「多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」(カエサル)
「自分の正しさを雄弁に主張することのできる知性よりも、自分の愚かさを吟味できる知性のほうが、私は好きだ」 (内田 樹)

考察NIPPONの書斎
このブログを書く上で参考にした本の一覧。現在194冊考察NIPPON-別館明治~昭和初期の貴重な動画を集めるブログ
(考察NIPPONの別館です)

近代日本動画資料室 更新情報

RSS表示パーツ

いま読んでいる本

おすすめの本

















↑この本の関連エントリーリストはこちら





カウンター(試験設置)

TOP > スポンサー広告 > title - 大東亜戦争の外的要因-2 保護貿易主義と世界大戦との相関(2)TOP > 日本近代史(戦争) > title - 大東亜戦争の外的要因-2 保護貿易主義と世界大戦との相関(2)

スポンサーサイト   

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

大東亜戦争の外的要因-2 保護貿易主義と世界大戦との相関(2)   

1929年10月24日の暗黒の木曜日から始まる世界恐慌が、世界情勢を変え第二次世界大戦への一歩となった、と前回紹介しましたが、なぜそのような恐慌が起きたのかを、引き続き「日本史から見た日本人 昭和編―「立憲君主国」の崩壊と繁栄の謎」から見てみたいと思います。

  generated by feedpath

P.199~
このひどい、しかも長期の不況は、どうして引き起こされたのか、と言えば、その年の5月28日にアメリカ下院議会を通過したホーリイ・スムート法と関係がある、と言ってよいであろう。
こ の法律の背景にあるのは、戦前のアメリカの保護貿易思想である。第二次大戦後でこそアメリカは自由主義世界のリーダーとして、自由貿易の守護神の役目を果 たしてきたが、戦前はその反対だったことは忘れられやすい。アメリカは最初はヨーロッパより工業などで遅れているという意識があったから、保護貿易に傾きがちであった。
保護貿易とは、高い関税等で外国産業の輸出にハンデを負わせて国内産業を保護するものですね。この時代のアメリカについて言えば、特に自国の農業を保護するために関税障壁を設けようとしたわけです。なぜか・・・。
P.201~
ホー リイ議員は、オレゴン州のメソジスト派の農家の人であり、その妻も同じ州の農家の女性であった。したがって、農民のために関税障壁を作るに熱心であり、 1922年(大正11)、フォードニー・マッカンバー法が作られる際も、農作物に関する部分は彼の起案によるものであった。それが、1929年(昭和4) の法案の時はさらに極端になったのである。農業生産品の保護をやる関税法を作ると言えば、それに乗ろうとする他の生産業者もいて、空前の保護関税法案に なってしまった。同じようなことは、R・O・スムート議員についても言える。
早い話が選挙区や自分の事業利益を優先さ せた結果、世界経済に対する視野が欠如した法をつくってしまったということのようです。株式暴落から世界不況が起こりそうになったときこそ、貿易の阻害に なる関税の引き下げをすべきであったのに、まるで反対のことをやってしまったと著者の渡部氏は書いています。

前回書いたとおり、世界中に植民地を持っていた国やアメリカなどは自分の経済圏の中で行う政策で不況を乗り越えられるものの、それ以外の国は非常に苦しめられることになります。そして、いわゆるブロック経済化で日本等はより追いつめられることになります。
P.206~
世界的な保護貿易の風潮に対応して、イギリス帝国のメンバーである諸邦は1932年(昭和7)7月21日から8月20日まで一ヶ月にわたり、カナダのオッタワ下院議事堂に於いて英国経済会議、いわゆるオッタワ会議を開催した。
(略)
会議の議題としては4つほどあったが、一番重要で、しかも意見がまとまったのは特恵関税同盟によるブロック経済化の協定である。
簡単に言えば、イギリス本国のような工業国は、帝国内の諸邦から食料や工業の原料を無関税、あるいは特恵関税で輸入するが、域外からの輸入には関税をかける。これは一時生産物の極端な値下がりや不況に悩んでいた帝国のメンバーにとっては福音であった。
また同時に、イギリスの工業生産物はメンバーの諸地域に特恵関税で輸出されることになるから、イギリスの工業化にとっても福音であった。しかしこれはブロック化であるから、その中ではお互いに有利でも世界の貿易全体は大幅に縮小されることになった。

アメリカのホーリイ・スムート法も、英帝国のオッタワ会議も、いずれもアングロサクソン圏に関するものである。世界的不況が進んでも、これらの国や地域は何とか自分たちでやってゆける。しかし、日本のような国はどうするか。ヨーロッパでも、ドイツやイタリアやフランスはどうするか。
江戸時代までの日本は人口も少なく自給自足できましたが、開国してからは急速な工業化と人口の急増により、貿易無しではやっていけない国になっていました。もちろん今でもそうですが、貿易は日本にとって死活問題なんですよね。
P.208~
日 本は近代産業に必要とする原料を、若干の石炭以外は国内に何も持たないと言ってよい。せいぜい生糸を売って外貨を稼ぎ、それで原料を買い、安い労働力を 使って安い雑貨を売り、それによって近代工業を進め、近代的軍備を整えてきたのである。それに日露戦争以来の借金も山のようにある(そうした日本の負債が ゼロになったのは昭和63年(1988年の12月31日である)
(略)
自由貿易とか、国際協調という理念は、アメリカによってまず破られ、ついでイギリス帝国によって捨てられたのである。近代国家として生きていくためには自給自足の経済圏を自ら持たねばならぬ、と多くの日本人が考え始めた。
ホーリイ・スムート法が、満洲事変に先立つこと1年も前に成立していたことを無視して昭和を語ることはできない。

少しでも参考になったと思われましたら、応援クリックよろしくです<(_ _)>
   ブログランキング・にほんブログ村へ   
コメント、TBもお気軽にどうぞ♪

日本史から見た日本人 昭和編―「立憲君主国」の崩壊と繁栄の謎
渡部 昇一
4396312024

関連エントリー

  1. 戦争について考えるエントリー再開
  2. 終戦前の日本から学ぶべきは何なのか-1
  3. 終戦前の日本から学ぶべきは何なのか-2
  4. 終戦前の日本から学ぶべきは何なのか-3
  5. 終戦前の日本から学ぶべきは何なのか-4
  6. 明治憲法の曖昧さがもたらした軍部の政治介入-1
  7. 明治憲法の曖昧さがもたらした軍部の政治介入-2
  8. 明治憲法の致命的欠陥の露呈
  9. 大東亜戦争の外的要因-1
  10. 日米開戦を痛快と感じた当時の日本
  11. 大東亜戦争の外的要因-アメリカの人種差別政策-1
  12. 大東亜戦争の外的要因-アメリカの人種差別政策-2
  13. 大東亜戦争の外的要因-アメリカの人種差別政策-3
  14. 大東亜戦争の外的要因-2 保護貿易主義と世界大戦との相関(1)
スポンサーサイト

ブックマークに追加する

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURL:
http://jseagull.blog69.fc2.com/tb.php/277-ff21674f

FC2Ad

相続 会社設立

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。