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Japan Surrenders 「日本降伏」   

V-J_Day_Times_Square_NYWTS


近代日本動画資料室(当ブログ別館)ではすでに紹介済みの動画ですが、終戦記念日の今日にあわせて、日本降伏を伝えるアメリカのニュースフィルム(動画)を貼っておきます。

終戦記念日の映像というと、皇居の前で涙ぐむ女性の映像と玉音放送を連想する人が多いと思いますが、対戦国であったアメリカでは、この日はどんな様子だったのかということはあまり知られていないような気がしましたので・・・。

(右上の写真は、ニューヨークのタイムズスクエアで戦勝を喜ぶアメリカ人の大群衆です。)

下記の約10分の動画の最後の方にも、このニュースに大いに沸き上がるニューヨーク市街の様子が映し出されています。


 




このフィルムには、当時の節目となるニュース映像がまとめられており、戦争の経緯をダイジェストで見ることが出来ます。有名なシーンや重要人物が次々と現れます。

ところで、この動画をご覧になるとわかると思いますが、フィルムのスタートは意外なことに「真珠湾攻撃」ではなく、「満洲事変」です。満洲事変からはじまり、国際連盟脱退、支那事変、三国同盟締結と続き、真珠湾攻撃~ポツダム 宣言、受諾という流れになっています。

これは、「満洲事変から日本の暴走がはじまった」と、アメリカが認識していたということなのではないでしょうか?

満洲事変以降の日本は、外国から見れば、国際協調性がなく、好戦的でアジア侵略に歯止めがきかなくなった、「かなりヤバイ国家」として映っていたということではないか、と・・・。

昭和初期のことを勉強していてつくづく感じるのですが、当時の右翼・軍部には、言論や主張はともかく、「その行動が外国の目にどのように映るか?」という視点が著しく欠けているように思えます。その極めつけが日独伊三国同盟締結だったのでしょう。

「1945年8月15日・・・世界の平和と秩序を乱す外道のような国家が、やっと銃を置いた」・・・アメリカではそんな風に捉えられていたのかも知れません。

 



45815VJDay
ともかく、1945年の8月15日は日本の長い歴史の中で、一番重要な日だと思います。この日に起きたさまざまな事 件や、戦争の総括、敵味方・軍民問わず戦死した方への想いや、日本によって苦しめられたアジア各国への想い、など、考えていなかければならないことは山ほどありますが、あの日までの日本はいったいどういう国だったのか、今後も真摯に見つめていきたいと思います。

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東京湾のアメリカ第三艦隊と、焼け野原となった東京上空を飛行する米軍機




焼け野原となった東京の空撮カラー映像

■参考リンク
Skylighters, The Web Site of the 225th AAA Searchlight Battalion: The V-J Day Page
JAPAN CAPITULATES--Allied Fleet off Japan
JAPAN CAPITULATES--Carrier Planes Patrol over Japan
Victory 1945 - Veterans Affairs Canada

 

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コメント

アメリカが日本をどう見ていたかですが、蒋介石の妻だかなんだかの女が猛烈な反日宣伝工作を繰り広げ、アメリカを動かしたと聞きますが・・・。
『日本によって苦しめられたアジア各国』?特亜の3国ですか?
満州は中国ではなかったとも聞きますが?
しかし、あの戦争は避けることは可能だったのでしょうか?
また日韓併合以外の道があったのでしょうか?
あなたが総理大臣だったとしたら戦争は避け得たでしょうか?小泉総理だったとしたら避けられたでしょうか?誰だったら避けられたでしょうか?
私にはわかりません。

>bonさん

>特亜の3国ですか?

いいえ、日本軍が侵攻したアジア諸国全てです。
たしかに「日本のおかげで独立できた」と感謝してくれる人たちもいますが、いろいろ調べていくと、たとえば日本はインドネシアを独立させるつもりどころか独立運動を押さえ込む政策を決めていたようですし、日本軍への反乱も起こっています。
ネットではあまり語られていないようですが、シンガポールやフィリピンでの大量の住民虐殺も起こしている・・・そのような事例は、調べれば調べるほど、いやになるほどたくさん出てきます。
それらのことを知らなかったり、一部の論者のようになかったことにしたり、理屈をこねて正当化するだけでは、歴史から教訓を見いだすことはできないと思います。

現代では、戦後の日本の姿勢や経済支援、そして世代交代で特亜ほど日本への反感を表には出しませんが、引き上げる日本兵に「首を落とせ!」と口々に叫びながら石を投げつける現地住民がたくさんいて恐ろしかったという元日本兵の証言もありますし、戦後数年は、アジアでのスポーツ大会でも日本人選手団は石を投げつけられていたのですよ・・・。

また、日米開戦についても、アメリカの政略もあったでしょうが、そのような事態を招いた責任は日本にもあると思うのです。
「日米開戦は、どうしたら避けられたのか?誰だったら避けられたのか?」そこだけを取り上げて考えてもあまり意味はないのかもしれません。それまでの流れがあるのですから。

>私にはわかりません。

私もわかりません。だから特定のイデオロギーに偏向せずに歴史を学び、歴史から学ばなければならないと強く思うのです。

ちなみに蒋介石の妻・宋美齢がアメリカに渡って抗日を訴え始めたのはのはWikipediaによれば1942年11月のようですから、日米開戦にはあまり関係ないと思います。むしろ、自国の危機にあたって対戦国に協力を求めるのは、ある意味自然な行動とも言えると思います。

また、開戦前にもコミンテルン(?)による反日プロパガンダがあったようですが(ラルフ タウンゼント著「アメリカはアジアに介入するな!」に詳しいです)それだけで日本が開戦に追い込まれたとも思えません。

書き出すと長くなりますが、ともかく色々な見方がありますので、自分の耳に心地よい主張のみに偏ることなく、歴史を知るようにしていきたいものです。

P.S.
bonさんから頂くコメントは、少し前の自分を見ているようです(^^)

戦争を避けることができたかというより
もしあなたがあの時代にいたらあの戦争に賛成してますか?
と聞いてみたい。
当時もし日本人が外国のことをもっとよく知っていたら
ほとんど人が戦争には反対したのではないかと私は考えてます。

>日米開戦についても、アメリカの政略もあったでしょうが、そのような事>態を招いた責任は日本にもあると思うのです。
>(略)
この部分に賛成です。

終戦時の状況というと
>皇居の前で涙ぐむ女性の映像と玉音放送を連想する
しますよね。

テレビで有名人が戦争体験を語る番組である方は
終戦の日二つの光景をみたそうです。
一つは皇居前でここは今も映像に残ってるような感じだったそうですが
その一方繁華街はすでに華やいだ雰囲気だったそうです。
その方はこの二つの光景を見てどちらが本当なのだろうと
考えたそうです。

もし当時に自分がいたら、やっぱり賛成していたでしょうね。時代の流れに流されていたと思います。
外国のことをもっとよく知っていたら・・・という仮定の話ですが、実際はほとんどの日本人は知らなかったわけです。
また、そういうことであれば、日露戦争だってできなかったはずなのです。

皇居前と繁華街は、どちらも本当の姿だったのだろうと思います。
今後は二度と戦争をしないために、その努力をしなければならないわけですが、これは相手があることでそれなりの備えもしておかなければなりません。チベットなどの例もあるわけですから。
謝罪をしていればいいというものでもないでしょう。また謝罪は一度でいいでしょう?もう謝罪は十分済ませていると思います。

虐殺というものは許されるものではありませんが、戦争にはありがちなことです。オリンピック競技やボランティアじゃないのだから・・・。国家による殺戮集団が戦争なのでしょうから、もともと残虐なものです。
そこにヒューマニズムを求めるのは無理じゃないでしょうか?

たぶん人間だけの力で戦争をなくすことはできないと思います。スピリチュアリズムが、戦争をなくす力になるのではないかと思っています。

はじめまして
当時、日本とアメリカの経済格差が認識されていたか、と言う問題に関してのコメントです。こちらの管理人さんはとっくにご存じかもしれませんが
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/sinbun/index.html
このサイトに明治から昭和(戦前)までの新聞記事のデータベースがあります。
こちらを見る限りでは当時の一般的な日本人は日本とアメリカの経済格差を正確に認識していたと思われます。
ちなみに昭和初期の日本の自動車生産台数ですが
以下のとおりです。
1929年 437台
1930年 458台
1931年 436台
1932年 880台
1933年 1681台
1934年 2787台
1935年 5089台
1936年 12186台
1937年 18066台
1938年 24388台
1939年 34515台
こちらは輸入台数と外国メーカーによる部品輸入の組み立て台数
です。
輸入台数 組み立て台数  
1929年 5018台 29338台
1930年 2591台 19678台
1931年 1887台 20199台
1932年 997台 14087台
1933年 491台 15082台
1934年 896台 33458台
1935年 934台 30787台
1936年  1117台 31058台
1937年 1100台   31839台
1938年 500台 18093台
1939年 - -
当時の日本の保有していた自動車の大半は外国車だったことが分かります。また当時の国内自動車メーカーは性能、価格両面で外国産車に対抗できず、高関税と政府によるバックアップによりかろうじて存続している状態でした。
これに対しアメリカの生産台数は
以下のとおりです。
1895年 4台
1899年 3700台
1904年 21,592台
1909年 127,287台
1914年 573,039台
1916年 1,617,708台
1917年 1,873,949台
1918年 1,170,686台
1919年 1,876,356台
1920年 2,227,349台
1921年 1,616,119台
1922年 2,522,176台
1923年 4,034,012台
1924年 3,502,540台
1925年 4,265,830台
また1922年当時の全世界の自動車保有数(自動二輪含む)は
約1258万8千台。うちアメリカの保有台数は1050万5千台。
日本の保有台数は1万2千2百台です。また当時の日本の道路舗装率は平均して1%前後。アスファルト舗装だけではなくマカダム舗装(いわゆる砂利道です)も含めての数値です。
1939年の主要先進工業国の道路舗装率です。主要幹線道路のデータですので多少数値が違いますが。
イギリス   44%
アメリカ   39%
ドイツ     36%
フランス   31%
イタリア   28%
日本     0.9%
日本の道路舗装率が10%を超えるのは1967年。50%を超えるのは1982年でした。当時の新聞記事でも道路事情の悪さは問題になっています。

こちらの記事を見る限りでは国内自動車の大半がフォードなどに代表されるアメリカ産自動車である事、また国内自動車産業が到底海外に太刀打ちできるレベルでは無い事が広く知られていたと断定できるでしょう。
国民のほとんどは日本とアメリカの技術力、工業力に歴然とした差がある事を正しく認識していたと思われます。
大阪毎日新聞 1927.11.29-1927.12.13(昭和2)
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00104911&TYPE=HTML_FILE&POS=1&TOP_METAID=00104911
時事新報 1931.4.17(昭和6)
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00104988&TYPE=HTML_FILE&POS=1&TOP_METAID=00104988
大阪朝日新聞 1931.7.10(昭和6)
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00105007&TYPE=HTML_FILE&POS=1&TOP_METAID=00105007
またこちらの記事を見ればアメリカの経済力についてもやはり正確に認識されていたと思われます。
国民新聞 1932.4.12(昭和7)
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00513357&TYPE=HTML_FILE&POS=1&TOP_METAID=00513357
&TOP_METAID=00515430
大阪朝日新聞 1935.1.9(昭和10)
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00515825&TYPE=HTML_FILE&POS=1&TOP_METAID=00515825
「アメリカの経済力を知る者は戦争に反対した。」太平洋戦争に関してこのような趣旨の言説があります。
しかし国民のほとんどがアメリカの技術力、経済力を正確に認識していたと思われるので単なる都市伝説だと断定して良いでしょう。

8月14日の大空襲

こんばんは

8月15日の終戦を考えると複雑になる出来事があります。
以前山口県に住んでいたのですが、住んでいたところの近くにあった海軍工廠が8月14日に空襲を受け、約700名の犠牲者を出しました。この中には動因された学童や女学生も多数含まれています。この海軍工廠跡は現在、民間企業の工場になっていますが、工事などで未だに犠牲者の遺骨(遺品?)が発見されたという話を聞いたことがあります。

あと1日降伏の伝達を早ければ、この空襲は防げたはずです。しかしながら終戦工作が進む中で陸軍を中心にクーデターも計画されていた当時の状況を考えると終戦を8月15日より早めることもやはり難しかったかなとも思っています。

>FX さん
コメントありがとうございます。

>もしあなたがあの時代にいたらあの戦争に賛成してますか?

これは非常に悩む質問です。当時生まれていなかった以上、その時代の空気もわかりませんし、恐ろしいほどの不況や、報道規制などその他諸々を考えあわせても、ありとあらゆるパターンを想定してしまい答えは出せません。

>外国のことをもっとよく知っていたら・・・

それはあるかもしれませんね。ただ、戦争反対を唱えたら投獄されるか命を狙われる時代の空気の中でそれを主張することは難しかったでしょうし。

終戦の日の様子については、本当に様々な話を目にしますよ。
回天で出撃命令を待っていた搭乗員でも、これで死なずにすんだ、と仲間と万歳をしたという話もありますし、玉音放送が良く聞き取れずに「きっと、もっとがんばれってことなんじゃない?」と解釈した話も沢山・・・。

>bonさん

>謝罪をしていればいいというものでもないでしょう。また謝罪は一度でいいでしょう?もう謝罪は十分済ませていると思います。

中国や韓国のことを想定しているのでしょうが、彼らの怒りは日本の一部に歴史を歪曲する動きがあることに向いていることを忘れないで欲しいです。前にも同じことを返信しましたので繰り返しませんが。

>虐殺というものは許されるものではありませんが、戦争にはありがちなことです。

それを言うと、日本への度重なる都市爆撃や原爆も「しょうがない」ことになりませんか?兵士同士の戦いと、住民及び、武装解除済みの俘虜への虐待、虐殺行為は分けて考えた方が良いと思います。

真実かどうかはともかく、簡単にまとめられたリストが下記にありますので、一度ご覧になっては?

旧日本軍が関わった民間人虐殺など戦争犯罪行為
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2243645.html


>A,Rice さん

初めまして。コメントありがとうございます。
新聞記事のデータベースのサイトは全く知りませんでした。ご紹介ありがとうございました。

詳細なデータをあげていただきましたが、ところで当時、日本で新聞を購読していた世帯は何割ぐらいだったのでしょう?調べていないので判りませんが(汗)。またその当時、どのくらいの人が自動車生産台数や道路舗装率の推移と他国との比較に関心を持っていたのでしょう???

そのあたりに言及しないまま、
『国民のほとんどは日本とアメリカの技術力、工業力に歴然とした差がある事を正しく認識していたと思われます。』
は、やや強引すぎやしませんでしょうか・・・?

『「アメリカの経済力を知る者は戦争に反対した。」太平洋戦争に関してこのような趣旨の言説があります。』

たとえば、山本五十六は??

『しかし国民のほとんどがアメリカの技術力、経済力を正確に認識していたと思われるので単なる都市伝説だと断定して良いでしょう。

やはり飛躍しすぎという気がしますが・・・。


>o_sole_mio さん

本土の空襲というと東京大空襲ばかりを取り上げる傾向がありますが、規模はそれより小さくても日本各地に空襲や機銃掃射による民間人の犠牲の話がありますね。
拙ブログの別館に載せている下記の動画の後半にも、どうみても民家にしか見えないところに米軍機が機銃掃射を浴びせる映像があります。
http://kousatsunippon.blog82.fc2.com/blog-entry-11.html
どれだけ恐ろしかったことか・・・。

終戦直前に亡くなられた方々については、「あと少し早く・・・」というご遺族の気持ちをよく目にしますね。本当に無念な気持ちだと思います。

宮城事件については、このような本↓も最近出版されようでして、興味がわくところですが、私にはまだ少し難しいかも・・・。真実はどこにあるのでしょうね。

「日本のいちばん醜い日/鬼塚英昭」
http://nikkidoku.exblog.jp/6093933/

こんばんわ。
どうも最近の政治論争を見ていると、戦前のものと似ているな~なんて思うのは私だけでしょうか。
あの時代の日本人は、まさかあれほどの敗戦をするなんて想像すらしてなかったんじゃねーかなって思います。これやはり我々もそうで、格差はあるにせよ、衣食住それなりに与えられるのが当たり前となり、自由や平等があり、老後の心配をする余裕まである。こういう時代がいいかどうかはわかりませんが、こういう時代がずーと続くと思っている。

よく戦前の日本人はそう教育されていたとか、極端なものだと洗脳されていたなんていいますが、私はそれだけじゃないと思います。
青少年の一兵卒ならまだしも、閣僚・外交官・軍部なんかは留学したりしてそれなりの良識はあったはず、むしろ今よりも見識が深かったんじゃないかと勝手に思っておりますが。
言論統制も昭和初期の十数年間だったろうし、大本営の誤情報だって戦時中だけだったろうし、貴殿の言うとおり日本人はそもそも大局的見地でにモノを見ることが苦手というか、これは今も同じで問題の中身ではなく言葉を狩ってみたり、また人格攻撃してみたり、長いものに巻かれてみたり、合理性よりも義理人情で行動する傾向が強い。そんな気がします。
あの戦争もどこかみんながやんや騒いでいるから俺もとか、非国民になりたくないから俺もとか、お上がいうからとか、そういう国民的心理が十二分に働いていたのではないかと思います。
日本の社会というのは、自由だ平等だなんて言いながら、実はものすごく不自由を押し付けているような気がします。許容範囲が狭いというか。だから、一方の意見や流行にみんな乗っちゃおうとしちゃう。またこれが、自分の判断じゃなく、またこれが悪気がなく、“みんながやってるから”なんて言われたひにゃーどこに文句を言ったらいいかわからなくなっちゃう。

何かそういう得体の知れない日本独特の空気があの戦争を先導していったのではないか、とまたこれも無責任な話ですが、この実体のない空気が今も歴然と存在していることが私には恐ろしく感じることがあります。
(。-`ω-) 大局的見地ってホント大事ですよね・・・

>日本で新聞を購読していた世帯は何割ぐらいだったのでしょう?

確かにそのデータが無いとどうにもなりませんね(笑)
こちらが当時の日本の新聞の一日当たりの総発行部数と一部当たりの人口のデータです。
1941年以前のデータがあまり無いので恐縮ですが・・・・

1904年(明治37) 164万8600部 総人口4613万5千人 27.98人に一部
1907年(明治40) 228万5975部  総人口4741万6千人 20.74人に一部
1924年(大正13) 約625万部  総人口5887万6千人 9.42人に一部
1934年(昭和9) 約1080万部  総人口6830万9千人 6.32人に一部
1941年(昭和16) 1078万部 総人口7221万8千人 6.69人に一部
1942年(昭和17) 2420万部 総人口7288万人 3.01人に一部
1943年(昭和18) 2425.5万部 総人口7390万3千人 3.04人に一部
1944年(昭和19) 1551.8万部 総人口7443万3千人 4.79人に一部
1945年(昭和20) 1418万部  総人口7214万7千人 5.08人に一部
2006年(平成18年) 5231万部 総人口1億2776万人 2.44人に一部
このデータを見る限りでは1924年から1941年にかけて1-2世帯に一部ほどの割合で購読していたものと思われます。(実際には定期購読、不定期購読などがあるので世帯当たりの数値は変動すると思いますが)

>またその当時、どのくらいの人が自動車生産台数や道路舗装率の推移と他国との比較に関心を持っていたのでしょう???

私が当時の国民が日米の経済格差を正確に認識していたはずと判断した根拠は、当時の新聞に自動車や道路事情のみならず、貿易、工業、金融など経済全般に渡ってアメリカ関連の記事が頻繁に掲載されていたからです。またこちらのデータを見ると国力差もさることながら日本経済のアメリカ経済への依存度もかなり大きい物でした。
http://nels.nii.ac.jp/els/contents_disp.php?id=ART0000849461&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=Z00000008389398&ppv_type=0&lang_sw=&no=1187481999&cp=
この辺りの貿易状況も当時の新聞には頻繁に掲載されています。
自動車と道路事情は身近にあり、なおかつ工業力、インフラの比較対照になる例として挙げました。もっともどれだけ正確に認識していたかは具体的なデータ(当時のこの問題に関する世論調査など)が無いのでわかりません。「正確に」と言う表現はやや妥当では無かったもしれません。この点は保留します。ただ現在の日本の新聞を購読していれば現在の日米の経済情勢がある程度理解できるのと同様に、当時の新聞を購読していた国民もまたある程度の理解を持っていたと思います。戦前のある時期までは新聞はマスメディアとして信頼に足るものでした。もっとも笹川良一のやらかした一件以降、流れが一気に変わりますが・・・まあ、この辺りは管理人様の専門分野ですね・・・・

>「アメリカの経済力を知る者は戦争に反対した。」太平洋戦争に関してこのような趣旨の言説があります。

この発言に関しては私の印象によるものが大きいですね。これは訂正します。

>単なる都市伝説だと断定して良いでしょう。

この発言も上述の発言を前提にしたものですので訂正します。

私の発言はFX氏の
>当時もし日本人が外国のことをもっとよく知っていたら
ほとんど人が戦争には反対したのではないかと私は考えてます

及びbon氏の
>外国のことをもっとよく知っていたら・・・という仮定の話ですが、実際はほとんどの日本人は知らなかったわけです。

以上の発言に対してのものです。もっともFX氏とbon氏の発言が日米の国力の差の事では無く、何か別の国際情勢に関する事を指していたら私の発言は意味が無くなりますね・・・・(汗) この点も保留しときます・・・・

追記 そういえば・・・1944年から1945年にかけて日本の総人口が200万人以上ガクンと減ってますね(汗)
まあ、自然死や事故死、病死なども含まれているのでしょうが・・・

>くわっぱ上等兵さん

私も、根本的には日本人はあの時代とあまり変わっていないような気がしています。

>これは今も同じで問題の中身ではなく言葉を狩ってみたり、また人格攻撃してみたり、長いものに巻かれてみたり、合理性よりも義理人情で行動する傾向が強い。そんな気がします。

そうですね。なんか、企業や政治家の不祥事でも、一方的なバッシングが強く、何かブームがあれば猫も杓子も追いかける・・・上海事変時の「爆弾三勇士」や、対米開戦時の提灯行列、初期特攻のあとの「軍神ブーム」なんかがそうかもしれません。他にも天皇機関説問題とか、国連脱退時とか、一方的に盛り上がっていて、それが何をもたらすかとか考えられなかったし、考えた人もどんどんつぶされちゃう・・・。今で言えば、朝青龍問題でしょうが、このブログをはじめた頃の、シンドラーエレベーター叩きもそうでしょうね。

嫌な言い方ですが、いつも、なにかストレスをぶつけるための生け贄をさがしているような、そんな感じさえしますね。それでガス抜きして、しばらくしたら忘れちゃう。シンドラーエレベーター問題なんて、結局メーカーより、メンテナンスの方の責任の方が大きかったみたいですし、問題の所在も責任も世間的にはうやむやなままなんですよね。

日本においては、天の邪鬼の方が、けっこう真実に近かったりして(笑)
石橋湛山のような人が日本には必要なのかなぁ・・・って最近思います。

>日本の社会というのは、自由だ平等だなんて言いながら、実はものすごく不自由を押し付けているような気がします。許容範囲が狭いというか。

日本の自殺率が高いのは、案外そんなところにも原因があったりして・・・。

>A,Riceさん

フォローありがとうございます。
まぁ、国力の差を理解していたとしても、日露戦争勝利後(?)、日本はかなり自惚れていたような気もしますし、支那事変の快進撃?みたいな報道もあったりで、冷静な判断ができた人は少なかったかも知れないですね。

終戦記念日のポリティクス

こんにちは、お久しぶりです。

8月15日が本当に終戦の日なのかどうか、というのは意見が分かれるちょっと興味深いトピックスのようですね。
すでにお読みになっているかもしれませんが、佐藤卓己さんの『8月15日の神話-終戦記念日のメディア学』(ちくま新書)はこの点を論じていてなかなか衝撃的です。

そもそも、
ポツダム宣言受諾の決定および通知は8月14日、
玉音放送は8月15日、
調印は9月2日、
のように、少なくとも3つの契機があって、これを見る限りでは、このうちから8月15日のみが終戦の日として決定的に選び取られるだけの根拠はないように思われます。

それでもなお8月15日のみが特権的に終戦の日として選ばれたのは、ひとつには63年の閣議決定があるけれども、やはり「玉音放送と泣き崩れる国民たち」というあの映像が強く関与しているらしい。少なくとも日本人の記憶には繰り返し見せられることできわめて強く刻み込まれている。seagullさんもお書きになっている「終戦記念日の映像というと、皇居の前で涙ぐむ女性の映像と玉音放送」、私もその場にいたことがないにもかかわらず、リアルなものとして疑うことなく信じ込んでいました。半ば神話的場面として刻み込まれています。

ところがあろうことかその映像が捏造の可能性が極めて高いようなのです。たとえばある写真では、少年たちをラジオの前につれてきてポーズ(涙を腕でぬぐう、もうひとりは地面に額ずく)をとらせ、その上で写真に収めたようです。それにとどまらずその二人の前に、まったく別の人間の写真を二人分付け加えた(写真の加工)ともいいます(これは「北海道新聞」のケースで、道新は95年10月に自らその捏造をスクープとして特集しています。が、ネット上での画像はいまのところみつかりません)。

もちろんこれは一例に過ぎませんが、ほかにも怪しい例がいくつもあるようです。果たして日本人たちは8月15日にラジオの前で本当に泣き崩れたのか?その映像、日本人の新たなる一歩となったあの集団的記憶が、巨大な捏造だったとしたら・・・?

メディアリテラシというものの重要性、プロパガンダの空恐ろしさというものを改めて感じさせる一冊です。もし未読でいらしたら、ぜひご参考までに(もうお読みでしたらご容赦を)。

>vendredi さん

どもども♪

またまた興味をそそられる本ですね。

http://jp.youtube.com/watch?v=Hlb_jJsCxt8
この映像↑のことだと思いますが、「捏造」とまではいかなくてもたしかに「演出」の感じはしますね。
音声と映像がかぶっているので、放送を聞きながら土下座しているように見えますが、後ろに普通に歩いている人がたくさんいるところを見ると、陛下の声を聞きつつ涙しているわけではないという気もしますね。

>果たして日本人たちは8月15日にラジオの前で本当に泣き崩れたのか?

もう、勝手な想像の世界でしかないんですけど、ほとんどの都市で空襲を受けていて、かなり多くの人が「日本は負ける」って考え、戦争終結としってホッとしたのではないかなぁ、と。

たしかに、いまだ血気盛んな軍人達は上野公園占拠事件や、厚木航空隊騒擾事件などを起こしていましたけどね。
また、空襲を受けなかった農村部では、プロパガンダによって「日本は絶対に勝つ」と信じていた人もいたようです。特攻機が何機か不時着した黒島では、11月頃まで戦争終結を知らず、兵士達が引きあげてきたのを見て「勝った勝った」と喜んだという話も読んだことがあります。

話が逸れましたが、まぁ、人が受ける印象というのは知らず知らずのうちに誰かに焼き付けられているかも知れないというのは、怖い話ですね。
やっぱり、義務教育でメディアリテラシーを教えた方がいいなぁと思います。

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