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特攻を拒否した美濃部少佐と芙蓉部隊-2   

前回のエントリーで美濃部少佐と芙蓉部隊の存在について触れましたが、写真だと読みにくかったせいか、解説文があまり読まれていないようなので(笑)、芙蓉部隊に関連する部分をテキストに起こしておきたいと思います。



 左は芙蓉部隊の写真ですが、敗戦濃厚な戦争末期にも関わらず、みんな自信や気迫に満ちた明るい表情をしているのが印象的です。同時期の特攻隊の写真とは、また違った雰囲気が感じられますね。


(写真はクリックで拡大)



太平洋戦争末期、芙蓉部隊は一億特攻の世相の中にありながら、敢えて特攻戦法を採らず、薄暮・夜間の通常攻撃で戦い抜いた。



  1. 海軍夜間戦闘機隊の戦闘第801、812及び901飛行隊は比島決戦を経て、昭和二〇年に藤枝海軍航空基地(現静浜基地)で芙蓉部隊として再編された。

  2. 第三航空艦隊司令部は、沖縄戦に向け特攻攻撃を主体とする作戦を決定した。しかし芙蓉部隊指揮官美濃部正少佐は、夜間中爆撃の有効性を強硬に主張し、芙蓉部隊の特攻編成からの除外を司令部に承認させた。

  3. 以降「艦上攻撃機彗星」「零戦」をもって訓練を開始した。沖縄攻防戦にあたり、昭和二〇年三月、主力を鹿児島県鹿屋基地に移し、菊水一号作戦発動とともに沖縄の艦船及び敵飛行場に対し夜間攻撃を開始した。

  4. 他 の部隊が特攻により戦力が枯渇していく中、犠牲を伴いながらも攻撃を継続できたのは、藤枝基地という後方基地に於いて新人を無理なく訓練し、随時要員を交替させるという当時の日本軍としては例を見ないシステムを確立していたからである。また、整備員及び兵器員も、零戦は90%、稼働率の低さで定評の彗星においても80%の出動可能体制を維持した。

  5. 芙蓉部隊は、終戦まで一機の特攻攻撃機も出すことなく夜間攻撃を持って戦い続けた。



臆病者呼ばわりされる中、自分の信念を貫いた。
「大事な部下に、死刑のような無茶な命令は下せない」


特攻のかけ声ばかりでは勝ち目はない。命を賭けて国に殉ずるためには、それだけの目的と意義が必要である。

しかも死して意義のある手柄を立てようとするに は、勝算のない中での単なる精神力の空念仏では心から喜び勇んで出撃できるわけもない。

「大事な部下に、死刑のような無茶な命令は下せない」

この言葉は美濃部の思いを如実に示している。美濃部はやみくもな特攻のような無謀な作戦では、搭乗員の死が無駄死にになってしまいかねないと強く感じていたのである。
特攻のようにあらかじめ死が確定され戦力を消耗することが確実な最終手段ではなく、もっとアメリカ軍に効果的に打撃を与え、かつ日本軍の戦力の消耗を最小限に抑える奇襲戦法・・・つまり夜間攻撃といった戦法を特攻に至る前に採用するべきであると美濃部は主張したのであった。この主張が受け入れられ、その後の沖縄での特攻作戦では美濃部の芙蓉部隊は特攻編成から外されることとなった。実際、海軍の指導者の中には美濃部の意見を支えるものも少なくなかったので ある。



藤枝基地において寒風肌を刺す厳冬の深夜、夜間戦闘機隊としての猛特訓を重ねた。



  1. 昼夜逆転生活
      作戦の主体は夜間進攻のため、体を夜にならすため「猫日課」と称して昼夜を逆転させた。午前零時に起床、1時に朝食、6時に昼食、11時に夕食、午後4時に夜食を出し、電灯使用を制限して夜目の強化をうながした。

  2. 夜間洋上航法訓練
       黎明-薄暮-夜間の順で定点着陸訓練から、太平洋に出ての洋上航法通信訓練を行った。全搭乗員に充分繰り返される時間的ゆとりと燃料の割当がないため、 指揮所の2階に基地の立体模型を作って夜間の進入経路を覚えさせ、図上演習をくり返し実施した。また2~3機でも薄暮・夜間飛行訓練を行う時は可能な限り 見学させ、「飛ばない飛行訓練」に努め、燃料不足をいたずらに嘆くことなく練度向上をはかった。

  3. 座学の重視
      飛行作業の合間をぬい、講義が頻繁に行われた。特に雨天時は搭乗員を集めての集中的な講義が実施された。講義の内容は航法・通信・夜間の艦艇の見え方、攻撃方法などの戦術、飛行機の構造、機材等についてであった。



特攻で戦力が枯渇していくなか、「芙蓉部隊」は常に戦力を維持しつづけ戦果を挙げた。


芙蓉部隊の戦果等(昭和20年2月~同年8月15日)

芙蓉部隊は終戦まで整備員の努力により高稼働率を維持し、敵から飛行機が見つかりにくい日の入り後から日の出前までの夜間中、敵地を時間差で攻撃しつづけ、以下の戦果を挙げた。



  • 戦艦の撃破:1隻

  • 巡洋艦の撃破:1隻

  • 大型輸送船の撃破:1隻

  • 飛行場大火災:6回(1回は伊江島飛行場の艦載機600機の大半を焼く)

  • 空母群発見:4回

  • 敵機夜戦撃墜:2機

  • 出撃回数:81回

  • 出撃機数:延786機

  • 未帰還機数:43機

  • 戦死者数:89名



「私は、若い部下の搭乗員達に特攻作戦の命令を下すことはできなかった。それを下そうとも思わなかった。」


冗談とはいえ、「出撃のときは彼(上官)を殺してから」という言葉が出たり、特攻隊員の一人が、指揮所である士官と口論の末、ピストルで士官を射殺し、翌日ひょうひょうと特攻に出撃したという噂(真偽不明)が飛び交ったという他の特攻基地とのこの違い・・・。このような部隊が、そして美濃部少佐のような指揮官がもっといたら・・・。


 

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コメント

特攻をださない部隊のことは知っていましたが、ここまでは全然知りませんでした。特攻続きのお話ですが、特攻出撃をしてひきかえしてきたものを収容したことのお話をj.seaglleさんにならうまくまとめてくれそうだなーと勝手に思っています笑。
機会があればおねがいします(^∀^)

>さきさん

私は紹介しただけですが、それでも少しお役に立てたようで嬉しいです。
御期待に添えるかどうかは不明です(笑) いずれ機会があれば、ということで(^^;

こんにちは。
米国と日本との差がこれですね!・・・
米国は戦時中、有益な戦法、武器改良等、有効とあれば身分の差を越えて人材と案を登用したとされています。日本は負けるべくして負けたと言えるのではないでしょうか!?
戦時中だけならまだしも、今日でもこのような状況が続いている事が危惧される点だと思います。

>ITS下田さん

再度のコメントありがとうございます。

アメリカの作戦遂行や人事などは非常に合理的で、実戦/休暇/後進育成などのローテーションもあったと読んだことがあります。
ただ、当時のアメリカはまだ人種差別が合法で、実戦の場には黒人兵がいないということもありましたけどね。

>戦時中だけならまだしも、今日でもこのような状況が続いている事が危惧される点だと思います。

たしかにそれは言えると思います。このエントリーを書きながら、まさに現場を知らない経営層とか、そのような現代に続く問題点に思い当たっていました。これについては、いつか芙蓉部隊の本をもっと読んでから、現代と対比したエントリーを書いてみたいなと思っています。



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