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Archive 2008年02月
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少し前になりますが、茨城県鹿嶋市にある神之池基地跡(桜花公園)に行ってきました。
ここは、特攻専用機であり人間爆弾とも呼ばれる「桜花」に搭乗する特攻隊員の訓練が行われていた場所です。
基地そのものは今はなく、住友金属工業の敷地となっていますが、当時は10数個あったという掩体壕が一つだけ残され、その中には桜花(レプリカ)が置かれています。
右写真は、元神雷部隊・桜花特攻隊員の小城久作氏によって建立された慰霊碑で、裏には山岡荘八氏による碑文が刻まれていました。
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・・・と、下記のニュースにツッコミをいれたD_Amonさんの『「数字の説得力」の悪用 』を読みながら思った。
<引きこもり>最多は30~34歳 就職・就労きっかけで(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
「テレビで言っていた」「新聞に書いてあった」と言うだけでそれを真に受ける人は、昨今の不祥事のおかげで減っているかもしれないけど、学者の調査や発表となると、無批判に信じてしまいがちだから要注意だと思いますよ。
・・・と思っていた矢先に、こんなニュースを見た。
→ 体に良いの悪いの!? 牛乳論争ヒートアップ
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いまから72年前、1936年(昭和11)の今日は、二・二六事件があった日です。
クーデターそのものは未遂に終わったものの、この事件が日本近代史に与えた影響はかなり大きいものがあるといえそうです。
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2月17日のエントリーで、第二次上海事変時の上海南駅の爆撃で赤ん坊が泣いている写真について、産経新聞論説委員の石川水穂氏が、
「この写真は反日宣伝のための創作だったことが、自由主義史観研究会などの調査で明らかになっている」
と書いていたことに触れましたが、その論拠となっていると思われる文章をたまたま見つけましたので、引用してみます。
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前回と同様、本を読んでいて、なるほどと共感した部分を。
東大准教授 日本近代史専攻の加藤陽子著「戦争の日本近現代史」のあとがき部分から引用しておきます。
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私は、ネット上にある質問サイトの歴史カテゴリーを勉強のためによく覗きます。
そこで先日、大変すばらしい、私が100%共感した書き込みを見つけましたので、転載させていただこうと思います。
私が普段から思っていること、主張したいことが見事にまとめられており、私が駄文を書くよりもそのまま転載した方が、拙ブログを読んでいただく方にも有意義かと思いましたので^^
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3月から公開される映画「明日への遺言」について、産経新聞論説委員の石川水穂氏が『無差別爆撃の非道さを問う』 という記事を書いています。
映画については賞賛していますが、ただ「米国の反日宣伝写真が挿入されていた」のが残念だったと書いています。それは右の写真(クリックで拡大)のことを言っているのでしょう。石川水穂氏は、
「この写真は反日宣伝のための創作だったことが、自由主義史観研究会などの調査で明らかになっている」
としていますが、これは創作などではなく、現実を撮影したものに過ぎません。
詳しいことは、下記ブログを参照していただければと思いますが、東大法学部卒で新聞社の論説委員にまでなった石川水穂氏がいまだにこういうことを書くのは、プロパガンダとは言わないのでしょうか?
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『戦前の少年犯罪』の著者、管賀 江留郎さんがご自身のブログで、なぜどのマスコミもこの事実を報道しないのか、と首をひねっていらっしゃいます。 同感。
2月1日に警察庁が発表した犯罪統計資料によると、殺人事件の検挙率も96.5%。
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「昭和8年のゴーストップ事件(進止事件)-1」の続きです。
前回、信号無視をした上等兵とそれを注意した警官との些細なケンカが、軍部と警察の対立に発展したというところまで書きましたが、軍が発表した声明文を紹介しているサイトがありますので、少し引用させていただこうと思います。
なんで、軍人が警官に注意されてケンカしたくらいでこんなに大事になったかというと、軍の上層部としては、
「天皇陛下の赤子(せきし)である軍人を、衆人環視のもとで連行し、巡査風情(ふぜい)が殴打するとは何事ぞ」
という意識なんですね。
※注: 赤子 (せきし=天皇を親とする赤ん坊という意味)
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久々の更新ですが、
天木直人氏がブログで「ゴーストップ事件」について書かれていたので、便乗して(?)触れておこうと思います。(この事件については、いつか書いておこうと思っていたので。)
ごくごく簡単に、どういう事件だったのか紹介すると、「ある一等兵が
大阪市の天六交叉点で赤信号を無視したことがきっかけで、日本の軍部の暴走が始まった」というものです。
・・・・って書くと、「なんだよそれ」ってツッコまれそうですが(笑)、実際に、軍と警察が激しく対立、目撃者は軍と警察の事情聴取に堪えかねて自殺、最終的には昭和天皇が口を出すまで約半年間もめつづけたというものです・・・。
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