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TOP > ARCHIVE - 2007年05月

信じられない・・・   

「自分の目を疑う」

「言葉を失う」

そんな経験は普段の生活では滅多にない。

 でも、夢にも思わなかった突然の訃報を知った時、人はこういう状態になるんだって、改めて分かった気がする。

 「ZARDの坂井泉水さん転落死 脳挫傷で」

 

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5月27日 日本海海戦   

明日、5月27日は、日露戦争の決着をつけた日本海海戦のあった日です(1905年、明治38年)。戦前は海軍記念日として、祝ったそうですね。

日露戦争は、日本はもちろんのこと、世界史でも歴史の大転換点として極めて大きな意義を持つ戦争だったといえると思います。下記に日露戦争関係の動画を貼っておきますが、そのナレーションでも語られているとおり、白色人種 VS有色人種の戦争でもあり、日本の勝利が、欧米列強の植民地となっていたアジア諸国に、「アジア人のアジア」という声を沸き起こらせたのです。

というわけで、日本海海戦のあった日に合わせて、すでに考察NIPPON別館の方ではご紹介済みではありますが、あらためて日露戦争の動画のご紹介です。
この動画では、あの乃木希典将軍も映っています。

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山口・光市母子殺害事件と死刑存廃問題   

山口・光市の母子殺害事件の差し戻し控訴審が報道されています。被告の弁護団がどうみても詭弁を弄して死刑判決をさせないようにしているように見えてしまいます。弁護団は21人、リーダーは死刑廃止論者の安田好弘主任弁護人
検察側に手落ちや怠慢などの問題があるようなケースでは、あのような対決姿勢も意味があるものと思いますが、これまでに報道された事件の概要から判断すると、どうしてもあの事件を死刑廃止運動に利用しているように見えてしまいます。

これまでも被害者感情を逆なでするような言動が目立ち、世論の反感を買っているようで、むしろ死刑廃止論者にとっては逆効果なのでは?と思うほどです。

【追  記 2008/04/17】

山口・光市母子殺害事件に関心のある方は、以下のエントリーもぜひどうぞ。

公平性欠く山口光市母子殺害事件テレビ報道-BPO意見書・・・そして満州事変時と変わらぬ日本のメディア




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ある元特攻隊員の回想-4   

引き続き、「語られざる特攻基地・串良―生還した「特攻」隊員の告白」から引用紹介したいと思います。
なお、このエントリーは下記の続きとなります。

ある元特攻隊員の回想
ある元特攻隊員の回想-2
ある元特攻隊員の回想-3

photo

前回のエントリーで引用紹介した特攻隊員選抜時の様子は、ある下士官の証言ですが、今回はこの本の著者・桑原敬一氏ご自身が特攻隊員に指名されたときの回顧からです。

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ある元特攻隊員の回想-3   

引き続き、「語られざる特攻基地・串良―生還した「特攻」隊員の告白」から引用紹介したいと思います。
なお、このエントリーは下記の続きとなります。

ある元特攻隊員の回想
ある元特攻隊員の回想-2

photo

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ある元特攻隊員の回想-2   

このエントリーは、「ある元特攻隊員の回想」の続きで、「語られざる特攻基地・串良―生還した「特攻」隊員の告白」よりの引用となります。

photo

元特攻隊員の方の心情を吐露した内容でもあり、多言を弄するのは失礼にあたるかと思いますので、いつものような私のコメントは、控えめにしていきたいと思います。

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愛知立てこもり発砲事件で、ふと思ったこと   

「特攻」のエントリーを続けているところですが、ちょっと脇道に逸れます。

タイトル通り、愛知立てこもり発砲事件の報道を見ていて、ふと思ったことなのですが・・・。

銃で撃たれて負傷した警官を、長時間救護できなかったり、解決に非常に長時間を要したことについて、いろいろな批判が出ているようですね。

このことについて、「憲法9条を変えると戦争になる」と言っている人たちの意見をちょっと聞いてみたいなぁって思いました。

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ある元特攻隊員の回想   

5/12のエントリーで、私は「特攻の捉え方について考え直した」「思考停止していたのではないかと反省した」と書きました。それはどういうことかというと・・・

特攻隊員の遺書を読むと、日本の将来を想う気持ちがつづられていることも多く、現代よりもはるかに強い郷土愛・愛国心を持っていたからこそ、人間の本能に反して自ら死んでいくことができたのだ、と解釈していました。もちろん、そういう特攻隊員もいたと思いますが、すべての特攻隊員が果たしてそうだったのか?あの遺書は本心だったのか?ということはあまり考慮していませんでした。
(特攻隊員の遺書の一部は、「神風 陸軍・海軍特別攻撃隊」さんの「遺書」のページか「老兵の繰り言」さんで読むことができます。)

若い人の遺書は、普通滅多に目にするものではありません。なので、それを目にするだけで感情が高ぶってしまい、行間を読むことができなかったのではないか・・・。


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特攻を拒否した美濃部少佐と芙蓉部隊-2   

前回のエントリーで美濃部少佐と芙蓉部隊の存在について触れましたが、写真だと読みにくかったせいか、解説文があまり読まれていないようなので(笑)、芙蓉部隊に関連する部分をテキストに起こしておきたいと思います。



 左は芙蓉部隊の写真ですが、敗戦濃厚な戦争末期にも関わらず、みんな自信や気迫に満ちた明るい表情をしているのが印象的です。同時期の特攻隊の写真とは、また違った雰囲気が感じられますね。


(写真はクリックで拡大)


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特攻を拒否した美濃部少佐と芙蓉部隊   

先日(5/13)は、航空自衛隊静浜基地の航空祭に行ったのですが、そこで「芙蓉部隊」の展示をしていましたので、写真を撮ってきました。

芙蓉部隊」とは、エントリータイトル通り、特攻に反対し、終戦まで唯一(?)特攻を行わなかった部隊です。

美濃部少佐は、一度は特攻の父とも呼ばれる大西長官から部隊を特攻に出すように命令を受けますが、「私の部下をその程度の戦果のために殺すんですか?それでは、私が手塩にかけて育てた彼らの死はムダになります。どうしてもやれ、と仰るのなら、私の思うとおりにやる」と反論、特攻命令を取り消させた人です。その美濃部少佐が編成したのが「芙蓉部隊」です。 私は芙蓉部隊の存在は知っていましたが、現在の静浜基地(当時は藤枝基地)が、芙蓉部隊があった場所というのは、迂闊にも昨日行くまで知りませんでした。

簡素な展示でしたが、下記に撮ってきた写真を掲載しておきますので、ご覧下さい。

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私が読んだ特攻関連の書籍   

ここしばらくの特攻関連のエントリーでは、私が今まで本を読んだり調べたりしながら、「○○について紹介します。」などと、えらそうに書いてきましたが、実は特攻関連の書籍を読むようになったのは割と最近のことなんです。もちろん、特攻については子供の頃から知っていましたが、特攻の本を最初に買ったのは、昨年秋に訪れた知覧特攻平和会館で購入したのが最初です。


それ以来、購入した本は7冊です。特攻がテーマの本は戦後数え切れないほど出版されていますので、そのうちのごく一部に目を通したに過ぎないわけです。ですので、新たな本を手にするたびに、特攻に対するイメージが大きく揺らいでいるのも正直なところです。特に、つい先日読み終えたある本によって、私は特攻についてのそれまでの捉え方を、大きく考え直さざるをえなくなってしまいました・・・。


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1945/5/11の特攻と戦果   

最近、特攻関係のエントリーを続けているのは、今のこの時期が航空特攻が、最も激しかった時期というのがあります。


62年前の今日、5月11日は、「菊水6号作戦」と「第七次航空総攻撃」が発令された日であり、数多くの特攻機が出撃していきました。そして、その中で、米第58機動部隊の旗艦・空母「バンカーヒル」には2機の特攻機2機が体当たりし、大破させています。 (米兵死者396名、負傷者264名)


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「別館」からのお知らせ   

考察NIPPON-別館」の方に、「特攻」関係の動画を一気に30個(エントリー)以上追加しました。また、ブログのテンプレートも、映像を見やすいような黒バックのものに一新しました。

敵艦突入時の映像は複数エントリーで重複しているところもありますが、貴重な記録フィルムですので、関心のある方は、ぜひご覧下さい。

あと、4月30日のエントリーでご紹介した、元桜花パイロットの鈴木英男氏が語っている映像があったのを思い出したので、貼っておきます。鈴木氏のお話は映像右下のタイム3:07あたりからです。

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戦争映画の功罪   

封切りが間近に迫った特攻隊を描いた映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」ですが、製作総指揮が、石原慎太郎というだけで、公開前から色々と批判する人がいましたね。


つい最近では、この映画について井筒和幸監督が「戦争の美化」と批判していることに対し、主演した窪塚洋介が、「この映画を見て、戦争賛美だというヤツはアホだと思う。見る前に言うヤツはアホ」と反撃していました。 (デイリースポーツ記事4/20記事(キャッシュはこちら))


これと同じように、「この映画は戦争賛美だ」「見ないで戦争美化とか言うな」という、小さなバトルがあったので、ちょっと触れておこうと思います。


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特攻隊員の葛藤   

先日御紹介させて頂いた、元特攻隊員・永末千里氏のブログ「老兵の繰り言」では、特攻隊員の遺書やエピソードが、毎日つづられていますが,4月30日の記事は、両親宛の遺書を書いた後に母親と姉が面会に訪れ、「まだ死にたくない」と葛藤する17歳の隊員の話で、胸が苦しくなる想いで拝読しました。


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