「多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」(カエサル)
「自分の正しさを雄弁に主張することのできる知性よりも、自分の愚かさを吟味できる知性のほうが、私は好きだ」 (内田 樹)

考察NIPPONの書斎
このブログを書く上で参考にした本の一覧。現在194冊考察NIPPON-別館明治~昭和初期の貴重な動画を集めるブログ
(考察NIPPONの別館です)

近代日本動画資料室 更新情報

RSS表示パーツ

いま読んでいる本

おすすめの本

















↑この本の関連エントリーリストはこちら





カウンター(試験設置)

TOP > スポンサー広告 > title - 沖縄集団自決は軍の命令だったのか?座間味島の場合-3TOP > 沖縄集団自決問題 > title - 沖縄集団自決は軍の命令だったのか?座間味島の場合-3

スポンサーサイト   

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

沖縄集団自決は軍の命令だったのか?座間味島の場合-3   


【このエントリーを読まれる方への注意】
これは、あくまでも座間味島に於ける梅澤裕さんと宮城初枝さんとの間の話です。極めて限定された場所と人物についての話であり、沖縄各地で起きた集団自決を物語っているわけではありません。
時折「沖縄集団自決訴訟」だけをとりあげ、梅沢隊長(座間味島)、赤松隊長(慶良間島)の命令の有無だけを取り上げ「命令はなかった」という論調を見かけますが、それはこの問題を著しく矮小化し歪めていることに留意してください。

沖縄戦における「集団自決」と「住民虐殺」の事例一覧

(2007/10/29追記)


前回のエントリーは、勉強しながら今までブログに書いてきたことを、全部ひっくるめたような内容となり、書くのにかなり力を入れた内容となりました。そのせいか、アップしてからもあちこち気になって、追記・修正したりしています(^^;。また、貼り付けてあった、沖縄戦の動画がタイミング悪く削除(?)されたり、と、読んで頂いた時間帯によってエントリー内容が若干変わっているかと思います(苦笑) また、タイトルと内容がまったくマッチしていません(^^; まぁ、「連載」なので、このままにしておきます(笑)

今回からは、「母の遺したもの―沖縄・座間味島「集団自決」の新しい証言」から引用紹介していこうと思います。

まずは、前書き部分から・・・。
P.7~
私の母、宮城初枝は、1921(大正10)年7月、慶良間諸島の一つ、座間味島に生まれました。太平洋戦争末期 の沖縄戦でいち早く米軍に上陸され、住民の「集団自決」が起こった島です。当時24歳で、村の役場に勤めていた母は、女子青年団員の一人として座間味島駐 留の日本軍と行動を共にし、米軍との銃撃戦に巻き込まれた経験を持ちますが、さらに「集団自決」の”当事者”でもあったといえます。

10年前、母は「いずれ機会を見て発表して欲しい」と一冊のノートを私に託し、その半年後、69年の生涯を閉じてしまいました。字数にして四百字詰め原稿用紙で約百枚、自らの戦争体験を日を追って具体的につづったものでした。
実は母は、このノートに書いた大部分のことはすでに発表していました。まず1962年、雑誌『家の光』の懸賞募集に応募した手記が入選し、翌年、同誌四月号 に掲載されました。さらにその手記は、それから五年後に出版された『沖縄敗戦秘録-悲劇の座間味島』という本(私家版)に、「血塗られた座間味島」と題し てそのまま収録されていたのです。

母はこの『悲劇の座間味島』と、ノートを私の目の前に開き、どこがどう違うのか説明をはじめました。事実と違う、あるいは書けなかったことを、今回は書いたという部分が八カ所ありました。村の指導者の行動や、自らが米軍の「捕虜」となったときの取り調べの内容など、本には載ってないことが具体的につけ加えられていました。

とりわけ、本に収録された手記にあった、当時の座間味島駐留軍の最高指揮官、梅澤部隊長からもたらされたという、「住民は男女を問わず軍の戦闘に協力し、老人子供は村の忠魂碑前に集合、玉砕すべし」の箇所の削除を指示する母の表情には、険しさが感じられました。「座間味島の”集団自決”は梅澤裕部隊長の命令によるもの」という根拠の一つとされ、母の戦後の人生を翻弄した数行だったのです。

事実はそうではなかった。母は自分の”証言”がもとで、梅澤元部隊長を社会的に葬ってしまったと悩み、戦後35年経ったある日、梅澤氏に面会して「あなたが命令したのではありません」と”告白”しました。しかしそのことが思わぬ結果を招き、母は心身共に追いつめられることになるのです。

改 めて事実を記した手記を出版することで、母は”証言”をくつがえそうとしました。しかしそれだけでは、また別の意味で誤解を生じさせかねません。そこで母は、私にノートを手渡しながら、「これはあくまでも個人の体験なので、歴史的な背景や当時の住民の動きを書き加えてから発表してね」と言い、私も軽く引き 受けたのです。でもその時は、そんなに早く母が逝ってしまうとは、夢にも思いませんでした。

前々回のエントリー
で、 私が「沖縄の集団自決を知る上で非常に貴重な本」と書いた理由が、これでおわかり頂けるかと思います。軍による自決命令の証拠とされた証言者本人・宮城初枝さんが、命令を出したとされた梅澤氏に直接面会してまで「あなたが命令したのではありません」と告白しているのです。

実は、自決命令があったとされたシーンについては、櫻井よしこさんのブログにある梅澤氏の証言と、宮城初枝さんの手記とではちょっと様子が違います。その様子については、別途書こうと思いますが、いずれにしても、梅澤氏が「自決(玉砕)すべし」という命令は出していないということで一致しています。

命令を出していないのに「出した」とされてしまったのなら、それは冤罪ですよね。著書の中で「自決命令があった」と書いた大江健三郎と出版元の岩波書店は、今回の教科書検定に抗議したというニュースキャッシュ)がでましたが、真実はどちらなのでしょうね?
この記事の中には次のような事も書かれています。
大江氏と岩波書店を代表して会見した月刊誌「世界」の岡本厚編集長は「訴訟では守備隊長による命令があったかどうかが争われているが、より大きな日本軍の関与は問われていない。にもかかわらず、日本軍の強制全体をひっくり返そうとしている」と述べた。

いや、訴訟(沖縄集団自決訴訟)は、梅澤氏と、渡嘉敷島で自決命令を出したとされた赤松隊長(故人)の弟さんが、謝罪と出版差し止めを求めているもの(訴状はこちら)ですから、日本軍の強制性の話とは違いますし、教科書検定とも関係ないでしょう。それに、現在裁判で争われている内容を、一方の主張のみ教科書に「事実」のように書くことのほうが、大問題だと思いますけど。
普段、人権にはうるさい人達が、冤罪かも知れないこの件について、何も言わないのもオカシイですよね。それとも元日本兵なら、冤罪でも構わないとでも言うのでしょうか・・・?
(次回に続きます)

Battle of Okinawa 1 沖縄戦 1 (4:17)

余談ですが、前回の私のエントリーを 読んだ方が、とあるブログのコメント欄で、「わざとらしさを感じてしまう」「とくに末尾の部分はいやらし過ぎます。」と書いていました(^^;。私は本音で書いているので、わざとらしいと言われても困ってしまいますが、「いやらし過ぎる」とは意外な御意見で、とても参考になりました(^^) 。人によって、様々な受け止め方・意見があるものですね。まぁ、色々な意見があったほうが面白いです(笑)。
ちなみに、末尾の部分は、過度な沖縄批判にならないように、自戒を込めて書きました。沖縄戦の悲惨さがわかる動画を貼っておいたのもそのためです。


■参考blog、WEBサイト
「 沖縄集団自決、梅澤隊長の濡れ衣 」 櫻井よしこブログ
沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会

■参考書籍
母の遺したもの―沖縄・座間味島「集団自決」の新しい証言
宮城 晴美

母の遺したもの―沖縄・座間味島「集団自決」の新しい証言
高文研 2000-12
売り上げランキング : 26619

おすすめ平均 star
star大江訴訟及び戦争
star一般市民の目で感じる戦記

Amazonで詳しく見る
by G-Tools
スポンサーサイト

ブックマークに追加する

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURL:
http://jseagull.blog69.fc2.com/tb.php/356-ee8f5cbf

FC2Ad

相続 会社設立

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。