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メディアリテラシーの習得練習-その1   

いままでも、たまにメディアリテラシーについて偉そうに書いたことがありますが、私はそういう教育を受けたことがあるわけではありません・・・と、いうか、先々日のエントリーでちょっと紹介させていただいた「児童小銃」さんによれば、私がいままで意識していたのは「ニセ・メディアリテラシー」の分類に入りそうです。

少し引用させて頂きましょう。


たしかに、なんでもかんでも「真実と嘘」の単純な二分法で割り切れるなら簡単でしょう。しかし、残念ながら、世界はそれほど単純にはできていません。その単純ではない部分をきちんと考えていくことこそが、重要だったはずです。そして、それを考える態度が、本来の「合理的思考」であり「メディアリテラシー」なのです。二分法は、思考停止に他なりません。

とのことですので、報道や各種の説が「真実か嘘か」を見分けて(見分けたつもりになって)、はいおしまいではいけない、もっと、色々な可能性がないか?、見落としている点はないか?など、自分なりに考えてみることが重要なんですね。


そういうわけで、ちょっと自分なりに考えてみる練習をしてみたいと思います。生け贄サンプルは、7/6に産経新聞に掲載された秦郁彦氏の「正論」の一部です。



【正論】現代史家 秦郁彦 沖縄集団自決をめぐる理と情
■報道は冷静な検証の姿勢忘れずに

たとえば、県の意見書のまとめ役になった当時8歳だった議員の体験談は「200人ほどの住民と壕に隠れてい たところ、3人の日本兵が来て、泣き続けていた3歳の妹といとこに毒入りのおむすびを食べさせるよう迫った。敵に気づかれるのを恐れたため」(6月23日 付朝日)というのだが、記者は不自然さに気づかなかったのだろうか。

激戦のさなかに毒入りおむすび を作る余裕があるのか、毒と告げて親が食べさせるものか、食べたとしても、苦悶(くもん)の泣き声に変わるだけではないのか、そんなことをしなくても、 200人も入っている広い洞穴なら奥へ移ればすむのではないか、と疑問の種はつきない。問題はそうした検証をいっさい放棄して、記事に仕立てた記者の資質 にある。
(一部抜粋)

サブタイトルが「報道は冷静な検証の姿勢忘れずに」であり、当時10歳前後だった人の60年前も前の記憶を便りにした証言を、何ら疑問を感じることなく、検証もせずに記事にした朝日新聞記者の資質を問いただした文章です。

ここで秦氏の主張をよく咀嚼しないまま、「なるほどそうだよな。だからサヨクメディアの記者は、(`ヘ´) プンプン。」となってしまっては思考停止なんですよ、奥さん。

ここは、秦氏が言うのと同じように、自分でも秦氏へのツッコミも考えてみることが大事なのでしょう。
自分なりに秦氏の疑問にさらにツッコんでみます。

1.激戦のさなかに毒入りおむすび を作る余裕があるのか

なにも激戦のさなかで米をといで、「はじめちょろちょろ中ぱっぱ、赤子泣いても蓋とるな♪」とやる必要はありませんね。おむすびはもともと持ち運びしやすい形にした食料なんですから、あらかじめ作っておいたものを壕に入るときに持っていればよいだけのことでしょう。

そのおむすびに青酸カリのふりかけをかければあっというまに毒入りおむすびができあがります。なんで青酸カリか、というと、ひめゆり部隊が持っていたことを思い出したからです。沖縄だけではありません、樺太で自決した北のひめゆり(真岡郵便電信局事件)でも青酸カリで自決してます。
毒入りおむすびの「毒」が青酸カリかどうかはわかりませんが、あくまでも一つの可能性としてあげてみました。、そういえば「猫いらず」をまぜた黒糖を食べさせた証言もありました。


2.毒と告げて親が食べさせるものか

平時なら精神異常でもきたさない限りあり得ない行動ですが、沖縄戦時では、壕の中で親が子を殺した事例は沢山あります。軍人でなくても、同じ壕の中に避難していた隣人から、おなかをすかせて泣く子を「アメリカに見つかったらどうするんだ、殺せ」と言われた証言はいくつか目にしたことがあります。

自決を決心し壕の中で親兄弟でお互いに殺し合った異常な状態が集団自決なのですから、カミソリで我が子の首を斬るよりは、おなかをすかせて泣く子におむすびを与えて死なすことを選ぶ親がいたとしても不思議ではない気がします。


3.食べたとしても、苦悶(くもん)の泣き声に変わるだけではないのか

私、青酸カリや猫いらずを食べたことがないのでどういうふうに苦しむのかわかりません・・・。 青酸カリを口にするとどうなるのか検索してみたら、自殺サイトばっかりヒットしちゃって・・・orz

とまぁ、「こんな風にも考えられますよね」という例を思いつくまま挙げただけですので、その妥当性にコメントでツッコまれても困ります(汗)。

ただ、上記引用部分の秦氏の最後の部分は同感です。

問題はそうした検証をいっさい放棄して、記事に仕立てた記者の資質 にある。」 

このエントリーでは、 形式上、秦郁彦氏にツッコんだ形になりましたが、私自身は秦郁彦氏は現代史家として、いまのところ評価できる方なのかなーという印象を持っています。それに今回引用した文は、証言を検証するのでが目的ではなく、記者の資質を問うことが趣旨ですしね。

秦氏の著作を沢山読んだわけではありませんが、一時資料や証言集めに尽力される方のようですし、あまりイデオロギー的な偏向もないように思います(私が気づいていないだけかも知れませんが)

秦氏は右からも左からもよく叩かれるそうですが、それこそが秦氏の存在価値なのかな、とも思います。
持論の主張に都合の良いところだけ誇張して、それに反する部分には目をつぶりたい扇動者にとって邪魔な情報もきちんと出すからこそ叩かれるのかな、と・・・。まぁ、学者であっても人間ですから間違うこともあるでしょうし、常に鵜呑みは避けて、自分で考える癖をつけておきたいものです。



■備考
乙女の碑・北のひめゆりフラッシュ(BGM有り)
九人の乙女の碑

(上の写真をクリックすると別ウィンドウでフラッシュ再生開始。BGMが流れます)
大きな写真はこちら

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コメント

気を付けては居るのですが。。

 耳が痛いですね。
 私も、出来るだけ、視線を変えてみるようにはしていますが、勘ぐりとの戦いもあり、なかなか難しいものです。
 だから、勉強なんでしょうが。

突っ込みです。
>2.毒と告げて親が食べさせるものか
・・・・・・・同じ壕の中に非難していた→避難ではないかと。。。

例題を見て、
>なるほどそうだよな。だからサヨクメディアの記者は、(`ヘ´) プンプン。」
・とはならなかったので一安心。

>3人の日本兵が来て、泣き続けていた3歳の妹といとこに毒入りのおむすびを食べさせるよう迫った。敵に気づかれるのを恐れたため」
・これを朝日は、日本兵(軍隊)を悪者にするためと印象付けようとする為に抜粋したであろうとの推測はできます。
 しかし、反論すべきは、当時の状況(これが一番難しい)の考察が抜けていることの方だと思います。
 このフレーズのキーは「迫った」という表現ではないかと勘ぐる私です。
 これは、多分に受けた側の感情によるところが多いので具体的な表現、例えばあり得ると思うのですが、
『兵隊がおにぎりに「何か(毒でも良い)」かけて姉に渡し、「これで・・・」と言った』等ですね。
 発言があったなら、証言者の言うとおりに書くことが重要では無いでしょうか?
 私の書いた台詞であれば、
 迫ったとも取れるし
 200名の命と引き替えの苦渋の選択を投げたとも取れるし
 もし見つかったら幼い子を安楽死
とも取れますよね。
 手榴弾とも似ていますね。
 兵隊に言われずとも、母親が泣く赤子の口を押さえて、、、殺してしまったと言う話も聞いたことがありますから、あり得そうです。
 時の流れの中での究極の状況を伝える事こそ、マスコミの使命だと思います。
 記者の「仕込み」があればそれを弾いて事実を探る、そんな読み方に心掛けているつもりです。

>問題はそうした検証をいっさい放棄して、記事に仕立てた記者の資質 にある。
・これは、もちろん同感です。

tonoさん

人間は感情の動物だからどうしてもバイアスがかかってしまいますし、難しいですよね。でもこういうコトを意識しているかどうかで、騙されにくい体質ができあがっていくと信じて勉強したいものです。
何より私は人に騙されるのが一番嫌いなので・・・騙された!?って気づいたときの怒りと落ち込みと自己嫌悪はもう嫌ですから。

非難→避難 のご指摘ありがとうございました。修正しました。

「迫った」という表現、これはたしかにそうですね。主観的な言葉ですから読む者への印象への影響がありますね。私が4月2日のエントリーで書いた手榴弾を手渡すときの日本兵のセリフの引用の仕方と同様かと思います。

当時の状況というのはもちろん当事者しかわからないので、本当に難しい問題ですし、また時代の空気とかマスコミが国民を煽ったこととか、いろんな要素・可能性を考えていると脳みそがオーバーヒートしそうになります。
もしかしたら、一人で考えているより、こうやって意見交換できる方が効率的かも知れないですね。

まぁ、今回は練習の事例と言うことで適度な長さのエントリーに纏めるためにちょっとだけ突っ込んでみた、とお考えくださいな。

お久しぶりです

エントリで取り上げられている(赤い文字の)文章「その単純ではない部分をきちんと考えていくことこそが、重要」というところを読んで思い出しましたが、以前、私は知合いに「解決しない状態や、わからないという状態に、慣れろ」といわれたことがあります。メディアテラシーとは全然関係ない場面ですが、すぐ結論に飛びつくのをやめて、試行錯誤を必要とするケースもある、というような意味でした。
人間なら(というか私は)、もやもやするグレー領域を脱出して、白黒はっきりさせたい願望があると思うんですけど、そういうとき、自分が共感できる主張を何かで見つけるとそれなりの満足感が得られるので、自分でよく調べもせずにそれに傾倒してしまいがちです。でもそれも、結果ありきの考え方なのかな?と思いました。
忍耐ナシで浅い知識で情報を読んでいる私は、メディアのワナに素直にハマりやすいので気をつけたいです(笑)

haloさん

お久しぶりです~♪

ものすごく的確なコメントありがとうございます。
メディアリテラシーとも十分関係あると思いますよ。
「解決しない状態や、わからないという状態」が落ち着かなくて、その人の持つバイアスが、本当は大した根拠もなく科学的でもない説に共感を覚えさせて、嵌ってしまうケースはすごく多いと思います。政治的に極端に右や左に寄ってしまっている方は、特にそんな感じがします。

政治問題化している歴史問題を勉強する前に、メディアリテラシーをしっかり身につけるべきだったと、今頃になって思っています(^^;
メディアリテラシーに役立ちそうなエントリーも、これから書いていこうと思っていますので、また感想を聞かせてくださいね~。

>忍耐ナシで浅い知識で情報を読んでいる私は、メディアのワナに素直にハマりやすいので気をつけたいです(笑)

haloさんと私は結構似ているかも知れない(笑)

メディアリテラシーはどんな情報でも情報との距離をおく
ってことだと思います。
膨大な情報を個人で一つ一つ検証するのは無理ですからね。
グレーを受け入れるってことですが。

秦氏は検証姿勢に矛盾があると指摘する人もいますので
やはり注意は必要です。
評価できるとかできないといった評論は危険と考えます。
そういった評価が思い込みにつながりますから。
誰の情報でも結局中身を一つ一つみていくしかないのですね。
まじめにメディアリテラシーするのは非常に面倒なものです。

>匿名さん

安易に結論に飛びつくのは避けたいですよね。
従軍慰安婦問題は、その時期や地域的な広がりが大きいですから、一概に言えないところが余計に難しいところです。南京虐殺や沖縄の件は、まだ時期や地域が限られたところの話なので、調べやすいですが。

秦氏についてですが、学者も人間ですから完璧はあり得ず、間違うこともありますし、著作の時期によっても前提となっている情報量や質が違っているはずですから、読み比べれば矛盾が出てくることも往々にしてありえるわけです。だからこそ、一人の論者、またわずかな論文に頼り切って判断することは危険だということは理解しているつもりです。

エントリー本文で「評価できる(ほう)」と書いたのは、比較対象が田中正明とか東中野修道あたりだっただけです(書いてませんが(^^ゞ)

>誰の情報でも結局中身を一つ一つみていくしかないのですね。

それしか方法がないと思いますし、それでどちらが信憑性があり論理的・科学的かという判断をするしかないと思います。その時に、自分の頭の中のバイアスを自覚して戦うことも必要ですしね。
面倒ですが、頭の体操と思って、楽しむくらいがよろしいかと。

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