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映画「TOKKO-特攻-」 に関連して   

TOKKO-2

映画「TOKKO-特攻-」 は、以前にも触れたように、元特攻兵と、特攻機に体当たりされた米艦艇に搭乗していた元米兵へのインタビューで構成されていますが、彼らの記者会見と舞台挨拶のレポートが公式サイトに掲載されています。

元米兵来日会見レポート
舞台挨拶付き披露試写会レポート

特攻を目の当たりにした元米兵、ユージーン・ブリックさんとフレッド・ミッチェルさんのお話は、上記のリンク先で読むことができますが、彼らが乗っていた艦が「ドレックスラー号」という駆逐艦であったこと、そして、「ドレックスラー号」に体当たりした機に搭乗していたのが、藤井一中尉という方だったことが書かれています。 

実は、この藤井一中尉には、語るも辛い悲しいエピソードがあります・・・。 


 


 USS_Drexler_(DD-741)
ユージーン・ブリックさんとフレッド・ミッチェルさんが乗っていた駆逐艦ドレクスラー(USS Drexler, DD-741)
1945年5月28日、特攻隊による攻撃を受け、沖縄で沈没。死亡158名

藤井中尉は、熊谷陸軍飛行学校で中隊長として17~8歳の少年飛行兵に精神訓育を行っていました。若い兵士に軍人精神を教え込むのが仕事であり、藤井中尉自身はパイロットではなく、ましてや特攻隊員でもありませんでした。

藤井中尉は、特攻作戦が始まる以前から、「事あらば敵陣に、あるいは敵艦に自爆せよ、中隊長もかならず行く」と繰り返し言っていたそうです。

そして、本当に特攻作戦が開始され、教え子達が特攻出撃していくようになると、責任感の強い藤井中尉は、教え子達との約束を守るべく、自ら特攻隊員を志願したのだとか。

しかし、学校内で重要なポストにあったため、その志願要求は認められず、それでも繰り返し志願した・・・。


それを知って驚いたのが、妻の福子さん(当時24歳)でした。
福子さんとの間には、生後4ヶ月の千恵子ちゃんと三歳の一子ちゃんという二人の幼子もおり、妻として夫の特攻志願に賛成するわけにはいきませんでした。特攻に行くと、頑として譲らない藤井中尉と、毎晩喧嘩しながら志願を止めるように説得したそうですが、藤井中尉の決心は変わらなかったそうです。

昭和19年12月15日の早朝、藤井中尉の家のそばを流れる荒川に、二人の子供を紐で結びつけた母子三人の遺体が浮かびました。
近所の住民の証言で、福子さん、千恵子ちゃん、一子ちゃんの三人であることが確認され、宿泊勤務中にこの知らせを聞いた藤井中尉は警察の車で駆けつけました。

自宅には遺書が残されていました。そこには、「私たちがいたのでは後顧の憂いになり、思う存分の活躍ができないでしょうから、一足お先に逝って待っています」という意味のことが書かれていたそうです。

この事件の直後、藤井中尉は血書嘆願で3度目の特攻志願を提出、妻子の死からわずか5日後に受理されました。

shinbu45
前列左端が小川彰少尉、中央が藤井一中尉。(クリックで拡大) 小川少尉は、訓練中の事故で亡くなった戦友の遺骨を抱いています。


約5ヶ月後、藤井中尉は陸軍特別攻撃隊第四十五振武隊快心隊の隊長となっていました。
そして昭和20年5月28日、中国戦線で左腕を負傷してため、元々パイロットではなかった藤井中尉は、小川彰少尉の操縦する機に通信員として搭乗し知覧から出撃します。

そして、沖縄でレーダー哨戒任務だったユージーン・ブリックさんフレッド・ミッチェルさんらが乗艦する米駆逐艦ドレクスラーに命中。


ドレクスラーは、1機目の体当たりを受け、大きな損傷を受けながらも反撃を続けて日本軍機3機を撃墜、しかし、2機目の特攻攻撃を受けて約1分後沈没。 (藤井中尉、小川少尉の機が先か後かは不明) 


なお、藤井中尉は最愛の妻と子を失った後、長女の一子ちゃんへ手紙を書いています。
桜の花や子犬と蝶と戯れる女の子のイラストが描かれた便せんには、次のように書かれていました。
 fujii











クリックで拡大
その便せんの実物の写しは、こちらにあります。
(BGM有)





「自分も必ず後から往く」と大言壮語しながら、その約束を反故にした上官が多くいたと言われる中、藤井中尉は約束を守った数少ない人なのでしょう・・・。

------------------------
駆逐艦ドレクスラーの生存者、ユージーン・ブリックさんとフレッド・ミッチェルさんは、映画「TOKKO -特攻-」の日本公開を機に来日、映画に出演した元特攻隊員とともに会見、靖国神社にも参拝されたそうです。

photo10 

■関連過去エントリー
映画「TOKKO-特攻-」 (2007/06/15)
映画「TOKKO-特攻-」 を見てきました・・・(2007/08/25)

■参考リンク (♪ が付いているリンクは、開くとBGMが流れます)
ドレクスラー (駆逐艦) - Wikipedia
Who Sank the Destroyer Drexler? (誰が駆逐艦ドレックスラーを沈めたのか?)
Historical Review: U.S.S. Drexler DD-741
藤井 一中尉・遺影  ♪(IE以外では表示が乱れるようです。BGM有)
「一足お先に逝って待ってます」藤井一少佐
藤井 一(鹿児島 青年経営者協議会)
映画「TOKKO-特攻-」公式サイト ♪

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コメント

後から行く・・・ですか

>「自分も必ず後から往く」と大言壮語しながら、その約束を反故にした上官が多くいたと言われる中、藤井中尉は約束を守った数少ない人なのでしょう・・・。
・どれ程の方が後から行かず、どれ程の方が後から特攻に行ったのか、どれ程の方が後から自決して行ったのか、軍隊という組織の中で各々が必死に戦っていたと信じたい。
 後を追わなかった方々の中には、それこそ死ぬより辛い苦悩を抱えていた方もおいでだろうと勝手に推察します。
 また、先に行った方々のうち、後から行くと言うのを、まともに信じていた方が如何ほどおいでだったかとも思います。
 阿吽で、そこまで言って頂ければ充分と思う方もいるのではないかと、多くの遺書を見ていて思いました。
 結果約束を反故にした事は事実として残りますが、私たち、いや少なくとも命を賭けて戦ったことの無い私にはその方々を責める資格など無いと思っています。
 あるのは、その時に実際に「本当の約束」と思って先に行き、反故にしやがってと靖國神社から見つめている御英霊の方々だけではないでしょうか?
 最近、事実が発見されると、現在の感覚で、裁判官か長老気取りで「それはいかんだろう」と言っていた自分がいることに気が付きました。
 事実が発見されたら、動機、時代考証、環境、条件、状況等を出来るだけ検証して「真実」にたどり着かなければいけないなとつくづく感じています。  

■tonoさんへ

先日はメールをありがとうございました。

>後を追わなかった方々の中には、それこそ死ぬより辛い苦悩を抱えていた方もおいでだろうと勝手に推察します。

以前取り上げた中では、結果的に桜花開発にGOサインを出した形となってしまった、林中尉もその一人でしょうし、そういう方達も少なからずいたと思います。

しかし、これも以前に「語られざる特攻基地・串良」という本から紹介したとおり、詐欺的手法で特攻命令を出し、戦友を失いつつも生き残った元特攻隊員の方々の憤りと苦しみのことも忘れてはならないと思います。

「俺も後に続く」と言いながら実際には様々な言辞を弄してその後も生きのびた指揮官が多いことは、様々なところで言われています。特攻の責任を自決した大西瀧治郎一人に押しつけようとする動きがあったことも指摘されています。まさに「死人に口なし」です。

出撃前の訓辞で「私も必ず諸君の後を追う。最後の一戦で本官も特攻する。」といつも言っていた富永恭次中将は、機体の故障で帰還した特攻兵は「特攻隊のくせに命が惜しいのか」と罵倒、あげくはウィスキーと芸者とともに、部下を置き去りにして敵前逃亡です。

特攻が志願制であったなら命令責任が軽くなると考えた者もいたでしょう。
関行男大尉が、「是非、私にやらせてください。少しの澱みもなかった。明瞭な口調であった」と、著書で事実を曲げて志願であったかのように書いたのは、神風特別攻撃隊の命名者の一人とされる猪口力平氏のようです。これもまた「死人に口なし」です。

また、以前に、源田実参謀の特攻隊編成命令の電報のことを書きましたが、彼はある参謀に「私が先に往きましょう。司令、最後にあなた往きますね?」といわれても無言でした。桜花の開発に関わっていたという話もあります。戦後は航空幕僚長、参議院議員まで務め、東京大空襲考案者カーチス・ルメイへの勲一等旭日大綬章の叙勲推薦者となっています。(ちなみに実戦経験はゼロ)

部下・兵士の命を左右できる、責任ある立場にあった者の言動については、何十年、何百年経ってもその評価がついてまわるのは、宿命かと。それは、後世の我々が「責める」こととは別だと思うようになりました。

今の日々のニュースを見ていても、責任ある立場の人の無責任な振る舞いが目に付きますし、自分の職場に於いてもそうです。あの時代のことを勉強していると、このような現代社会とオーバーラップしてきます。
日本人社会の特質なのか、それとも世界共通の人間社会の宿命なのか、人の上に立つものの無責任、責任回避があの時代でも非常に多く見られるのです。それは現代となんら変わらない。
本当に自らの言動について、職責に見合った責任をとることのできる人がどれだけいたのか?

元日本軍人だった人たちの間にも、いろいろなシーンで衝突があり、それは現在でも続いていること。
現場(前線)にいて命を落とした方達への哀悼と感謝の気持ちは変わりませんが、弾が飛んでこないところで軍と国を動かしていた人たちはどのくらい現場のことをわかっていたのか

いろいろ勉強するにつれ、そもそも英霊と言われる人のうち、半数ともそれ以上とも言われる人が、餓死であったことも知りました。彼らはいったい何と戦ったのでしょうか・・・。

>結果約束を反故にした事は事実として残りますが、私たち、いや少なくとも命を賭けて戦ったことの無い私にはその方々を責める資格など無いと思っています。

「責める」かどうかと、「何が真実なのか」「問題があったのか、あるとすればそれは何か」を明らかにすることは、私は別と考えるようになりました。「責める」のではなく、歴史の教訓を探る作業が必要であると考えています。
問題があったのならば、それを明らかにし、検証しなければ、歴史を鑑とした未来を造ることは不可能だとも考えます。


少々きつい返信になったことお詫びします。しかしtonoさんなら、私の言いたいこともご理解頂ける者と信じております。長文失礼しました。

毎度丁寧なコメントありがとうございます。

>「責める」かどうかと、「何が真実なのか」「問題があったのか、あるとすればそれは何か」を明らかにすることは、私は別と考えるようになりました。「責める」のではなく、歴史の教訓を探る作業が必要であると考えています。
 問題があったのならば、それを明らかにし、検証しなければ、歴史を鑑とした未来を造ることは不可能だとも考えます。
・流石にSeagullさんが表現すると解りやすいですね。どうも私は表現が下手で・・・
 私の書いた「真実にたどり着く」というのは、正に仰ることと「根」では同義ではないかと思います。
 問題があったのか無かったのか、あらゆる検証をして明らかになった「真実」からスタートなんですよね。
 
>少々きつい返信になったことお詫びします。しかしtonoさんなら、私の言いたいこともご理解頂ける者と信じております。
・お詫びなんてとんでもないですよ。
 私と全く同じ意見の人なんてあり得ないし(そんなの気持ち悪い)、意見の同じくする部分でも、違う部分であっても、何を言わんとするかは良く理解できます。
 だから、何が違うのかも見えてきます。
 それで、自分の考えが変わることも変わらない事もありますが、肥やしになります。
 頭ごなしに決めつける人がいるでしょ?
 あれは、私は理解できないです。

 また、よろしくお願いします。

■tonoさんへ

ありがとうございます。tonoさんとはいつも良い意見交換ができていると実感しております。
今後とも、是非忌憚のない感想をお聞かせくださいませ(^^)

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