「多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」(カエサル)
「自分の正しさを雄弁に主張することのできる知性よりも、自分の愚かさを吟味できる知性のほうが、私は好きだ」 (内田 樹)

考察NIPPONの書斎
このブログを書く上で参考にした本の一覧。現在194冊考察NIPPON-別館明治~昭和初期の貴重な動画を集めるブログ
(考察NIPPONの別館です)

近代日本動画資料室 更新情報

RSS表示パーツ

いま読んでいる本

おすすめの本

















↑この本の関連エントリーリストはこちら





カウンター(試験設置)

TOP > スポンサー広告 > title - 元特攻隊員の語る特攻精神基盤-2TOP > 特攻・特別攻撃隊 > title - 元特攻隊員の語る特攻精神基盤-2

スポンサーサイト   

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

元特攻隊員の語る特攻精神基盤-2   

shot


今回も、元特攻隊員・永末千里氏のWEBサイト「蒼空の果てに」の中に、「神風特攻隊員の精神基盤について」というページから一部を引用 させて頂きつつ、コメントを入れていこうと思います。  関心を持たれた方は、ぜひ、永末氏のサイトで全文をお読みください。

なお、このエントリーは下記の続きとなります。 

元特攻隊員の語る特攻精神基盤



■特攻隊員の心情

今日は人の身、明日はわが身、いつ出撃命令が出るか分からない状態で、更に死ぬための訓練が続けられました。一度は死を決意したものの、夜半ふと目覚めて故郷に思いを走らせることがあります。そして、まだ死にたくない、何とか生き延びる方法はないかと、生への執着に悩まされることも度々でした。

特攻隊が編成された当初は、皆一様に無口になり、決意を胸に秘めている様子でした。 ところが、日が経つにつれて、今度は以前にも増して快活になってきました。皆それぞれ自分の死を納得したのでしょうか。それとも、表面の快活さは、心中の悩みを隠すための手段なのかも知れません。

心を許し合った同期生の間でも、直接この問題に触れて話し合うことはありませんでした。それは、他人の介在を許さない、自分自身で解決すべき問題だったからです。そうは言っても、人生経験の浅い18歳の若者に、このような解答を出させるとは非情です。
(中略)
誰でも、一時の感情に激して死を選ぶ事は可能かも知れません。しかし、理性的に自分の死を是認し、この心境を一定期間持続することが、われわれ凡人にとって、いかに大変なことであるか、経験しない者には想像も出来ないことでしょう。


kamikaze attack force  「語られざる特攻基地・串良―生還した「特攻」隊員の告白」の著者・桑原氏も、出撃までの間に誰かとこの葛藤を相談した様子はありませんでした。
以前のエントリーでも貼ってありますが、左の特攻隊の動画の中盤で見られる隊員たちの笑顔は、生と死の葛藤を超越したものだったのでしょうか・・・。

Kamikaze Attack Force(YouTube 5:43)
(高画質・高音質版(DivX版)はこちら


■ご遺族の願い

慰霊祭にご出席されたある父親は、「もし代われるものなら、自分が代わりに死んで、息子には長生きして欲しかった」と、涙ながらに慨嘆されました。またある母親は、空襲の激しい中を、今生の別れに出撃基地を訪れた話をしておられました。

手塩にかけて育てたご子息の死の門出を、なす術もなく見送らねばならなかった母親の胸中は、察するに余りあります。また別の母親は、ご子息が無事に帰還することを願って、「茶断ち」「塩断ち」などの祈誓をされたと話しておられました。あの当時、われわれが命に代えて護ろうとしていた肉親もまた、自分の命を縮めてもと、わが子の無事を祈っていたのです。
(中略)
子は親の安泰を願ってわが身を犠牲にすることを厭わず、親はわが身を削ってまで子供の無事を祈る。この肉親相互の愛情が重なり合って、あの必死必殺の「体当たり攻撃」が生まれたのだとすれば、真に非情です。「体当たり」の瞬間、彼らの脳裏には、慈愛に満ちたご両親の面影が焼き付いていたに違いありません。

親も子も、何とかしてお互いの命を護ろうとした・・・。子の命を護るために親が命がけになるのは人間だけではなく、動物の場合でも子を守る親は必死です。でも、親を守るために子が死を覚悟するという例は、人間の歴史上、滅多になかったことでしょうね・・・。

■まだ死にたくない! 

あの当時、戦死は最高の名誉とされていました。そうは言っても、必ず死ぬと分かっている「特攻隊」にわが子を送り出す母親の胸中はいかばかりだったでしょう。いくら名誉だと言われても、わが子の死を願う親はいません。母親の苦衷が痛いほど感じられます。

私も経験したことですが、人間の感情には起伏があります。「特攻隊」に編入された際には、「よし、やるぞー」と、決心を固めていても、時間が経つにつれて「まだ死にたくない」との思いが募ってくるものです。だから、小野君が遺書に書き残した決意も本音であり、母親と面会して、今生の別れに漏らした言葉もまた本音です。「世間の人は、特攻隊だ、特攻隊だと称えて下さるけれど、本当はまだ死にたくない」。これが死を翌日に控えた小野君の偽らざる本心だったと思います。だが、そう打ち明けられても、なす術のない母親の苦衷を察すると、胸が張り裂ける思いです。

上記の引用箇所に出てくる”小野君”のエピソードと遺書は、永末氏のブログの方でも紹介されています。

fbf176d4ae3aa6ab7f372945f7c8ca29





「まだ死にたくない」 - 老兵の繰り言

また、拙ブログでも「特攻隊員の葛藤」 というエントリーで取り上げたことがあります。

■遺書・遺稿について

遺書一つを書くにしても、男としての意地があり見栄もあります。だから、必ずしも本心をそのまま書くとは限りません。文面の裏に隠されているものを感じとることができるのは、当時同じ立場にいた者だけではないでしょうか。
(中略)
人間が死に直面して何を考えるかというと、最も身近かな人のことです。即ち、親や兄弟など肉親のことです。自分が犠牲になることで、親や兄弟が無事に暮らせるならばという、切羽詰まった考え方で自分の死を納得するのです。
(中略)
近ごろ、特別攻撃隊関係者の手記や遺書などが整理保管され、または収録出版されているので読む機会があります。その大部分は予備学生出身者のもので、割合に思ったことがそのまま書かれていると思います。

これに反して、予科練出身者の手記などは非常に少ないのです。また残っている遺書なども至って単純です。これは表現能力の問題もさることながら、手紙や日記などはすべて検閲されていた下士官・兵の生活では、本心など書ける状態ではなかったからです。その場に至って、遺書さえも書かなかった心理が理解されると思います。

私自身も2度の特攻隊編成に際して、遺書を書いた記憶はありません。だからと言ってそれだけ立派な覚悟ができていたのでは決してありません。人並み以上に生に対する執着もあり、死に対する不安をもっていました。

昨年に9月に知覧を訪れて数多くの遺書を読んで強く感動した私は、過去のエントリーで次のように書いたことがあります。

『特攻隊の遺書については、「書かされた物だ」とか「検閲があったのだから本音のはずがない」という人もいますが、明日死ぬことが確定している時に検閲をおそれる理由がありましょうか?当時の価値観から考えれば、やはり本心から「国のため」「国を守るため」と思って散華していかれたと考える方が自然かと思います。

この時は、遺書に書かれた国を想う気持ちの文面に感動するあまり、このように感じて書いたのですが、その後特攻のことを色々調べて知った今となっては、我ながらあまりに浅はかな捉え方だったと反省するのみです。
人は、感動すると思考停止してしまうのかも知れません・・・。

近年同期生の会合で旧友と話す機会があります。同じ基地に居合わせて、出撃する同期生の最期の面倒をみた者が、「身の回りのことは俺が片づけてやるから、ご両親に手紙でも書け」と、勧めても、「手紙など出すとかえって親に心配をかけそうだし、またせっかくの決心が乱れそうな気がする……」と言って、何も書き残そうとせず、万感の思いを胸に秘めたまま出撃して征った様子を、今にも泣き出しそうな顔をして話すのを聞き、また当時の私自身の心境をかえりみて感慨深いものがありました。

戦後の特別攻撃隊に対する評価には、戦果(結果)のみを対象としたものが見受けられます。しかし、真にこれを評価するならば、20歳にも満たない若者が、いかなる理由にせよ死をもって任務を遂行するという境地に至った精神状態、即ち特攻精神こそ評価すべきだと思います。

以上述べたとおり、特攻隊員の精神基盤は肉親に対する「愛情」の一言につきると思います。祖国愛や民族愛など抽象的な理論ではなく、本来愛とは主観的一方的かつ献身的な行為です。理屈ではないことを認識すべきです。そして、深い愛情で結ばれた信頼関係こそが、有事に際して思いもよらない力を発揮する原動力となることを銘記すべきだと思います。

ここまで読まれた方、そして引用元の氏のサイトで全文を読まれた方で、お気づきの方もいらっしゃるかも知れませんが、文章の中に「愛国心」や「国を護りたい」という言葉は出てきません。

軍人となった以上、国を護るために死ぬことはありうるとわかっていても、100%必ず死ぬ作戦には生存本能が拒否反応を示すのは、ごく自然なことだと思います。いままで何度も書いてきたとおり、死にたくないという本音とさんざん心の中で一人で格闘したあげくに、自分を納得させる方法は、「自らの死が肉親・恋人などを護ることになる」と思いこむしかなかったのではないでしょうか?

そして遺書には、受け取る肉親らを心配させないように、また、検閲を考慮して「国のために立派に務めを果たします」としか書けなかった・・・。

中には、日本を護りたい一心から、自ら志願して特攻隊員になった方もいらっしゃったでしょう。過去エントリー「本当は人道的な兵器だった人間魚雷 回天」の小灘利春氏や、「特攻機「桜花」パイロットに志願した人の証言」の鈴木英男氏、また、ぼやきくっくりさんのところで最近紹介された元回天隊員達もきっとそうだと思います。

ただ、木を見て森を見た気になってはいけない・・・すべての特攻隊員が「愛国心から自らの命を省みず・・・」というのは、やはり早計だと思います(自戒をこめて)。100%死ぬと決まっている特攻作戦に志願した方は、ほんの一部なのではないか・・・むしろ、本人の志願ではなかった特攻隊員の方がおそらく多かったのだと思います。

そう考えると、意図しているかどうかにかかわらず、当時の特攻隊員の愛国心の強さをもって、現代の愛国心の薄さを批判するのは、「特攻隊員の死」を利用しているような気さえしてくるのですが、私の考えすぎでしょうか・・・。

(そもそも亡国の危機にある時代と、平時である現代の愛国心とを比較すること自体、なんだか違和感も感じ始めています。「公」と「私」のバランスはたしかに崩れていると思いますが。)

特攻についていままで色々書いてきましたが、ただ一つ私の中で変わらないのは感謝の気持ちです。戦争を美化するとか言うのではなく、「アメリカの日本本土決戦計画が回避されたわけ」で示したとおり、今の日本があるのは、あきらかに彼らの戦いに依るところがあるのですから・・・。


スポンサーサイト

ブックマークに追加する

コメント

愛情は自己愛→家族愛→友人愛→郷土愛→祖国愛の順に広がっていき、広がっていくにつれて愛情の強さ・深さは徐々に薄くなっていく、と私は考えます。これに基づけば、特攻作戦を命じられた兵士が「やっぱり死にたくない!」と懊悩するのは自己愛の表れ。しかし状況がそれを許さないのであれば、その次の家族愛に向かうのは自然な流れと言えます。

一方「愛国心」たる祖国愛に向かうというのは一足飛びの印象があります。無論、愛国心を以って作戦に臨んだ兵士がいたでしょうし、そのことを否定するつもりもありませんが、人として家族愛の方が祖国愛より身近であると思うのです。そして身近なものを失うことへの危機感が戦争を継続させる動機と考えれば、家族愛が兵士の決断を促したことは想像に難くありません。

実際のところ、家族愛を愛国心に事寄せていた兵士もいたのではないでしょうか。

PS
「北の国から’98 時代」の、草太にいちゃんが正吉に蛍との結婚を迫るときの台詞を思い出します。

>かせっちさん

かせっちさんらしい哲学的なコメントですが、なるほど!と納得させられました。
以前は、時代のせいか教育のせいか、当時の若者は非常に愛国心が強かったという印象を持っていたのですが、よくよく調べてみると、さほど現代人とかわらぬような気が気がしてきています。
日本古来の「恥」による自刃でもなく、衝動的でも鬱状態でもない精神状態の人間が、生存本能に逆らう自らの「死」を納得するには、家族愛(人によってはその先の祖国愛)しか無かったのでしょうね。

P.S.
わたくし、「北の国から」は全く見たことがありません(^_^;)

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURL:
http://jseagull.blog69.fc2.com/tb.php/429-fd0d1981

FC2Ad

相続 会社設立

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。