な抵抗に戦死者が急増したこと、年齢が高めの予備役・後備役が大量動員されたことなどがあったようです。問題を起こすのは予備役・後備役が多かったそうですから。それに、自分より若い上官に使われ、中国の反撃で戦友はどんどん死んでいくし、上海が陥落してやっと日本に帰れると思ったら、そのまま南京まで攻めろと言われ・・・。やはり、このストレスは相当強かったと思います。さらに、もともと当時の中国人蔑視がある上に、昔から飲酒にあまい日本ですから・・・。

先日は当ブログへのコメントありがとうございます。

しかしまあ、歴史を掘り下げていくと色んなものが出てきますな。最近つくづくそう思います。軍紀が乱れ始めてきた背景には、長期に及ぶ戦場での肉体的、精神的なストレス⇒慢性的な欲求不満⇒飲酒、強姦、暴力⇒従軍慰安婦や戦陣訓の必要性・・・というふうな感じだったんでしょうかね。
それらの犯罪行為が、特に予備役や後備役の将兵に多いというところが興味深いところですね。また中央と現地軍でイマイチ意思の疎通が図られておらず、たびたび現地軍の独断で戦線が拡大していく歴史的な流れそのものが根本的な軍紀の乱れなのかもしれないですね。
確かに昭和16年年明け早々に発布された戦陣訓が、わずか数年の間に末端の国民まで浸透していったのは、実に驚異的ともいえるかもしれませんな。
ただ軍人勅諭があったにもかからず、日中戦争では軍紀が乱れた。これを考えた時、戦陣訓そのものが前線の将兵を死に至らしめた原因と考えるのはいささか結論が早いような気もします。これは沖縄戦の軍命令もそうだと思いますが、逃げ場のない孤島においての戦場の心理というか、日本人の深層心理(死の哲学、信仰、集団の論理など)が働いた結果なのかもと思ったりしています。退路を断たれ追い詰められた時に取る一種のあきらめは、“最後はいかにして散るか・・・”という日本人独特の良く言えば美意識、悪く言えば無言の圧力・強制だったのか。(おっと、また横道に・・・)

“戦争は優秀な奴から先に死んでいく”という言葉が、やけに私の頭の中を駆け巡っております。

■くわっぱ上等兵 さん

>歴史を掘り下げていくと色んなものが出てきますな。

やっぱり歴史を知るには広くアンテナを張る方が良いなぁと思いますね。

>たびたび現地軍の独断で戦線が拡大していく歴史的な流れ・・・

私が読んだ本の中で、何人かの著者がそれを「下克上」という表現で説明していました。
手柄をあげて名誉と地位を得るということですね。満州事変の石原莞爾から始まったとか、張作霖爆殺の河本大作から始まったとか、いろいろあるようですが。
そのためにも「統帥権」は便利だったようで・・・。

石原莞爾も盧溝橋以降では、「今は対ソ線に備えるべき」との意見で非拡大派でしたが、武藤章に「あなたの満州事変と同じことをしているだけ」と言われたのも、内部のそんな雰囲気が見え隠れしているような気がします。

ネット上では私が最近拝読するようになった、原田伊織氏のブログの「参謀本部と統帥権(其の三)」も参考になるかもしれません。
http://harada-iory.cocolog-nifty.com/seikoudoku/2007/08/post_41b9.html
ちなみに原田伊織氏は、「東京裁判は勝者の茶番」としつつ、日本人の手で裁かなければならないのは、河本大作、石原完爾、辻政信としています。
辻政信については、私もこの次のエントリーで少しだけ触れていますが、この人のノモンハン事件での責任は極めて重大ですので、くわっぱ上等兵さんにも関係あるかな、と。
なにしろ、山下奉文に「使用上注意すべき男」と言われ、戦後、CIAには「第三次世界大戦さえ起こしかねない男」とまで書かれたそうですから・・・。

話が逸れました

「戦陣訓」については、週末、実家に帰っていたので、私の親父(昭和8年生まれ)に聞いてみたところ、学校で習ったんだそうです。「軍人でもない子供にまで教えてたの?」と聞いたら、「兵隊さんは敵に捕まっても自決する覚悟で必死に頑張っているのだから、お前たちも頑張れ」ってことだったらしいです。
ただ、、学校教育の一環として生徒に教えたのか、担任の教師がたまたま一般向けに出版されたものを読んで生徒に伝えたのかはわかりませんが。

>“戦争は優秀な奴から先に死んでいく”・・・

これは、当時、隠語として広まっていたという軍人勅諭のパロディ「軍人は要領を本分とすべし」にもつながっている気もしますね。

余談ですが、親父とお袋に教育勅語についても聞いてみました。
父「暗記させられたからねぇ、覚えてるよ。朕思うに、わが皇祖皇宗・・・えと、何だっけ」
私「それって、その当時、意味を理解して覚えてたの?」
父「あんな難しい文章、こどもにわかるわけないじゃん」

・・・案外、そんなもんかもしれません(笑)。

陸軍刑法(明治41年法律第46号)
第八十八条ノ二 戦地又ハ帝国軍ノ占領地ニ於テ婦女ヲ強姦シタル者ハ無期又ハ一年以上ノ懲役ニ処ス
当時の陸軍刑法には強姦自体を罰する規定はなかったとありますが間違いないでしょうか。

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