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アメリカが計画していた日本本土決戦-1   

昨日のエントリーに引き続き、五百旗頭 真著「日米戦争と戦後日本」から大東亜戦争時のアメリカ対日戦略を見ていきたいと思います。


日米強硬派間の皮肉な合意(P.86~)

本土決戦に向かって
実は終戦の年 の春まで、日本とアメリカ双方の強硬派の間に、皮肉な逆説的「合意」ができていた。日本本土決戦を行い、最後まで戦い抜くという日米間の「合意」である。 アメリカ側においては、日本が無条件降伏するまで中途半端な妥協はしない、日本側がいかなる条件も言えないところまで完全に叩きのめして勝者の意志を貫徹 する、と言うものである。1945年5月8日、すでにドイツは無条件降伏しており、日本に対してもそれを求めるというのが、ローズベルト大統領以来のアメ リカ政府の公的方針であった。
こうした本土決戦の方針は、同時に日本陸軍の方針でもあった。日本国内の最強硬派は陸軍であり、彼らは徹底抗戦を唱えていた。双方とも早期和平には反対であるという公的立場を取っており、皮肉な「握手」をしていた。

終戦に納得しない人達は、1945年8月14日以降、「宮城事件」、「上野公園占拠事件」、「厚木航空隊騒擾事件」、熊本市の「尊皇義勇軍事件」、松江市の「皇国義勇軍事件」などを起こしていますね。実際には事件を起こさなくても本土決戦を主張していた人は少なくなかったようです。
では、米軍はどのような日本本土攻略のためにどのような作戦を考えていたのか・・・。
その実施案として、アメリカ陸軍によって南九州上陸作戦(オリンピック作戦)と関東平野侵攻作戦(コロネット作戦)の二つの作戦が考えられており、8月15日の日本の降伏がなければ11月1日に南九州上陸作戦が実施される予定であった。

南 九州上陸作戦においては、大規模な軍隊の上陸のために平坦な海岸線が続く宮崎平野が主たる上陸地点とされていた。そして志布志湾、薩摩半島の三方から総上 陸して南九州を制圧し、そこに陸上基地を設定する。沖縄に続いて南九州に基地を設定し、そこからB29などを飛ばして日本本土を24時間制空権下に置き、 空襲・爆撃を自由に行えるようにする。鉄道をずたずたにし、都市を燃え上がらせる。さらに大陸との交通を遮断して、この島国を完全に封鎖する。

こ うして日本側の抗戦能力を著しく低下させたあと、最後の決定的な作戦として関東平野侵攻作戦を行う。翌46年3月、平坦な海岸線が続く房総半島の九十九里 浜片貝海岸を中心に大軍を上陸させ、二週間後には相模湾からも別働隊が湘南海岸に上陸する。二方から首都東京に進撃し、中枢部の死命を制する。作戦終了は 46年末の予定である。東京はもっと早く落ちるだろうが、各地にゲリラ的抵抗も起こるであろうし、46年末までかかるというのが、ドイツ同様に日本を無条 件降伏を強制するプランであった。

私自身は生まれも育ちも関東地方なので、このように身近な地名が出てくると、そこを米軍が進撃してくる様子が想像できてしまいます。沖縄や満洲、樺太、千島などではこれが現実になってしまった訳ですが・・・。
このプラン、単なるプランだけでなく具体的に準備も進められていたのですね。

アメリカ軍部は、南九州上陸作戦については6月18日に大統領の承認を得て準備を進めていた。ヨーロッパ戦線からどれだけ軍隊をアジアに回して70万の大軍 を揃えるかについて、検討を急いでいた。また関東平野侵攻作戦に関しては、ワシントンの軍部の会議において、ある幹部が九十九里浜の長大な海岸線が上陸に 大変良いのは確かだが、よい港がないから補給が困難である、と疑念を表した。しかし兵站担当の将校が、大丈夫だ、皆さんが上陸したら、速やかに巨大な人造港湾を作り、そこから陸揚げするから心配ない、と答えて、実行されることになっていた(JPS Minutes)。

も しこの二つの作戦が実行に移されていたら、日本人の死者が倍になっていたかも知れない。第二次大戦における日本人の死者は、軍人・民間合わせて約350万 人だが、ポーランドやドイツでは700万人にものぼる。ソ連の2000万人というのは桁外れだけど、日本より小さな国で2倍の死者が出ている。これは、本土決戦があったか否かの違いによる。


日本本土決戦が行われた場合、その戦闘による軍・民の死者が激増することも考えただけで恐ろしいですが、その後の日本のあり方もゾッとするものがあります。次回はそのあたりを引用紹介してみたいと思います。

話はちょっとそれますが、昭和20年8月15日以降にソ連の侵攻を受けた南樺太の悲劇を綴ったフラッシュをご紹介しておきます。「北方領土の日・・・」のエントリーでもご紹介したのですが、1回もクリックがなかったので(^^;)
九人の乙女の碑
<乙女の碑 北のひめゆり (大きな写真はこちら)>
(上の写真をクリックすると別ウィンドウでフラッシュ再生開始。BGMが流れます)

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■関連エントリー
大東亜戦争中に始まったアメリカの対日占領政策

■参考リンク
宮城事件 - Wikipedia
宮城事件研究室(入口)
終戦/厚木事件(厚木航空隊騒擾事件)

■参考書籍

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