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歴史観を歪めてしまう「常識」や「先入観」   

ここのところ、数回にわたって、慰安婦について語られることの少ない話を引用紹介してきました。

現在では「性奴隷」、または「公娼・売春婦」というイメージでしか語られることがないようですが、違う角度から眺めてみると、意外な姿が見えてきて、より、当時の時代感覚に近づけた、という方もいらっしゃるのではないでしょうか?

慰安所を造ったこと自体を日本の蛮行として許せない人達は、その人の常識と先入観に自らがんじがらめに縛られてしまって、自説と異なる話は一切受け入れようとしない人が多いように思います。拙ブログにも「もっと勉強しなさい」とお叱りのコメント(苦笑)をいただきましたが、一方的な説だけしか受け入れないのでは、「歴史勉強」としては、バランスがよろしくないなぁと思います。
やはり、歴史を勉強しようとする時には、自らがもっている「常識」や「先入観」は、いったん脇に置いておいて、時には、それまで得た自分の知識さえ疑うくらいで丁度よいのではないかと思っています。

今回は、そんな「常識」や「先入観」を覆すような戦前の話をいくつか紹介します。


まず、日下公人著 「人間はなぜ戦争をやめられないのか」より。
P.96~
戦後、常識とされてきたが実はそうではないのだ、という話がたくさんある。
しかし、その常識の非常識を語ろうとすると、その時代に針を戻さないと分からないことが多い。その当時の世代の人はすぐ分かるが、若い人には縷々述べないと分からない。

たとえば、二・二六事件についての常識がある。戦後書かれた本はどれを読んでも、その頃の農村は貧乏で娘を売った、それをみた青年将校が憤慨して、財閥を倒せと立ち上がったと書いてある。どこからも文句は来ないからそれですんでいるが、これは必ずしも当時の常識ではなかった。

娘が売れないときは一家離散になるが、それに比較すれば売れるだけマシだという常識もあった。当時を知らない若い世代からは、何と言うことを言い出すんだと道徳的に嫌がられそうだが、当時の常識はもっと現実的で幅があった。
娘は親孝行で褒められたし、高く売れたということは美人の証拠で、本人も自慢だった。芸者になっていい旦那がつくと、人力車に乗ってきれいな着物を着て帰り、まさに故郷に錦を飾った。田舎の子供達は憧れて、後ろをついて歩き、店では相撲取りや映画俳優と並んで芸者のブロマイドを売っていた。

かなり昔ですが、テレビでやっていた何かの映画で、(おそらく)花魁となった娘が、上述のように名をあげて、数年後に里帰りするシーンを見た記憶があります・・・。

豪華な着物で人力車に揺られて田舎道をやってきます。村には似つかわしくない(?)美しさと豪華さが村の人びとの目を引きつけます。あっけにとられて立ちつくす村人たち。目をまん丸くしたまま人力車の後をついて行く子供達・・・。生家に着き、両親の前で三つ指をついて帰郷を報告する娘。娘のあまりの美しさき変貌ぶりに、おどおどしてしまう両親・・・。そんなシーンだったのですが、何の映画だったのか思い出せません。(分かった方は教えてください(^^ゞ
女の子が生まれると、「これは売れる」と喜ぶ常識もあった。売れるといったら語弊があるが、女の方が就職が楽だった。
紡績の女工になる道もあるし、喫茶店でウェイトレスになる道もある。学校へ進学させる必要がないし、女中さんになれば多少は送金をしてくれるだろうと期待もできる。美人なら言うことはない。そんな常識があった。

(中略)
紡績会社のリクルーターも来て、村から十人、二十人と少女をまとめて汽車に乗せて連れて行った。女の子達は、給料はもらえるし大都市見物ができると喜んで行く。ところが、二年ぐらいすると結核になって帰ってきて、死んでしまう人がいる。

その後、村から行く女の子がいなくなる。そこでリクルーターは、もっと山奥の村まで出かける-というようなことが、大正から昭和へかけて、日本の紡績資本が発達した時代に繰り返されていた。

たしかに、女工に行って結核になり、死んでしまった女の子の話は悲しい。しかし、当時の常識では、結核にかかることで誰かを恨んではいない。結核は、誰でもかかった。二十歳ぐらいで結核で死ぬのは自然現象のようなもので、だからこそ子供を五、六人も産んだのである。

産まれてきかたからには生きていかなければならないが、国民の60%は農家で、農地面積は一戸あたり東日本では3000坪、西日本では2000坪くらいだから、一家の労働力が余ってしまう。工場でも何でも、外に仕事があれば上々というのが当時の常識だった。
工場や町へ働きに行くと結核にかかりやすいことは分かっていても働きに行くのは、苦しい我が家の家計を助ける”口減らし”である。

紡績工場に働きに行った女工は、長時間労働や低賃金、そして結核と、とても悲惨だったというイメージがありますよね?
『女工哀史』や『あゝ野麦峠 ~ある製糸工女哀史~』のおかげなのでしょうが、ちょうど最近、「Empire of the Sun太陽の帝国」さんというブログで、「女工はほんとうに悲惨だったのだろうか?」という記事を目にしました。
以下に、少し引用させて頂きますね。
谷あいの風景の中で、私(田中氏)は意外な『女工哀史』に出合ったのである!
『月給をもらって、自分の欲しかった着物を買ったときのよろこびは格別でした。それから工場は休みがあるでしょ、休みの日にはだれに気兼ねすることもなく友だちと町へ遊びに行きました。紡績へ行っていたときが人生で一番自由なときでした』
元女工の老婆はそのように語った。
さらに、
『寄宿舎には電気がついていますし、食べものも家で食べるよりはるかに良かったですもん』
と続けて語った。私もそれまでは『悪徳資本家が若い女性をだまして、低賃金・長時間労働でこき使った』それが”女工哀史”と思い込んでいたが 当時の女工たちは自分の欲しい着物を買えるよろこびにひたっていたのである。

これも、歴史について一面的な見方しかできないと、真実には近づけないという、良い例かと思います。
それに、現在の価値観で感情的に「なんて悲惨なんだ」、「気の毒に」、「可哀想だ」などと評価することさえ可笑しくなってきますね。タイムマシンで時を遡り、そして若き女工に会い「なんて可哀想に・・・」とか云ったら、「え?なんで?」って聞かれそうですし(笑)

一方、当時の男性の方にも目を向けると、やはり今の価値観では想像もできないような話があるようです。再び「人間はなぜ戦争をやめられないのか」から引用紹介します。
P.100~
当時の道徳観がうかがえる"親孝行についてのエピソード"を紹介しておく。

満州事変の時、ある兵隊のもとに実家から手紙が来た。その手紙を部隊の准尉が検閲で先に読んだ。准尉というのは若い兵隊の面倒をみている世話役のような存在だ。
その手紙には「おまえが死んでくれれば弔慰金がもらえるから一家が助かる。さもなければ、一家離散である。男の子は3人もいるから」と書いてあった。
准尉は悩んだが、家庭の事情だし、その手紙をそのまま渡してしまう。
まさか本当に死んだりはしないだろうと思ったが、手紙をもらった兵隊はすぐに死んでしまった。

戦死するのは簡単だった。敵弾雨飛の中でちょっと立ち上がればすぐ死ねる。敵と遭遇して、流れ弾があちこちに飛んでいるところで立ち上がれば、すぐ当たる。もしも「突撃」という命令が下っているときであれば、勲章がもらえて年金がつく。これが、当時の親孝行だった。その准尉が書いた回顧録がある。

娘が身体を売るのは悲しい話だが、息子達もまた体を捨てたのである。
なんて悲惨な話なんでしょうか・・・、っと、現代の価値観で評価するのはおかしい、って書いたばかりでしたね(^^; 
いや、でも命を落とすことの悲しさは、いつの時代も変わらぬ共通した価値観と云ってもよいかな?

いずれにしても、物事は色々な角度から眺められる心のゆとりは常に持っていたいものですね。

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■参考リンク
Empire of the Sun太陽の帝国 : 売春婦が性奴隷?の怪:被害者史観の愚

■参考書籍

 
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コメント

確かに

>いずれにしても、物事は色々な角度から眺められる心のゆとりは常に持っていたいものですね。
・しかと、心に留め置きます。
 仰るとおりです。
 いつも、「感ずる」記事をありがとうございます。

確かに、そうですな。
その当時の時代感、空気、雰囲気っていうのは、活字ではイメージしずらいけれど、非常に重要なポイントであると思います。
本を読んでも、映画を見ても、なかなか理解できないのがコレ。実感が湧かないというか。
例えば、新旧の戦争映画を見比べてみると、戦争を経験した俳優が演じているシーンは、実に演技に臨場感があるというか。

以前、貴殿のブログに書いてあった言葉ですが、私ら団塊Jrは「戦中世代との血の繋がりを実感できるギリギリの世代」。(このフレーズ、結構気に入ってます。)
私の場合、爺さんという戦中世代の人間を通して、戦前の価値観・常識・考え方を無意識のうちになんとなく感じ取っていたと思います。
たぶん、皆さんもそうなんじゃないかと。
いわば、戦後の価値観(父)と戦前の価値観(祖父)のダブルスタンダードの中で、我々は生まれ育ってきた。
常に頭の中でどっちにしようか、決められずに迷ってしまうことがあります。こういうのを葛藤というのかな。

つまり、あの時代はあの時代のスタンダードがあったんだろうから、今のスタンダードでものを考えると計り間違えてしまうような気がしますね。
自己犠牲の精神とか、互譲の精神とか、美徳とか、武士道とか・・・そういう日本人の本来の姿が、あの時代にはあったような気がします。
そう考えると、その時代の常識っていうのが、歴史を左右する最も重要な要素なんじゃないでしょうかね。

私も結構前に「あゝ野麦峠(大竹しのぶが出てたような)」を見ました。なぜかあの映画、印象に残っています。なんでかな~。

>tonoさん

お褒め頂いてばかりで恐縮です<(_ _)>
これは、自分自身に言い聞かせるつもりもあって書きまました。
歴史に政治問題が絡むと、つい忘れてしまいそうですから・・・。

>くわっぱ上等兵さん

いつもありがとうございます。
拙ブログ内の一フレーズを気に入っていただけるとは、思っても見ませんでしたので、嬉しいです。著作権など主張しませんので(笑)、くわっぱ上等兵さんのところでも使っちゃってください(^^)

>つまり、あの時代はあの時代のスタンダードがあったんだろうから、今のスタンダードでものを考えると計り間違えてしまうような気がしますね。

もう、本当にこれに尽きると思います。

「あゝ野麦峠」は見たような記憶があるのですが、内容がサッパリ思い出せません(^^;

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