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大西瀧治郎中将は本当に「特攻の発案者」か?   

7/11 エントリータイトルを、『大西瀧治郎中将は本当に「特攻の」か?』から『大西瀧治郎中将は本当に「特攻の発案者」か?』に変更しました。

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今、読んでいる半藤 一利氏の「昭史 1926-1945」という本に、特攻関係の話で今まで私が知らなかったことが書かれていましたので、ちょっとメモ代わりのエントリーをアップしておきます。

エントリータイトルから察することができるかと思いますが、特攻作戦の始まりについての話です。
なお、本エントリー終わりの方の部分は著者の半藤一利氏も「仮説かも知れない」としていることをお断りしておきます。


P.427~
最前線の基地マバラカットに飛んだ大西さんが、19日の時計の針が午前零時を指そうとする約30分ほど前、突然、特別攻撃隊出撃案を持ち出したのです。
この時、マバラカット基地には戦闘機主体の第201航空隊がいて、その副長玉井浅一中佐に大西さんがこう持ちかけたのです。

「零戦に250キロの爆弾を抱かせて体当たりをやるほかに、確実な攻撃方法はないと思うが・・・・どんなものだろうか」

玉井副長は答えます。

「私は副長ですから、勝手に決めることはできません。司令である山本栄大佐に意向を聞く必要があります」

すると大西さんはこう言います。

「いや、山本司令とはもうマニラで会って、十分に打ち合わせ済みである。副長の意見を聞いてほしい、万事、副長の処置に任せる、ということであった」

大西さんが山本司令に会ったという証拠はこれっぱかりもないんです。ということは、大西さんがここで嘘をついたことになります。玉井副長はそうとは知りませんから、「司令も承知しているならば」というので、「わかりました」となりました。

ここで日本海軍初めての特攻隊が編成されるのです。

なぜ嘘をついたかについては、後に回します。

大西長官が山本司令とは打ち合わせていない可能性が高いという話は、以前にも少し引用した森史郎氏の「特攻とは何か」という本にもでてきます。


P.76~
山本司令と大西長官は、打ち合わせる時間もなかったことは明白だ。山本大佐は(大西)長官と途中で行きちがいになったことを知り、いそいで中島飛行長操縦の零戦で帰ろうとして事故にあい、海軍病院に入院するという羽目に陥る。このいきさつをみても、大西長官には山本司令と本気になって打ち合わせをする気持ちがあったのかどうかについて、疑問が残る。


ふたたび、「昭史 1926-1945」からの引用に戻ります。


P.428~
ここから大西さんが「特攻の父」と呼ばれることになったのです。特別攻撃は大西さんの発案で、まさに下から澎湃として起こってくる、止むにやまれぬ勢いから最後の断を下したのだと、現在では伝わっています。大西さんは、終戦直後に切腹して亡くなりましたので口をききません。

その口をきかない大西さんに全責任を負わせたことになるのですが、ここに一つの電報が残っています。

軍令部の源田実参謀が起案したもので、日付は、いいですか、昭和19年10月13日です。大西さんがフィリピンへ向けて飛んだのが9日、特攻作戦の案を持ち出したのが19日の午前零時直前、そして20日に特攻隊が編成されました。ところがそれより一週間も前の電報にこうあるのです。

「神風攻撃隊ノ発表ハ全軍ノ士気昂揚ナラビニ国民戦意ノ振作ニ至大ノ関係アル処 各隊攻撃実施ノ都度 純忠ノ至誠ニ報ヒ攻撃隊名(敷島隊、朝日隊等)ヲモ併セ適当ノ時期ニ発表ノコトニ取計ヒ度・・・」

すでに「神風攻撃隊」という名前もついていて、特別攻撃が行われたときには、全軍の士気を高めるため、その都度必ず大々的に発表した方がいいとあるのです。さらに敷島隊、朝日隊という名まで書かれています

実際に関大尉を隊長とする初の攻撃隊は敷島隊、大和隊、朝日隊、山桜隊と名付けられていました。

(略)

つまり、「澎湃として下からの熱意によって起こった」とされる特攻隊は、大西さんがフィリピンへ行く前に、すでに軍令部の計画として練られていて、しかも「神風」の名称だけでなく、第一回の出動隊名まで決まっていたのです。

ということは、大西さんは、発案者でも何でもなく、むしろ海軍中央の総意の実行者だったのです。

著者の半藤氏は、他にも特攻が大西長官の発案ではないという証拠になりそうな話をあげています。
P.432~
もう一つ、面白い事実を話しておきます。大森仙太郎という歴戦の中将がいます。昭和19年9月、この人は海軍特攻部長に任命されています。特別攻撃がはじまる前に、部長職ができていたというのは、はたして何を語るのでしょうか。


冒頭の、山本司令と十分打ち合わせ済みであるという嘘をついた理由については、半藤氏は次のように推察しています。


大西さんは、翌20日(10月20日)、第一航空艦隊司令長官として正式に任命されることになっていて、その肩書きにおいて「命令」はしたくないという思いがあった。

そこで南西方面艦隊司令部付という、何の権限もない肩書きでいるぎりぎりの19日に「案」として出し、採用するかしないかは、現地の、まさに澎湃たる熱意に任せた、という体裁を繕ったのではないでしょうか。つまり海軍がいかに自分に全責任を負わせようとしても、自分はこれを命令したくはないのだという意志を、嘘をついてまで20日直前に提案することで表明したのだと思います。


以前のエントリー「ある元特攻隊員の回想-3」で紹介したような、特攻隊員を「志願者」に見せかけるやり方といい、死人に口なしをいいことに(?)、大西長官を「特攻の父」として定着させてしまったことといい、責任逃れのやりかたは今も昔も変わりませんね。

ちなみに大西長官は、元々軍需省航空兵器総局長という役職にありましたが、絶望的な戦況を憂いて「このままの状態では日本は敗北以外考えられない、上の人たちは総辞職すべきである」という過激な意見書を出しているそうです。それが大問題となり、南西方面艦隊司令部付の肩書きで第一線のフィリピンに送られたとか。そしてマニラ到着が10月17日。特攻作戦を口にする2日前です。

このような話を知ってしまった以上、当ブログ右上の「真実はどこに・・・」のフラッシュの掲載は再検討せざるをえなくなりました・・・。



■参考書籍

昭和史 1926-1945昭和史 1926-1945
半藤 一利


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特攻とは何か (文春新書)特攻とは何か (文春新書)
森 史朗


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コメント

なるほどね

 そんな電報があったのですね。
 特攻は、大西中将の発案ではなく、特攻作戦は一月前から特攻部長の下検討されて決定されていたと言うことですね。
 これなら、ある意味私の頭の不思議が一つ解消されます。
 これ程の作戦を「下からの熱意によって起こった」と言うのも奇異に感じていた所があります。ある作戦上ひとりが突っ込めば打開の可能性がある場面であれば、それもあり得るでしょうが、以後何処まで続くか分からない作戦ですから、相当な上層部で煉られた「戦略作戦」と考えた方が自然ですね。それと、どちらかと言うと冷静な海軍の発案にする事で陸軍側を動かす意図もあったのでしょうか?
 何れにしろ、人を動かす事も軍隊の大事な要素であり、大西中将が上級管理職として、軍隊と言う組織の中で使命を果たし、作られたシナリオ通りに多くの方が散っていった。
 その大役を完遂したのですから、やはり作戦発案が何処であれ、特攻の父は大西中将では無いでしょうか?
 特攻隊の方々は、軍隊の中で、軍人として志願せざるを得ない環境を作られて、自ら選択肢を閉ざされた中で自分を納得させて散って行かれたと思います。
 ここに至れば、作戦の発案、決定が何処であったかは、もう意味が無かったと思います。大西中将も選択肢を閉ざされた「特攻隊員」では無かったのかという思いが湧いてきます。
 大西中将の「必ずや陛下は終戦の御聖断を・・・・・」という言葉は、俄然意味を持ってきますね。命令を受け決断するのにそう考えたのか、あるいは海軍上層部が暴走する陸軍を抑えて終戦する最後の手段として説得したのかは分かりませんが、そう思って特攻を思いついたと言うよりは真実味がありますね。
 だとすると、特攻が本土決戦を止めた要因のひとつになったのは、責任逃れどころか、陸軍を抑えて終戦の御聖断を仰ぐ最終戦略は、その旗振り役の人選を含め海軍上層部の思惑通りと言うことになってしまいますね。
 私の脳では分からなくなってきましたので、とりあえずこの辺で。
 長文失礼致しました。

tonoさん

コメントを受けてエントリーのタイトルを見直し、変更しました。
最初の航空機特攻は違っても、フィリピンでの予想外の特攻の戦果を知って、その後の特攻作戦拡大を「反対する者は叩き斬る(一説)」とまで言って、指示したのは大西長官のようですから、「父」という表現は、ある意味間違ってはいないですね。

エントリーの後半はちょっとわかりにくいと思いますが、上層部の責任追及をしたら左遷され特攻発案者の汚名(?)まで着せられそうになったので、司令部責任者の肩書きになるギリギリ直前に「提案」と言う形を取ったのではないか・・・というのが半藤氏の説です。特攻命令など出したくなかったが、立場上仕方がなかったと考えれば、芙蓉部隊の美濃部氏に「君がうらやましい」と言ったのも頷けますし。

敗戦後の自決と言い、上層部の責任追及と言い、大西長官は責任感の強い方だったのでしょうね。
それに対し、源田実参謀は、敗戦後、誰かに特攻隊の後を追うのですよね?と言われても無言だったというのを何かで読んだ記憶があります。

このあたり、上層部になるほど現場に無関心・無責任で、下っ端と中間管理職が苦しむ現代の企業文化によく似ている気がします。過去のことについては責任追及をする気はありませんが、なぜそうなったのか、それは人間の性なのか?日本人の特性があるのか?というような分析に興味をひかれます。

なんか、頂いたコメントの返信になっていませんね・・すみません。

こんばんは、o_sole_mioと申します。

私も半藤さんの著書を何冊か読んでおり、特攻の始まりについての半藤さんの考え方が、事実に近いのではないかと考えておりました。

また、特攻作戦についてはサイパン陥落後に開かれた元帥会議で伏見宮元軍令部総長がサイパン奪回のために特別な作戦を行う必要があると主張したことから研究・開発が始まったと言われています。従って特攻作戦はその後の大本営の作戦計画に組み込まれていたのではないかと思います。

ご紹介の通り特攻作戦はトップダウンで進められていたため、最初に作戦参加を指名された隊員たちは、少なからず抵抗があったのではないかと思われます。敷島隊の隊長を務めた関行男大尉「ぼくのような腕のいい艦爆乗りを殺すなんて、日本軍も終わりだよ」と語ったと言われています。

今後ともよろしくお願い致します。

o_sole_mioさん

はじめまして!コメントありがとうございます。

海軍の特攻については、もっと前から回天や桜花の開発がはじまっていて、志願者も募っていたわけですし、通常の航空機を使った特攻のアイデアもトップダウンであったと考える方が自然な気がしますね。

桜花開発決定と志願については下記の過去エントリでも触れています。

桜花の開発が決まった時
http://jseagull.blog69.fc2.com/blog-entry-382.html#more
特攻機「桜花」パイロットに志願した人の証言
http://jseagull.blog69.fc2.com/blog-entry-388.html#more

>最初に作戦参加を指名された隊員たちは、少なからず抵抗があったのではないかと思われます。

この時の様子については、このエントリーでも引用した「特攻とは何か」に詳しかったです。整列しているときでも「玉井副長とは目を合わすな。指名されるぞ」とささやきあったとか、ぴりぴりした空気が感じられました。

腕のあるパイロットなら、爆弾を命中させる方が、抱いたまま飛行機ごと体当たりするよりも艦へのダメージは大きいんですよね。飛行機の機体のおかげで敵艦の内部にまで爆弾は到達しないし、激突時の速度も空気抵抗で投下するよりよっぽど遅いし・・・まっとうな方法でより大きな戦果を挙げる自信がある関大尉は、あきれていたのかもしれないですね。

先程、o_sole_mioさんのところを拝見しましたが、すでに3年も続けていらっしゃって、歴史には相当お詳しい方とお見受けしました。ここは、ど素人が勉強しながら書いていますので、先輩のo_sole_mioさんから見ておかしなところがあったら、遠慮なくツッコンでくださいね。

たとえば、7月5日の「今度は米高官の「原爆は日本人救った」発言」のエントリーで「五百旗頭さんが主張されているような日本の奮戦がアメリカの戦意を挫いたというのも当たっていないと思います。」と書かれていらっしゃいますが、今のところの私の意見では「当たっている」と感じています。
五百旗頭氏の著作から引用したエントリーは下記に纏めてありますので、お時間のあるときにでも御意見お聞かせ頂けると嬉しいです。
http://jseagull.blog69.fc2.com/blog-entry-331.html

長くなりましたが、こちらこそ今後ともよろしくお願いします。
早速ですが、リンクに追加させて頂きました♪

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