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TOP > ARCHIVE - 2008年06月

今週の「日本列島プチ改造論」はおもしろい   

1940年の反軍演説の続きを書く予定でしたが、ちょっと脱線します。

毎週木曜日更新の「日本列島プチ改造論」というネット上のエッセイがあるのですが、今日の更新はおもしろくって、ちょっと紹介しておきたいたいなぁと思いましたので。

このエッセイはのちに書籍化される予定だそうでして、バックナンバーは掲載後3週間経過するとネットで読めなくなってしまいますから、早めに触れておきたかったというのもあります。


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斉藤隆夫の「反軍演説」は"反軍"ではない?   

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1940年(昭和15 )2月2日、衆議院で民政党斉藤隆夫議員がいわゆる「反軍演説」を行いました。日中戦争(支那事変)が始まって2年半あまりたったときのことです。

この「反軍演説」と斉藤隆夫議員についてよく見られる解説としては、

「この演説は軍などの強い反発を招き、議員除名処分を受けた。しかし1942年(昭和17)の総選挙では、軍部を始めとする権力側からの激しい選挙妨害を受けながらも、国民から高い支持を受けて翼賛選挙の中、再選を果たす」

というものでしょう。


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私的情報整理法-便利ツール紹介   

「たまにはいつもと違う話題」シリーズ(なんだそれ?)の2回目。

ネットで情報収集している方に少しは役に立てるかも?ということで、自分が普段使っているツールを3つほど紹介してみます。

☆ WEBサイトに好きなようにマーカーできてしかも消えないツール。
☆ 軽くてマーカー出来る無料のPDFリーダー
☆ ソーシャルブックマークの乗り換え

------
せっかく読んだものは、頭に入れておきたいし、あとから参照・利用できるようにしておきたいものです。

たとえば、私が本を読む時は、重要だと思ったり、あとで調べようと思った部分には傍線を引いたり付箋紙を貼ったりします。そして一冊読み終えると下の写真のような有様になります。

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Firefox3を使ってみた   

たまにはいつもと違う話題を。

私が普段使っているブラウザはFirefox(Ver2)です。そのFirefoxですが、本日(6/18)新バージョンのFirefox3が正式リリースされました。

リリースされたばかりのFIrefox3ですが、使ってみた人の感想は概ね好評のようなので自分もインストールしてみました。

その結果は・・・・、


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ブログを始めて2周年   

ふと気がついたら、このブログを始めてから丸2年が経過していました。

今まで訪問していただいた方、コメント・TBしていただいた方、拍手ボタンを押していただいた方、ブックマークしていただいた方、ありがとうございました。

ブログというものは、やはり読んでいただける方がいるからこそ続けられるものだと思いますので。


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[書評]吉田茂の自問―敗戦、そして報告書「日本外交の過誤」   

51TJVZ0AGVL10回にわたって転載を続けてきた55年前の外務省極秘文書「日本外交の過誤」が掲載されている『吉田茂の自問―敗戦、そして報告書「日本外交の過誤」』について、最後に書評を書いておこうと思います。

まず、本のタイトルについて。
「吉田茂の自問」とあるので、吉田茂について書かれたものと思わされがちですが、この本に戦前の日本外交についての吉田茂の意見は一切登場しません。



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外務省極秘文書「日本外交の過誤」-(9)結論   

転載を続けてきた外務省文書「日本外交の過誤」ですが、今回転載するのが本編の最後、「結論」部分となります。
外交技術についての教訓とも云える部分なので、歴史認識という視点から見ると抽象的な箇所も多いのですが、いろいろと考えさせられるところの多い「結論」となっていると思います。


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外務省極秘文書「日本外交の過誤」-(8)終戦外交   

今回転載するのは、戦争の終わらせ方についての反省の部分です。

「太平洋戦争はもっと早く終わらせることはできなかったのか」という問いかけは、しばしば目にするところです。「緒戦の思わぬ大勝に調子に乗ってしまった、あの時に講和に持って行ければ・・・」という話も見かけますが、戦争も外交も相手のあること、こちらの都合の良い状態(イコール、相手の不利な状態)で終わらせることなど至難の業と言えそうです。

ましてや、あの戦争では、特に。


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外務省極秘文書「日本外交の過誤」-(7)日米交渉   

今回転載するのは、日米開戦に至る最後の外交「日米交渉」の部分です。

日本が「外交」というものに対して臨む姿勢の問題点が顕著に表れたのが、この交渉だったのかも知れません。
満洲事変の際に、すでに「言うこととやることが矛盾する信用ならない国家」というレッテルが貼られた日本でしたが、それを回復しようとする努力をすることもないままに崖っぷちに追い込まれ、それでもなお、外交を甘く見ていたとの誹りは免れないような交渉をしようとしていたようです。


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外務省極秘文書「日本外交の過誤」-(6)仏印進駐、蘭印交渉   

日本と米英の対立を決定づけたのは、前々回の日独伊三国同盟ですが、この仏印進駐、とくに南部仏印進駐はアメリカの日本への石油輸出禁止措置を招きました。

アメリカがそこまでするとは思わなかったと回顧する声もあるようですが、日本の行動が他国にどのように映るかという視点が欠けていたということなのでしょうか・・・。


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外務省極秘文書「日本外交の過誤」-(5) 日ソ中立条約締結   

最近転載をつづけている外務省文書「日本外交の過誤」は、前提知識がないと、この調書が何を言っているのか理解することが難しいかと思います。
そのせいか、最近のエントリーはごくわずかの方しか読まれていないようです。
あるいは、日本の戦争は軍のせいと思いこんでいて、外交はあまり関係ないと思っている人もいるのかも知れませんがw

一通り、この転載が終わったら、また簡単なエントリーを書こうと思っています。

今回は「日ソ中立条約」の部分を転載します。


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外務省極秘文書「日本外交の過誤」-(4) 日独伊三国条約締結   

今回は 、日米開戦に向かう歴史の流れの中で、ポイント・オブ・ノー・リターン(引き返し不能点)とよく指摘される、日独伊三国同盟についての章を転載します。

この章では、日本の国際情勢への認識の甘さ(浅さ)と、外交の拙さが、あの戦争の大きな要因になっていると認識していると思われます。



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