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ある元特攻隊員の回想-4   

引き続き、「語られざる特攻基地・串良―生還した「特攻」隊員の告白」から引用紹介したいと思います。
なお、このエントリーは下記の続きとなります。

ある元特攻隊員の回想
ある元特攻隊員の回想-2
ある元特攻隊員の回想-3

photo

前回のエントリーで引用紹介した特攻隊員選抜時の様子は、ある下士官の証言ですが、今回はこの本の著者・桑原敬一氏ご自身が特攻隊員に指名されたときの回顧からです。

P.69~
私の”あの日”

「特攻隊員に指名されたものは残れ。他の者は追って指示する。解散!」
選に漏れ内心の安堵とは裏腹に、しおらしげな表情で私たちから視線をそらして、その場から立ち去るクラスの面々。私は彼らの後ろ姿をうつろな目で追ってい た。

ふとわれに返ると、予備生徒の隊員は指名の興奮がまださめやらず、肩を叩き手を取り合って声高に激励し合っている。こんな情景を今は指名組の最古参搭乗員となってしまった中安邦雄兵曹が、腕組みの黙然とした風情で見回していた。その目と私の目がぶつかった。一瞬たじろいで私は視線をそらした。

中安兵曹 は「オッ!桑原も入っていたな」と言うなりツカツカと歩み寄ってきて
「桑原ッ!俺と一緒に死ねるか?」
と言った。

中安兵曹は予科練の先輩であった。九七式艦上攻撃機が主体である姫時空(姫路海軍航空隊)において、当時の新鋭機であった天山艦上攻撃機を乗りこなせるただ一人の輝ける存在であった。

私は落胆のきわみにある心中をさとられまいと、精一杯の笑顔で「ハイッ」と答えた。中安兵曹はおそらく、こんな私の心中を見すかしていたのだろう。そっと私の肩を抱きかかえるようにしながら、ささやくように言った。
「まだいつになるかわからん。だが、近いうちにその日はきっと来る。一緒に死のう。俺たちが死ねばいいんだ。いいか、これから毎日訓練だ。今までどおりしっかりやるんだぞ!」-と。

私は中安兵曹に、不憫な弟を諭す兄のような温かみを感じ、胸がジーンと熱くなった。
声を出せば嗚咽になってしまう。中安兵曹の励ましに応えようにも、私の思いは言葉にならなかった。一挙に噴き出そうな涙を懸命にこらえながら、私はただコックンとうなずいた。

特攻隊員に指名されてからの生活もまた、精神的に堪えるものがあったようです・・・。

P.70~
人は誰でも最悪の事態は考えたくないものだ。忍び寄る死の影などは努めて意識しまいと陽気に振る舞う。それからのしばらくは和気あいあいの日が続いた。

だが、この穏やかさはなんとなくしっくりしなかった。この感じは隊員同士に限らなかった。むしろ訓練に携わってくれる教官や教員の態度に、変化がより目立った。言葉遣いや動作のはしばしに、死に征く者への憐れみの情というか、不自然な配慮がにじみ出ていた。教える側と教わる側、その立場は最後までそれらしく権威を感じさせる厳しさを保ってほしいと願っていた私。それが・・・・・と思うと、こんな一事にも、もう俗世に引き返せない自分を意識し、いっそう物悲しさを募らせるのであった。
(略)
(特攻隊員に指名されなかった同期生と)まれに顔を合わせることがあっても、以前のように打ち解けた態度はもう見られなかった。こちらから親しみをこめて送る 眼差しも、よそよそしく外されて、取り付く島もなかった。心を許しあった仲と思ってきた同期生ですらこのような有様なのだから、他はもう推して知るべし、 といった空気が漂っていた。四囲は、もう完全に私たちを死に征く人として特別扱いをし、隔離している。いい知れない物悲しさに、深まる孤独感はどうすることもできなかった。

そんな日々を過ごしながら、出撃命令が下るのを待つわけですが、串良に於いては、出撃者の指名は特攻の直前に行われていたようです。
もどかしいほどに単調な基地生活の中で、唯一の楽しみはスリルに満ちた脱外出であった。
(略)
その日も脱外出を実行し、持参の酒食でいつに変わらぬ乱痴気騒ぎをしていた。私はこんな生活を続けていながら、妙に頭の芯が冷たく冴えわたり、飲めども飲めども酔えなかった。
(略)
夜も更けた。いつかみな床に入って深い眠りの中にあった。-もう安心だ。この調子ならば明日の出撃はあるまい。私も極度の緊張から解放された反動的な疲れで、引き込まれるような眠りに入った。

どのくらい眠っただろう。夢の中で二度、三度と人を呼ぶ声が聞こえた。夢うつつではなかった。たしかに人の声だ。私は反射的に厳しい現実に立ち返りガバッと 起きあがって耳を澄ました。紛れもなく人を呼ぶ声である。町のとある方向から、無情なメガホンの呼びかけが断続している。

「○○空の○○兵曹、至急帰隊してください-」

先刻まで気配すら感ぜられなかった出撃があるのだ。出撃者の帰隊を促している呼びかけにほかならない。もしや私では?と思うと、私の胸は早鐘を打ち鳴らしているように、ドキンドキンと高鳴っている。

幸いだった。今宵も私の名は出てこなかった。私はホッと胸をなで下ろすような安堵を覚えた。

さっきまでの団欒は、一瞬にして暗転し、しばし慌ただしさが流れた。私たちの仲間にも出撃指名者があった。私と一緒に赴任してきたであった。私は怖いものを見るように、黙々と身支度を整えているの表情を窺った。

青黒い彼の顔面は、薄暗い電灯の元でもそれと分かるほど蒼白になっていた。沈痛な面持ちで救いを求めるように私たちに目を向けた彼を、私は痛ましくて直視できなかった。

残酷だ!こんなことを残酷といわずに何と言えばいいのだろう。私は彼を励ますべきか慰めるべきか、とっさの言葉に窮した。今は月並みな言葉を何万言要しても、彼を納得させ、安心立命の境地へ導くことは、とても望めないことだった。ただでさえ凡人の私たちにいったい何ができるというのだ。どうにも手の差し伸 べようのない苛立ちが、ただ悲しかった。

ともあれ、急遽、全員迎えのトラックに飛び乗って帰隊となった。トラックの外枠に私と並んで腰かけた彼は、しばらく無言のまま込みあげてくる激情に抗しているふうであった。が、ポツンと、
「俺はまだ死にたくない。頼むよ桑原代わってくれ!」と言った。私はギョッとして彼を見つめて絶句した。
(略)
お互いの複雑な心境はすれちがっていた。私は、彼の願いに返す言葉もなく、おぼろな足もとを凝視したまま、揺れるトラックに身を任せていた。

翌一六日、空は晴れわたっていた。春のさわやかな日の出を迎えたばかりの午前六時。一番機が見送りのどよめきを後に発進した。後続機が時をおかず続いた。
昨夜、いや今暁と言うべきだろうか。夜を徹して短い生涯のあれこれを考え抜いたであろう彼は、「俺はまだ死にたくない!」と言った彼とはまったく別人のよう に、いつもの落ち着いた表情を取り戻し、ゆったりとした足取りで機上の人となった。見送りの人並みにも際だった反応を示さず、物静かな彼らしく、寂しげな 笑顔を残して一直線に大空へ舞い上がっていった。最後の笑顔、その口もとからこぼれた白い歯の輝きが印象的だった。

彼のあまりの淡泊な出撃態度に、人々の目には、若年ながらまれに見る潔さと映ったかも知れない。だが私には、地上の雑念を振り払い、ひたすら憧れの大空にその救いを求めたであろう彼のやるせない心中が分かるような気がしてたまらなかった。
瞬時の死を決行するまでまだ三時間あまり、彼にとってはなお長い苦悩の道程にちがいない。そう思うと時間の経過は、胸の動きが高まる苦痛の刻みでもあった。

もし自分がこのような状況におかれたら・・・・果たして正気でいられたかどうか・・・。

下記は以前にも紹介した動画ですが、このような元特攻隊員の回顧を読んだ後に見ると、彼らの表情に隠された真情はいかばかりであったのか、考えさせられてしまいます・・・。






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コメント

想像もつきませんが

 例えば、一本のザイルにぶら下がって宙ぶらりんになったときに、一人外れれば、残り全員が助かる場合。
 一番下だったら、自分でザイルを切れるだろうか?と考えてみましたが、今この場所では到底出来ない気がします。
 自分が隊長で、下から二番目だった時に、残りを助けるために、一番下を切り離せるか?また自分を含めて二人を切り離せるか?
 彼らは、否応なしに切らねばならなかった・・・・・
 やはり想像も出来ない・・・・
 しかし、もしも選択の余地が無くなり覚悟するとしたら、支えは、
 「自分の死は、無駄にならない。!」
 と自分自身に、最後の誇りを持たせる様に思い込むくらいしか無いのかなと思います。
 何の根拠も無いけれど。。。。
 実際に散っていかれた方々に、直前の気持ちを確認する術はありません。

 御霊祭りの提灯献灯しようかな。

>tonoさん

私も色々と例えを考えてみましたが、やはり想像できない・・・、これが「あの時代を生きてみないとわからない」、戦後生まれとの最大の溝なのでしょうね。

『「自分の死は、無駄にならない。!」
 と自分自身に、最後の誇りを持たせる様に思い込むくらいしか無いのかなと思います。』

以前にtonoさんからいただいた下記のコメントもそうですが、このご意見が一番的を射ているのではないかと、私も思っています。鍛え上げられた軍人ならまだしも、10代後半でやっと飛行機を飛ばせるようになったばかりの若者なら、そこにたどり着くだけで精一杯だったのかもしれません・・・。

『後世の我々が、想像もつかない葛藤戦慄の中で、最後の思いは、やはり家族が一日でも残るなら、その住む祖国が残るなら、と思うしか道がなかったように思います。』

著者の桑原氏は、家庭の事情もあって、出撃の瞬間まで「母ちゃん、俺が死んでも大丈夫か!?」と苦悩しつつも、飛び立って振り返り見る九州の美しい自然を見て、なんとか「この美しい日本を守るのだ」という心境になったそうです。(その後エンジン故障で不時着、帰還)

遺書を読んだだけの時は、私は特攻隊員のこの葛藤には思いも及びませんでした。改めて勉強不足を痛感した次第です。

飛び立っていった特攻隊員は、どうやって今生の未練を断ち切ったのか・・・、どうやって自分の気持ちを整理したのか・・・、何が彼を180度変えさせたのかとても気になります。
「死ぬ」ことが約束された特攻隊員を目の前にして、どんな言葉を掛ければいいか、きっと私もその立場になったら、同じように迷うと思います。何か申し訳ない気持ちになったりするかもしれません。
正直、自分は特攻に選ばれなくてよかったっていう気持ちがあったり。また近い将来、特攻に選ばれた時の自分の姿を見ているようだったり。臆病者と見透かされてるんじゃないかと感じたり。
特攻に選ばれた人間と選ばれなかった人間との間に、「死ぬ者」と「生きる者」という決定的な差が生まれたんでしょうかね・・・。

>くわっぱ上等兵さん

>飛び立っていった特攻隊員は、どうやって今生の未練を断ち切ったのか・・・

人間の生存本能を断ち切る為には、やはりtonoさんが書いてくださったとおり、自分が死ぬことで、親兄弟、恋人、故郷を守れる、と自分で思い込むしかなかったのでは・・・と思っています。私も今はそれ以外に思いつきません。
基地の外でも、道ですれ違ったおばあさんが立ち止まって深々と会釈してくれたという類のエピソードも多いですし、勇ましい人だったら、それを見て「俺たち以外に誰がこの日本を守れるんだ!」と思ったかも知れませんね。以前に紹介した、回天を人道的兵器と言い切る小灘氏もそう仰っていましたし。

その一方で、やはり特攻に納得しておらず、死にたくない人も少なくなかった・・・。くわっぱ上等兵さんの本棚の中にも「戦争証言110―生き残った元日本兵」があったと思いますが、その437ページには、元回天搭乗員が玉音放送を聞いて、みんなで「助かったァ、助かったァ」と喜んだという話も出ていましたしね。

特攻基地の雰囲気はやはり場所によって大分違っていたようで、それは上官によるものも大きかったと思います。知覧はひょっとしたら雰囲気的には恵まれていた方なのかも?と言う気もしています。



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