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大東亜戦争中に始まったアメリカの対日占領政策   

久々に近代史の勉強のために読んだ本から、引用紹介するエントリーを書こうと思います。
今回からは、五百旗頭 真著「日米戦争と戦後日本」から、日米戦争のさなか、アメリカは対日本政策をどのように考えていたか、また、日本軍の戦いがアメリカの占領政策にどのように影響したかを見ていきたいと思います。

日米戦争と戦後日本

この本は全体を通して読みやすく、しかも非常に興味深い事が書かれていましたが、特に戦争中のアメリカの日本観と戦後処理案は、日本人としてはゾッとする話が沢山出てきます。
  generated by feedpath

P.50~
ボートン(※)を含めてアメリカの日本専門家は、真珠湾攻撃があった途端に、これで日本の運命は決 まった、日本は壊滅する、と見ていた。戦いが始まった以上、アメリカは途中でやめたりしない。たとえば西部劇を思い浮かべるとわかる。無法者のガンマンが やってきて悪辣の限りを尽くす。シェリフか正義のガンマンが撃ち殺すか縛り首にして平和が戻り、そこで終わる。アメリカ人には、戦争と平和を明確に区分し、戦争になった以上、中途半端な妥協はしないという、単純な戦争観がある。

日本やドイツという無法者が現れて世界の平和を乱したために、我々は平和な経済生活を中断しなければならない。そうして戦争を始めた以上、最後のとどめを刺すまでとことん戦う。それがローズベルト大統領による、「無条件降伏」を求めるという方針の底にあった国民感情であった。泥棒にも三分の理ありで、外交的には犯罪者を死刑にするような決着はあり得ないし、あるべきではない。ところがアメリカ人は伝統的な西部劇的戦争観を持っており、敵が無条件降伏するまで戦いを終えはしない。
※ボートンは日本専門家で知日派。東大にも留学。対日占領政策の立案にも携わる。

ここだけ読む分にはまだ観念的ですが、実際に検討されていた日本処理案はかなり具体的で想像以上に厳しいものがあったようです。

P.53~
六つの日本処理案
-日本-処罰か再建か
激しい総力戦のさなかに作られる敵国への政策が、厳しくならないはずがない。よ くマスメディアが犠牲者の遺族の悲痛と怒りを映し出し、加害者を極悪非道の者として報道することがある。加害者側は何も言えなくなり、誰もかばう発言はで きなくなる。総力戦状況とは、それが国民的規模で集団ヒステリーを発した姿だと思えばいい。当然ながら、アメリカの敵国に対する方針は厳しかった。

ローズベルト大統領は、この国民的気運に形を与えた。1943年(昭和18)1月のカサブランカ会議の終わりに「ドイツ、イタリア、日本の無条件降伏」を声明した。こ の三国を完全に軍事的に敗北させ、無力化して、戦後の国際政治における発言権を奪う。他方、勝利する米・英・ソなどの大国は世界管理にあたる。綱利、ロー ズベルト大統領は、上下軸に沿った戦後秩序を考えた。普通の国々の上に「大国」を、下に「侵略した国々」を置く、垂直的なシステムを示した。その枠組みで考える以上、日本には厳しい処罰的平和、ハード・ピースが課されることになる。

このように厳しいローズベルトの考え方の一方、知日派も米政府内にはおり、様々な議論をしていたようです。具体的に対日占領政策を作った1945年段階のアメリカ政府文書には、6つの対日処理案があったようです。その6つの案とは・・・。

P.56~
最も極端なものは、『国家壊滅・民族奴隷化論』だった。日本は存在する限り悪をなすから、国家を壊滅して民族を奴隷化しなければだめだという議論で、戦争中これを支持するアメリカ国民は決して少なくはなかった。世論調査を見ると、だいたい3~4割もいたことがわかる。しかし政府高官は、さすがに「文明と人道」を語るアメリカが、そんなカルタゴの絶滅のようなことはできないと考えた。

それから『隔離・放置論』が あった。「日本国民の地球上からの抹殺」というカルタゴ的処断が許されない以上、日本を国際社会から隔離する以外に方法はない。幸いにも、ヨーロッパ社会 と不可分に結びあわされたドイツとは違って、日本は島国であり「他国民と緊密な関係を必ずしも持たない孤立化した集団」である。それゆえ、日本を「隔離」 することは比較的容易であり、それによって他国が打撃を受けることもない、と説いたのは、中国派の極東専門家ホーンベック顧問であった。
長くアメ リカの極東政策の守護神をもって任じてきたホーンベックであったが、この意見に追随するものはほとんどいなかった。貿易なしで日本が養っていけるのは、せ いぜい徳川末期の三千万の人口であり、「隔離」はあとの四千万に死ねと言うに等しい、と他のメンバーから批判されることになる。

最も強い筋道になったのは、『介入変革論』だっ た。「無条件降伏」によって、日本を無力化するというローズベルト大統領の方針を受け止めて、長期にわたる占領管理を行い、日本国内の「誤れる思想の絶 滅」をはかる、と言うものであった。教育も変えなければいけないし、思想も変えなければいけない。アメリカが直接介入して、憲法から社会制度まで、侵略戦 争を許容するような要素を全て取り除いて、民主的で平和な社会に作り替えるという手荒な方針であった。


この『介入変革論』ですが、ハーグ陸戦条約43条の「絶対の必要がない限り、占領者は現地の制度、法令を変えてはならない」に反していますが、総力戦下におけるアメリカ国民の支持は大きかったようです。
では、6つの案の残り3つを見てみましょう。

対極的な位置に『日本帝国の温存論』が あった。将来、アジアにおいて中国やソ連が強くなる。中国やソ連に対する対抗力として、日本帝国を弱体化させすぎずに温存しておいた方がよい。日本帝国を 取り去ると、戦後のアジアはかえって難しくなるのではないか、と言う考え方であり、アジアにおけるパワーバランスを重視する立場である。
(中略)
他方、バランタインやブレイクスリーなどの知日派、そしてボーマン議長が展開したのは『介入慎重論』と いう立場であった。これは天皇制を含む日本の現行制度を尊重しようとする立場だった。(略)それぞれの国にはそれぞれの身の丈にあった政治制度というもの があり、多様であっていい。もちろん自由で民主的な社会であって欲しい。しかし民主主義がアメリカ側の譲れない要求だとしても、その民主主義のあり方につ いてはアメリカのような共和制もあるし、イギリスのような君主制もある。共和制であれ君主制であれ、それが民主的な人権を尊重する社会であれば良いではな いか、と言うのがボーマン議長や知日派の立場であった。
(中略)
そして『介入変革論』『介入慎重論』の真ん中に位置するものとして『積極誘導論』が あった。それは厳密な意味で唯一の日本専門家であるボートンによって代表されていた。彼の立場は、一言でいえば「自由主義的改革に天皇制のマントを着せ る」というものであった。大胆な改革を行うべきである。しかし、それを日本の伝統的権威の名において行わせるのがよい、と言う立場である。

以 上は、1943年3月に活動を開始した米国務省の「領土小委員会」内の意見です。このあと知日派、特に10年も中日米大使をつとめたグルーの活動により対 日占領政策はまとめられて行くわけですが、言わずもがな戦争は継続中、軍事的に日本を攻める作戦はこれまたゾッとするものがあります。
次回はこのあたりを書いてみようと思います。

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photo
日米戦争と戦後日本
五百旗頭 真
講談社 2005-05

by G-Tools , 2007/02/142007/02/14

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コメント

ご無沙汰でした

無条件降伏が戦争をいかに必要以上に悲惨なものにしたかを考えて
しまいます。
ルーズベルトを見るとき、まずドイツに対する憎悪というものさえ感じ
ました。
もし途中で彼が亡くなっていなければ、日本の運命もさらに悲惨に
変わっていたのではないかと思っています。
現在の東アジアの問題の原因も、アメリカの日本叩き、共産体制に
対する無知の結果かと。

>小楠さん

こちらこそご無沙汰しておりました。やっと仕事が落ち着いてきたので、再開したところです。ついでにBlogテンプレートも更新して気分一新と言うことで(^^)

>もし途中で彼が亡くなっていなければ、日本の運命もさらに悲惨に
>変わっていたのではないかと思っています。

この本を読んで、私もそれを強く感じました。
ルーズベルトについては私も独裁者的なイメージが強いですね。仰るとおり無知で傲慢なところがある。。。

この本の内容は小楠さんなら既にご存知の部分も多いと思いますが、ルーズベルトやその後のトルーマンの政策、行動、思考など、周辺の人物像まで詳しく書かれているので、非常に興味深く読めました。吉田茂賞を受賞したと言うのもわかる気がします。




本ブログでこの本を知り、今週いっぱいかけて丁寧に読みました。当時の占領政策が非常に綿密に練られていることを知り、米国の恐さを感じました。と同時に現在のイラクの占領政策はあまりにも杜撰であったような気がしてなりません。このようなところにも米国の超大国としてパワーの没落を感じます。

ところで、小林よしのり氏の戦争論(図書館で読みました)とか他のブログには、ローズベルトは人種差別主義者であり、日本滅亡を企んでいた等の記載が見られますが、この本にはそようなことは触れていません。実際のところはどうだったのでしょうか?

追記:安全区の人口密度は90平方メートルに4人くらいです。大体日本の標準的家族向けのマンションくらいの広さです。

>fuyuneko さん

コメントありがとうございます。

>当時の占領政策が非常に綿密に練られている・・・

本当ですね。その恐ろしさがあったので、なおさら本土上陸の見直しのきっかけとなったといわれる硫黄島決戦や特攻隊へは感謝しなければと感じました。

>現在のイラクの占領政策はあまりにも杜撰であったような気がしてなりません。

私も真っ先にそれを感じました。それで記事を書きかけたのですが、うまくまとまらず、ボツにしてしまいました(^^ゞ

私はローズベルトについてはあまり知識がないので、なんともいえませんが、この本から受けた印象では、わりとワンマンだったのかな、と・・・。「人種差別主義者」というのは自由主義史観派が「日本悪くない説」を補強するのによく使うようですが、排日移民法があったことから見ても、あめりかで日本人差別が強かったことは確かでなのでしょう。でも、いろいろ調べてみると、当時の日本人の驕った人種的優越感というか、他のアジア人種への差別・蔑視も相当につよかったみたいですね。

日本滅亡を企んでいた、というのはちょっと眉唾かなぁ、と。

安全区の人口密度は、道路などの共有部分を差し引いても、全然無理のない数字ですね。最近ラーベの日記を読んだのですが、庭に650人の難民が暮らしていたと、ありました。これも結構すごい人数ですが、ラーベ邸も相当広かったんでしょうか?写真を見る限りは豪邸の雰囲気を感じますけど。

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