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大東亜戦争の外的要因-アメリカの人種差別政策-1   

久々に日本史から見た日本人 昭和編―「立憲君主国」の崩壊と繁栄の謎から引用しながら紹介していきます。

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なお、今回のエントリーは下記の続きとなります。

大東亜戦争の外的要因-1
日米開戦を痛快と感じた当時の日本

ところで、昨日こんなニュースがありましたね。


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アパルトヘイト撤廃に抵抗のボタ元南ア大統領死去

かつて、南アフリカ共和国は、このアパルトヘイト(人種隔離)政策によって長い間、国連から経済制裁を受けていました。
20世紀後半には、このような露骨な肌の色の違いによる人種差別は無くなっていきましたが、それ以前は他の国でもやっていましたし、アメリカは特に有名ですね。東海岸ではアフリカから黒人を、西海岸では中国からシナ人を、それぞれ奴隷として使っていました。

植民地主義の時代ですから、白人が支配していた国はどこも似たようなモノだったのでしょうが、ヨーロッパ諸国に比べてアメリカや南アフリカは特に人種差別が激しかったように思います。では、ヨーロッパ諸国とアメリカ・南アフリカとの違いは何か・・・。それは元々有色人種が住んでいた土地に白人が侵略して成立した国家かどうかという点です。オーストラリアもそうですね。そのような国で人種差別が激しい理由を著者の渡部氏は次のように書いています。
P.159
・・・世界歴史は白人の版図の拡大史であった。特にアメリカ合衆国は、有色人であるアメリカ・インディアンの土地を奪い、有色人種である黒人を奴隷に使うことが国家成立の前提になっていた。
ヨーロッパの諸国は有色人種の棲息地(?)を侵し続けたが、自国内には社会問題になるほどの有色人種を当時は抱え込んでいなかったから、有色人種国の日本が近代化し、国際勢力として台頭するのを、多少の余裕を持ってみることができた。

しかし、アメリカは違う。元来が有色人種だけしか住んでいなかったところに最近、白人が入り込んでできた国である上に、大量の黒人奴隷を輸入して、当時の基幹産業である大農場経営をやっていた。こんなところに、白人と有色人種との平等思想が入り込んだら社会が成り立たない。多くのアメリカ人達は本能的にそう感じた。
だから、当時のアメリカでは差別政策無くしては国の統治はできなかったのでしょう。

逆に、例えばイギリスと日本は日英同盟で割と良い関係にあったのですよね。また、国際連盟において日本が人種差別を止めるような条項を加えるよう提案した時も、パリの新聞「ル・タン」は「日本の要求に対し深甚な同情を表すとともに、いつの日にか日本の正当な主張を尊重しなければならないような解決にいたるであろう事を疑わない」とさえ論評したそうですし、同じくパリの「ラ・ヴィクトアール」紙は「日本の平等待遇を要求した修正案が否決されたことは不都合である」と書いたそうです。これに対して・・・
アメリカやオーストラリアではこれを日本の陰謀と受け取ったようであり、さらに排日的な態度を示すようになったのである。結果論的に言えば、逆効果だった。
日本という有色人種の近代国家の存在自体が、そして日本人の抱く民族平等という思想自体が、白人の世界支配体制にとっては、極めて大きな脅威であり、かつ危険思想であることが、さらにはっきりと理解されたように思われる。
と、いうわけです。日本としてはそんなつもりはなかったでしょうに。有色人種の国が国際会議に初めて主要国として出席した日本は有色人種の代表として、しかし穏当に主張したに過ぎなかったのですが。。。
20世紀になると、武力抵抗を止めたインディアンは、すでに「敵」ではなくなっていた。黒人に対しては、それが将来の問題になるであろうという懸念を意識の底に持っていた人もいたであろうが、当面の心配はなかった。完全に差別され、その差別された状態を受け入れていたからである。

東から来たシナ人は、はじめは黒人並みに奴隷扱いしたが、意外に頭が良く、能力があって、商売などで成功する者も出てきた。しかし、彼らは必要に応じて弾圧したり殺戮すれば良かった。シナ人のクーリー(苦力=下層低賃金労働者)やその子孫達は概して従順であり、抵抗はほとんどなかった。彼らの本国の清朝は海外で自分の国民がいかに虐待されようと、ほとんど関心を示さなかった。
しかし、新しく移民してきた日本人は、それとまるで異なるのだ。

日本人は、アメリカよりも強大な陸軍国である白人のロシア帝国の大陸軍に連戦連勝した。難攻不落と言われた旅順の洋裁も陥落せしめた。アメリカの海軍全体にも相当するほどのロシアの大海軍を文字通り撃滅した。ナポレオン軍を完膚無きまでに破ったコサック騎兵も、日本の騎兵には一度も勝てなかったのだ。日露戦争後の日本人はアメリカ人の目には、まったく恐るべき有色人種として現れてきたのである。

黄禍論(黄色人種が白色人種の社会・文化に脅威を与えるという主張)を言い出したのはドイツのヴィルヘルム二世であるが、ドイツの場合、問題は切実でない。だが、アメリカの白人にとっては、自分の国内で新型の人種問題が起こることを意味した。
このようなアメリカが感じていた脅威に対して、日本人は当初は鈍感だったようです。
というのは、日露戦争はアメリカ大統領(セオドア・ルーズベルト)の友好的仲介によって集結したことを日本人は知っていたので、親米感情やアメリカを憧れる感情が非常に強かったからである。
(略)
ところが、アメリカ人の方はそうではなかった。日露戦争が終わってみると突然気が付いたのである。太平洋の向こう側には、バルチック艦隊をパーフェクトゲームで葬り去った強力な日本艦隊がいることに。そして、自分たちの方にはそれに対抗するような艦隊が太平洋にいないことに。
次回は、アメリカにおいて日本人がいかに差別されたかを具体的に記した部分を引用してみようと思います。


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コメント

人種差別

1919(大正八)年、第一次世界大戦後のパリ平和会議で、国際連盟が設立されることになり、日本はその規約に「人種差別撤廃条項」を盛り込むことを提案しますが、白人諸国の反対に遭います。委員会では11対5で賛成が多数を占めましたがアメリカのウィルソン大統領が全会一致を主張し、日本の提案は否決されました。
わざわざ全会一致まで主張して!!

>小楠 さん

返信が遅くなり申し訳御座いません。

日本の提案は各国の事情を踏まえて、徐々に人種差別をなくしていくという現実的な物だったようで、「即刻止めるべき」というようなものではなかったようですね。

でも、このエントリーで書いた通り、アメリカやオーストラリアでは国の根幹が揺らいでしまって、当時ではかえって社会が混乱することを恐れたのかもしれませんね。

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