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幻のハワイ日本連合   

いつもは本から引用してご紹介することが多いのですが、今日はテレビ番組からです。
最近歴史物にはまっている私は見るテレビもその関係が多いのですが、その中でも好きなのはNHKの「その時歴史が動いた」です。
「なんだ、犬HKかよ!」という方もあるかと思いますが(笑)、この番組は私のように歴史を勉強したいと思う者には見る価値はあるかなと思っています。

確かに、反日ワクチンさんのところで取り上げているこの動画を見たりすると、私もキーボードを叩き割らんばかりにNHKには立腹しますし、この番組についても薩英戦争を取り上げた回で視聴者の事前の指摘があったにもかかわらず英国国旗を上下逆さまに映すなど問題はないわけではないのですが、白洲次郎の回では日本人としての誇りに背筋がぞくぞくするほど感動したものです。

前置きはこの辺にして、今日はハワイがまだ独立国だった頃、アメリカの侵略に危機感を感じたカラカウア国王が白人列強国にアジア連携で対抗しようと尽力した話です。アメリカ人監視役の目を盗み明治天皇と極秘会見、王位継承権を持つ王女と日本の皇族との政略結婚まで提案するなど、ハワイ国の滅亡寸前の危機感が伝わってくる内容でした。以下は番組内容の要約です。(赤字部分は番組で紹介された当事者の言葉です)





1778年の英国人クックの来航以来、当時独立した王国だったハワイには西洋人が多くやってくるようになる。19世紀にはアメリカが進出、資本家が土地を買いあさりハワイは国土の半分を失う。またアメリカ人はハワイの政治にも進出、政府の主要閣僚までアメリカ人が占めるようになる。またアメリカ軍も真珠湾を軍港にしようとたくらむ。

当初はアメリカとの貿易でハワイが発展すると思い、国のために良かれと思ってアメリカ人を受け入れたカラカウア国王も、ここに至ってアメリカの真意に気づいた。
「アメリカはわが国を占有し、太平洋上の拠点にしようという野心を抱いている」
「ハワイも主権を持つ立派な独立国家のはずだ」


カラカウア一人でアメリカの進出を食い止めることはできず、次のような構想を考え出す。
「アジア諸国は列強の支配を受けながら、互いに孤立を深め無策である。この状況を抜け出すためには各国が一致団結し欧米に対峙する必要がある

そこでカラカウアはアジア諸国歴訪を計画、何とかアメリカ人を説得する。しかし条件として監視役の随行員同行を求められる。
最初の訪問国は、日本。

日本はハワイ国歌の演奏で歓迎、感動するカラカウア。その日記には次のように記されていた。
「港(横浜)では人々が心からの歓迎の声を上げてくれた」
「テーブルの上にはALOHAの文字をかたどった花飾りが置かれていた。この歓迎ぶりに、私は思わず『何と美しい!』と口に出してしまった」

カラカウアは、日本軍のパレードや兵器工場の見学をして、一つの確信をします。
「日本の進歩は実に驚くべきものである。アジア連合を起こすとすればその盟主には天皇陛下がふさわしい

そして、監視役のアメリカの随行員の目をかいくぐって明治天皇に単独で会見を申し込み、明治天皇もそれに応じられました。
「今や列強諸国は利己主義に走り、アジア諸国の不利や困難をかえりみることをしません。」
「アジアの急務は、連合同盟して列強諸国に対峙することです」
「もしこの連合が実現すれば、列強諸国に治外法権撤廃を認めさせることができるはずです」
「どうか協力してアジア諸国連合を結び、その盟主となっていただきたい。そうなれば私は陛下を支え、大いに力をお貸ししましょう」


当時は欧米との不平等条約改正は日本にとっても最優先課題であった。
しかし、あまりに唐突で壮大、しかし具体的な提案だったので、日本としては回答に窮します。

そこで、カラカウアは次のような提案をします。
「姪の王位継承者であるカイウラニ王女をもらってもらいたい」
日本の皇族と縁組みさせたいという提案です。

しかし、明治天皇の回答は、
「熟慮の上、回答します・・・」

その後、当時は「眠れる獅子」とも呼ばれた清国の西太后とも会見を希望しましたが、日本での極秘行動で不信感を抱いたアメリカの随行員の強烈な妨害で実現しなかった。それでも、なんとか連合実現のためアジア諸国歴訪を続けます。

その頃、アジア諸国では欧米の圧力に抗う動きが民衆の間に芽生えていました。
インドでは独立運動の輪がスマトラ島ではオランダの侵略に対して農民達が激しいゲリラ戦を繰り広げていた。
日本国内でもカラカウアの提案に呼応する形で、アジアと連帯して欧米に抵抗しようと訴える声が高まっていた。
「今はアジア全州を合従(がっしょう)して欧米の権力から日本を防御 すべき時である」
(明治時代の自由党左派の雑誌『近時評論』の明治14年(1881)4月の記事)

カラカウアは孤独な戦いを続ける・・・。
「私は国を保つために外国の援助を待ち続ける」

しかし、会見から一年後に届いた明治天皇の回答文は次のようなものでした。
「東洋諸国が互いに協力して欧米列強と対峙することは確かに急務です」
「しかしこの問題はあまりに遠大で到底簡単にははこびません」
「この計画の実現は現段階では不可能であると考えます」

明治天皇は、カラカウア国王の提案を丁重に断りました。

実は、これまで条約改正交渉を一切受け入れなかった欧米諸国が態度を急変、交渉に応じても良いと伝えてきていた。
カラカウア国王の提案を受け入れれば、欧米列強の心証が悪くなるだろうという、外務卿・井上馨の判断もあったからです。

そして1887年、アメリカ人は武力武力行使をちらつかせ、国王の議会に対する権利を剥奪、カラカウアは政治的影響力を失う。
やがて病にたおれ1891年に死去、

1898年、フィリピン・グアムに続きハワイを併合。ついにアメリカの太平洋戦略に飲み込まれた・・・。




いまハワイといえばリゾートしか頭に浮かばない人がほとんどだと思いますが、1998年(明治31年)までは独立国であり、日本にも助けを求めていたことをどのくらいの日本人が知っているのでしょうね。
カラカウアの時代は不可能とされた欧米列強に対峙するためのアジア連合も、結局その後「東亜新秩序」→「大東亜共栄圏」と日本が主導していくことになりましたね。
(「『東亜新秩序』ってなんじゃ?」という方は、よろしければこちらもご覧ください。)

また、このハワイの話に興味のある方は、下記の再放送予定があるので、まだ見ることができると思います。

「幻のハワイ日本連合~カラカウア王・祖国防衛にかけた生涯~」
8月29日(火)16:05~16:48 総合 全国(福岡県のぞく)

9月 1日(金)0:00~ 0:43(※木曜深夜) 総合 近畿地方のみ
9月 1日(金)1:10~ 1:53(※木曜深夜) 総合 全国(近畿のぞく)

ちなみに、次の放送予定もおもしろそうです。

「シリーズ  日本独立  その光と影」
~吉田茂とサンフランシスコ講和条約~ 

<前編> 8月30日 (水) 22:00~22:43 総合
<後編> 9月6日 (水) 22:00~22:43 総合

番組リンク先
その時歴史が動いた - 番組紹介 8月

このエントリー書き上げて読み直したら、なんかNHKの宣伝っぽくてお叱りが来るかも(苦笑)


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事実を重視する日本と、重視しない外国-2   

前回のエントリー「事実を重視する日本と、重視しない外国 」を書きながら、日本の外交、そしてそれを見守る日本国民も海外のこの特性を理解しておくのは、とても大切なのではないか、と感じました。

日本人が「論より証拠」といって、事実を重視する傾向はあえて言うまでもありませんが、ネットの掲示板の議論でよく見かける「ソースは?」ってのもその一例でしょう。

逆に、外国人のこの特性が良く現れるのは、国益がぶつかり合うような外交交渉等の場でしょうね。
特に日本人が忘れてはならない「東京裁判」などはこの典型的な例なのかなと思います。アジアを再侵略しているその現行犯が「日本は侵略戦争をした」といって戦勝国側の虚実ないまぜの屁理屈が押し通されたわけですから。

それでも、今は西洋人に対して良心に訴えればきちんと理解してくれることも決して珍しくはないですし、日本も筋道建てて主張すべきところはきちんと主張していくのが良いかと思います。
もしかすると、未だに「原爆投下は戦争終結を早めたから良かった」論を唱えるアメリカ人も、心の底では「そうでも主張しておかないと、大虐殺を行ったという事実に自国のプライドがズタズタにされてしまう」というジレンマと戦っている人も中にはいるのかもしれません・・・(あまいか?)

それに対し、今でも「証拠より論」、さらに「論より感情」の外交を展開するのが、特定アジアですね。個人レベルでもその傾向が良く現れるのかなと感じます。中国・韓国で仕事の関係などで暮らしている方などのブログを拝読するとそんな例を見かけることがよくあります。

たとえば、日韓翻訳チャットがテーマの月見櫓さんの「いつものパターン」というエントリーで分析されている韓国人の言動もあてはまりそうです。ちょっと引用させていただこうと思います。

彼らのパターンなのですが、彼らは自分の主張に対して証拠や資料、論拠を提示することはほぼ絶対にありません。あってもせいぜいEnjoy Koreaくらいです。

逆にこちらの主張に対しては必ず証拠を出せの資料を見せろのと騒ぎます。たいていの場合「そんなことできないと思うけど」「証拠なんて無いと思う けど」という台詞がつきます。この台詞は某脳足りん君ブログでもご覧になった方がいらっしゃると思いますが、彼らは何故か日本人が証拠無しに主張している と確信しています。
日本人の主張にも証拠(という「事実」)がないと思いこんでいるのは、議論においてもともと証拠をさほど重視していない国民性の表れなのかもしれません。でもここをおさえておくと、理不尽な言いがかりをつけられても立腹するのではなく、「あ。またやってやがる」位の気持ちで見られそう(笑)

外交においても、『外国人は自国の国益が左右される場面ではこう言う主張を展開する人達なんだ』という認識を前提に、日本なりの戦略を立てれば、中韓の理不尽な日本批判も、ただ突っぱねるたり事実を述べて反論するだけでなく、彼らの思考パターンを前提に戦略的に考えることが大切でしょう。

「中韓を黙らせるにはこう主張しろ」と書いた本も出ているようですが(私は読んでいませんが)、証拠を並べて論理的に彼らを論破しようとしても、このように国民性が違うのですからその手法では無理かもしれませんね。

また、嫌中・嫌韓がテーマのブロガーさんも多いですが、怒るだけでは疲れてしまいますので、たまには論破する以外の戦略を考えてみるのも面白いかもしれませんよ。



「じゃあ、おまえはどうすりゃ良いと思うんだ?」というツッコミに対しては・・・ん~、ムズカシイ(^_^;

まじめに考えれば、開国以来日本にやってきた数多くの欧米人達が日本の良いところに感心し、自国で日本を紹介する本を多く出版してきたことによって、本当の日本への理解を深めてきたのと同じようにできればいいんですけどね。中韓の今の政治体制ではそれはムズカシイ・・・。

だとしたら、いっそのこと日本人らしさを脱ぎ捨てて、彼らと同じように多少汚い手でも使って打ち負かすしかないのか?
しかし、自分のことは棚に上げ、主張の一貫性など気にせずに、持てる力を振りかざして大声で主張するという恥知らずなことをできる日本人なんているのか!?
  ・
  ・
  ・
  ・
  ・
  ・
  ・
  ・
  ・
いたっ!  マスコミだ!(笑)


日本のマスコミって、よく考えたら中韓っぽいもんなぁ(^_^;

では、マスコミの中から特にディベートに長けた者を選抜し、反日的な部分を取り除いて愛国心を養い、日本の国益重視の人材を育成する・・・。その人材を集めた外交最前線の部門を外務省の中に設立するというのはどうか?
間違いなく日本人離れした強力な外交部隊になるぞ!
そして、そのリーダーは中華的生活「多少銭?」の五十嵐らんさん♪
猛烈な議論になった時、らんさんのとどめのセリフ「メンツは日本人にもあんだよっ!」でイチコロ♪


すいません、最後は妄想になってしまいました(^^ゞ

関連エントリー:
事実を重視する日本と、重視しない外国


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日本人はなぜ日本を愛せないのか
鈴木 孝夫
4106035596


世にも不思議な中国人
五十嵐 らん
4847016521

事実を重視する日本と、重視しない外国   

今回も、「日本人はなぜ日本を愛せないのか」から引用してみます。

日本が外国とつきあう上で知っておいた方がよいと私が感じた部分からです。

筆者は、世界的に見ても日本人の外国観は独特であり、それを外国との根本的な違い「ファクトとフィクションの対比」として表現しています。
(日本がファクト(事実)で、外国がフィクション(虚構))

これだけだとわかりにくいですが、具体例として捕鯨問題を挙げて解説されています。

P.140~
日本人は国内が比較的等質であったため、フィクションよりもファクトを重視し、それに基づいて考え行動する傾向が強いのです。ファクトを重視する文化とは「論より証拠」を求めるもので、これに対してフィクション重視とは「証拠より論」、つまり「言葉」が優先する文化といっても良いでしょう。
(略)
ファクトつまり事実に基づいて考え行動する日本人は、学者や専門家で構成されている国際捕鯨委員会の科学小委員会で資源の回復が著しいミンク鯨などは捕鯨の対象にして構わないと主張し、その考え方の正しさはいつも認められています。しかしいろいろな思惑があって捕鯨全面禁止の声を上げる欧米側が、鯨を食べるどころか見たこともないアフリカの小国などの票をたくさん買収して多数派工作をした上で、総会においてなんだかんだと日本の提案にケチをつけていつも否決してしまうわけです。

歴史的な事実としては、世界の鯨を大西洋から始めて太平洋にまで進出して百年以上も取りまくり、しかも自分たちの欲しい鯨油のとれる部分以外は邪魔だといって海に捨ててしまうような、貴重な生物資源の無駄遣いをやり続けてきたのは欧米人なのです。そしてそのことが、いろいろな種類の鯨が激減する原因ともなったのです。
ちょっと話がそれますが、以前に紹介した大川周明も欧米の捕鯨について書いています。大西洋の鯨がほとんど捕り尽くされ、その後北太平洋に鯨が多いことがわかってアメリカの捕鯨船がどんどん西に進み日本近海に出没することも多かったとか。なんで西洋人がそんなに鯨が必要だったかというと、ろうそくの原料にする油を取るためであり、何でろうそくがそんなに必要だったかというと、植民地からの富の収奪で生活が豪奢となり毎晩の宴会の場を真昼のように明るくするためだったとか・・・。

このエピソードから、私が何を言いたいのか。欧米人や中国人そして韓国朝鮮人をも含めたユーラシア文明に属する人々は、そのときそのときの都合で、前に自分たちがした酷いことなどすっかり棚に上げ、平然と相手を非難攻撃することを何とも思わないということです。理屈はどうにでもつけて、自分たちの目下の正当性を臆面もなく主張するフィクションの文化なのですね。日本人から見ると本当に「自分のことは棚に上げて」「臆面もなく良くそんなことが言えたものだ」「盗っ人猛々しいにもほどがある」とあきれるほどです。毛沢東が農業大躍進と紅衛兵革命で六千万ともいわれる中国人を殺し、さらにチベットでも大虐殺を行って、チベット文化を徹底的に破壊したのに、中国政府は一切これに触れず、「日本軍が南京で50万も虐殺した」といつまでも騒ぐことなどがその一例です。
(略)
それに比べて日本人は事実つまり共有されているファクトを前提として、その上にわずかなフィクション性を持つ議論にしか慣れていません。というのも国内がこれまで文化的に比較的等質であったため、自分が信じてもいないこと、あるいは嘘だとはっきり自覚していることを、いかにも本当らしく筋を通して述べ立てることは、国際レベルから見ると全く経験不足なのですね。

良く日本人は相手を理路整然と言い負かす議論、たとえば英語でのディベイトが下手だから、この力をもっとつけなければ国際交渉に負けてしまうといわれますが、この力は簡単につくものではありません。単に外国語が巧く使えるかどうか以前の、もっと深いところに問題があるからです。
ディベイトとは相手を言い負かすためには事の真意を問わず、ただ巧い屁理屈を並べ立てる技術、言語ゲームに他なりませんから、日本人が弱いのは当然なのです。アメリカの裁判では、明らかに有罪な人間を言葉巧みに無罪にしてしまう弁護士が有能とされるのも、社会全体がフィクションに対して、元々日本ほど抵抗を感じないからなのです。
筆者は上述のようなもう一つのわかりやすい例として、イスラエルのことを挙げています。

「ここは大昔自分たちが住んでいたところだ」とか、「自分たちの信じる神様が、ここはおまえ達の土地だと仰せられた」という理屈、つまり自分たちが正しいと信じること、つまりフィクションを大声で世界に向かって絶えず言い続けなければ、現にパレスチナにはアラブ人が長らく住み着いているという事実、すなわちファクトに負けてしまう、と。

イスラエルの存在は彼らの主張するフィクションの中だけにあるのですから、そのフィクションを言い張ることを止めたとたん、国の存在自体が消えてしまうわけです。

ここまで読まれた方は、おそらく日本のすぐそばの国のことが頭に浮かんでいると思います(笑)

日本のように他国に侵略された経験がほとんどない国に暮らしているから、他国のこのような行動が奇異に映るのでしょうね。日本以外の多くの民族は、外国から侵略されて新しい統治者が現れた時、生きていくためには本音や事実がどこにあろうと、その状況に合わせた言動や振る舞いをしなければならなかったからこそ、事実を主張することなどあまり意味がなくなってしまったのでしょう。

過去に日本が関わった戦争の開戦に至るまでの経緯を見てみると、いかに外交に難儀してきたかがよくわかります。明治維新以来、驚異的なスピードで国力が欧米に追いついてもなお、交渉の場面ではかなわなかったといえそうです。

外交では上記の様なことををわきまえて、日本人らしさを脱ぎ捨てて望まなければならないのかもしれませんね。さもないと、いつか本当ににっちもさっちもいかない状況に出くわすことになるかもしれません。なにしろ、他国は事実関係は重視しないのですから、いくら日本が正論を唱えてもむなしいだけ、ってことも・・・。
ましてや、どこかの国が過去のことを取り上げて日本を批判するのを聞いた政治家が「他国に配慮しなければならない」なんて発言したら、それだけでスキを見せているのも同然ですからね。


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日本人はなぜ日本を愛せないのか
鈴木 孝夫
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日本と外国の価値観の違いの例   

昨日のエントリーでイギリス人の価値観と言うタイトルを付けましたが、それで興味深い話(本)を思い出したのでご紹介しておこうと思います。

日本人はなぜ日本を愛せないのか
鈴木 孝夫
4106035596

外国のものはみなすばらしいとつい考えがちな日本人の弱点を気づかせてくれる本なのですが、この中に日本では映画「南極物語」でも有名な、タロ・ジロの感動的な実話を、イギリス人はどう捉えるかという話が出ています。

P.20~
戦前に日本に北イギリス人はみな、日本人が自分の家で産まれた不要な子犬を、箱などに入れて橋のたもとに捨てる当時の習慣に対してひどく怒ったものです。可哀想だからというわけではなくて、要らないのならなぜ殺さないのかと言うことです。
(略)
昭和33年に日本の第二次南極観測隊が、気候の急変で基地から大急ぎで引き上げなくてはならなかったとき、たくさんのカラフト犬まで運ぶ余裕がなくて、やむを得ず犬を氷原に置き去りにしたまま帰国しました。隊員達は後を追う犬たちを泣きながら振り切り、来年また来るまでどうか生きていていてくれよと、祈る気持ちで基地を後にしたのです。
ところが翌年の一月に再び基地に戻った隊員達は、残された15頭の犬のうち、タロとジロの2頭が生存しているのを発見しました。この話は国語の教科書にも載ったほど、日本人にとっては感動的なことだったのです。
しかしこのことを知ったイギリス人の間では、犬を南極の氷原に置いてくるなんて日本人とはなんと残酷な民族か、今後はイギリスの犬をこんなひどい国に輸出することは中止すべきだという日本非難の大合唱が起こって、一時は英国の国会でも取り上げられるほどの騒ぎになりました。

ところがその後、今度はイギリスの調査隊が同じ南極で、なんと単に経済的な理由だけで100匹ものハスキー犬を殺すという事件が起こったのです。私は1979年の冬、ケンブリッジ大学に滞在していたとき、英国の高級新聞「ザ・タイムズ」を調べていて、次のような小さな古い記事を見つけたんですよ。

百匹のハスキー犬、経済的措置として殺される
百匹のハスキー犬が経済上の理由で、英国南極調査隊員の手で殺されたことが昨日発表された。大部分の犬はストニントン島の基地が閉鎖されるときに射殺された。
(中略)
基地の閉鎖は調査隊が経費削減のため、犬による輸送を減らし、変わって移動車を使うことに決定したためである。
(中略)
調査隊の人事係のエリック・サモン氏は「犬を殺すのが一番経済的だ。犬を他の場所に移すことは現実的ではない」と語った・
(1975年5月19日)


私が重要だと考える点は、このような「ひどい」事件に対して、イギリスの愛犬家達からは、全く非難や抗議の声が上がらなかったと言うことです。それは彼らの考えでは、このような場合の措置としては犬を殺すのが当然だからです。

要は、「残酷」という概念が正反対ともいえるほど違うという一例ですね。

他にも、フランスの飼い犬がやたら吠えることがなくとても行儀がよいので、一体どんな躾、育て方をしているのかと思ったら、躾てもだめな子犬、飲み込みの悪い子犬はどんどん淘汰する、つまり殺してしまうから、その結果として飼われている犬は人間の言うことを聞く行儀のいい犬だけが残っているという話もでています。

そういえば先日、中国でもこんなニュースがありましたね。
イヌ5万匹を処分、狂犬病予防で 中国・雲南省

もう、価値観が違うのだから仕方ないと思うしかないのかもしれません。。

牧畜で生活してきた民族は、動物を人間の意のままにコントロールするのが当たり前と考えるのに対し、日本人は農耕と漁業(つまり、そこにいる魚を捕まえるだけ)で生活してきたので、根本的に考え方が異なるということもあります。

とにかく、日本人はその地理的特性から他国に比べるとかなり特殊な価値観を持った民族といえるということです。
だから、外交下手なんですよ、どうしても・・・。

この本ですが、改めてページをめくってみて多くの日本人が認識しておいた方が良いなと思う箇所がいくつもありましたので、次回もご紹介したいと思います。

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靖国神社に参拝してまいりました   

今日は仕事の帰りに靖国神社にお参りしてきました。


午前中はもの凄い混雑だったようですが、私が行ったのは閉門30分前の18時30分でしたので、立ち止まることなく拝殿にたどり着き、無事参拝することができました。今日は何人ぐらいの人が参拝されたのでしょうね。去年より多くなっていると予想しているのですが、どうでしょう。

歩きながらどんな人が参拝に来るのか観察(?)してみたのですが、ざっと男性8割女性2割くらい、世代は20代後半~40代後半というかたがほとんどで、老若男女という感じではなかったですね。私のように仕事帰りのスーツ姿が多いのを想像していったのですが、私服ばかりでそうでもありませんでした。
意外なほど見あたらなかったのが、いわゆる団塊の世代の人達です。ほとんどいなかったと言っても過言ではないほど見かけませんでしたよ。 Wikipediaの「文字どおり戦後教育を受けた世代であり、戦争に関連することへ強烈な拒否反応を持つ傾向」というのが現れているのかなぁなどと思った次第です。

さて、今日のマスゴミのうっとうしさなどはあえて書きませんが、今日ネットを見ていて「へぇ~」と思ったことが二つほどありました。

一つ目はこちら。


亀田vsランダエタの判定を巡るアンケートではありません(笑)
Yahoo!の「みんなの政治」というポータルサイトのアンケートです。

「とくに問題はない」と「問題はあるが控える必要はない」を足すと85%が首相の参拝問題に肯定的とは、少々驚きました。ネットでのこの手のアンケートは世論調査や街頭アンケートと違って、日頃から政治に関心のある人が回答する確率が高いと思いますし、回答する世代も偏りがあるとは思いますけど、これほど差がつくとは意外です。
ここの右下の方から投票できますので、まだの方はぜひどうぞ。


そして「へぇ~」と思った二つ目はこのニュース。
中国外相の抗議に反論 「見当違い」と宮本大使 (共同通信) - goo ニュース

中国外相の抗議に反論 「見当違い」と宮本大使 2006年 8月15日 (火) 19:05  【北京15日共同】
宮本雄二・駐中国大使は15日、中国の李肇星外相から小泉純一郎首相の靖国神社参拝について抗議を受けた際に「国際正義への挑戦」と言われたことに対し「全くの見当違いと言わざるを得ず、受け入れられない」と強く反論した。北京の日本大使館が明らかにした。 また靖国問題を理由に首脳会談を拒否している中国の姿勢に不満を表明した上で、各分野での日中交流を推進すべきだとの考えを伝達。さらに今後、中国国内で反日感情が広がる可能性を踏まえ「邦人の安全確保に格別な配慮をお願いしたい」と要請した。
瀋陽総領事館北朝鮮人亡命者駆け込み事件 等で悪評高い阿南大使の後任が、当初の飯村豊氏の予定を覆してまたもやチャイナスクール出身の宮本氏と聞いた時は失望していたのですが、きっちりと日本側として言うべきことは言っているようですね。宮本大使についてはよく知りませんが、媚中派ではないのかな?



首相の靖国参拝を「国益を損ねる」と批判する国会議員もいますが、彼らの頭の中は中韓の批判があることは明らかですね。(中韓の一部の感情はわからなくもないですが)理不尽な批判に屈するのは、恫喝すれば屈する国と思われて本当の国益を損ねることになると、気づかないのでしょうか?彼らが政権を握ると、テロが起きたときに屈してしまい新たなテロを誘発して国民を危険にさらすタイプだろうなぁ、と思うのは考えすぎですかね(笑)

とりとめのない雑記ですが、本日はこんなところで。

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過去の戦争を考える時には、時代背景も考えてみたい   

やはり8月になると過去の日本が行った戦争を振り返るTV番組が増えてきますね。戦争を経験していない人が大半を占める今、あの戦争は何だったのか、少しでも多くの人が興味を持って知ることは大切なことだと思います。

ただ、時代の流れの中から戦争の部分だけを切り取って、善だったか悪だったか、加害者か被害者かという判断をするのは片手落ちのように思うのです。

戦争は「悪」であり、戦争を始めた者もその責任者も「悪」。
そう、確かに今の日本の一般的な常識では「戦争」は「悪」だと思います。いくら、国際的には外交手段の一つであるとは言っても、私も「悪」だとは思います。

ちょっと視点を変えて、「暴力」についてはどうでしょう? 同じように、「暴力」も「悪」ですよね。
では、試合中に相手チームの選手に頭突きという暴力をふるったジダン選手は誰が見ても「悪」なのでしょうか?

普通なら、なんでそんなことをしたのか、その理由を知りたいですよね。
たとえば、ジダン選手の頭突きシーンだけを切り取って、相手の暴言やその背景に全く触れないままジダンバッシングばかりの報道だったとしたら違和感を感じませんか?ほとんどの人が、それは「フェアじゃない!」って感じると思います。

戦争についてだって、開戦を決断したのは百歩譲って「悪」だとしても、そう決断せざるを得なかった時代背景や外国の圧力を論じないとフェアじゃないと思うわけです。

そういう訳でいろいろな本を読んでいるわけですが、今後も私が参考になったと思うところを紹介していきたいと思います。
今日は、何となく普段思っていることをつぶやいてみました・・・。



こらこら読売新聞!   

なんだよ、その括弧書きは!
「いつ行っても同じだ」首相が8・15靖国参拝に意欲 : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
「いつ行っても同じだ」首相が8・15靖国参拝に意欲 特集靖国問題  小泉首相は10日午前、自らの靖国神社参拝について「15日だろうが、13日だろうが、いつ行っても(中国などは)批判している。いつ行っても同じだ。日本の首相がどこの施設に参拝しようが、批判される理由はない」と述べ、終戦記念日の15日の参拝に重ねて意欲を示した。  また、「日本の首相が2度と戦争を起こさない(ため)、戦没者を哀悼するために、靖国神社に参拝するのは当然のことだと思う」と強調した。首相公邸で記者団に語った。  2001年8月に靖国参拝を15日から13日に前倒しした際、近隣諸国に配慮する談話を発表したこととの整合性を問われると、「メディアは、公約を守らないと批判する。守ると、自分たちの意見に反するのは守らなくていいと批判する。何でも批判するのがメディアだ」と語った。  実際に15日に参拝するかどうかについては、「適切に判断する、いつも」と述べるにとどめた。 (2006年8月10日12時5分 読売新聞)
小泉首相はマスコミの靖国報道の仕方を批判してるんでしょうが。自分たちが批判されているのに、当のマスコミは中国批判してるように見せかけるために記事に余計な注釈をくわえてやがる。自分たちに批判のボールが投げられているのに、サッと身をかわして後ろにいる中国に当たるようにしてる訳ね。汚い連中ですよ、まったく。

こんな稚拙な手を使うとは、むしろ哀れみを感じてしまうね。国民を世論操作できるとナメきってきたマスコミだが、もう立場は逆転しつつあることに気づいてないんだね、お○○さん(笑)

すみません、あまりにあきれたので、いつもとキャラが変わってしまいました(^_^;)


参考:
靖国問題に関する小泉首相の10日の発言内容(iza!)

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中国の対日外交カードがばれましたね。   

おもしろいニュースを見つけたので、本日2本目です。

「歴史問題、永遠に言い続けよ」江沢民氏、会議で指示 : 国際 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) 【北京=藤野彰】

中国の江沢民・前国家主席(前共産党総書記)が在任中の1998年8月、在外大使ら外交当局者を一堂に集めた会議の席上、「日本に対しては歴史問題を永遠に言い続けなければならない」と指示し、事実上、歴史問題を対日外交圧力の重要カードと位置付けていたことが、中国で10日発売された「江沢民文選」の記述で明らかになった。 中国は胡錦濤政権に移行した後も一貫して歴史問題を武器に対日圧力をかけ続けており、江氏の指針が現在も継承されているとすれば、歴史問題をめぐる中国の対日姿勢には今後も大きな変化が期待できないことになりそうだ。
この記事には「靖国参拝」や「A級戦犯」という言葉は出てきませんが、中共が上記のような認識なら靖国参拝止めたって新しいイチャモンがでてくるであろうことは、言うまでもないですな。中共の実態をわかっている人達は、「靖国問題は外交カードにされているにすぎない。参拝を止めたって中共の態度は変わらない」って主張してきましたけど、この江沢民の言葉がそれを裏付けてますね。

さあ、このニュースに対して参拝中止を訴えてきた人達、特に媚中議員達のコメントを是非聞いてみたいものです。わくわく(笑)

(続き)
同文選(全3巻)は江氏の論文、演説などを集大成したもので、これまで未公開だった重要文献を多数収録。江氏は同年8月28日に招集した在外使節会議で国際情勢について演説、この中で対日関係に言及し、歴史問題の扱いをめぐる指針を示した。  それによると、江氏は「日本の軍国主義者は極めて残忍で、(戦時中の)中国の死傷者は3500万人にも上った。戦後も日本の軍国主義はまだ徹底的に清算されていない。軍国主義思想で頭が一杯の連中はなお存在している。我々はずっと警戒しなければならない」と述べ、日本の軍国主義はなお健在との認識を表明した。  さらに、台湾問題との関連で「日本は台湾を自らの『不沈空母』と見なしている」と批判、「日本に対しては、台湾問題をとことん言い続けるとともに、歴史問題を終始強調し、しかも永遠に言い続けなければならない」と指示した。  江氏は同会議の3か月後の同年11月に日本を訪問。滞在期間中は歴史問題を再三とりあげ、強硬姿勢を印象付けた。 (2006年8月10日19時35分 読売新聞)
かつての日本軍に残忍なところがなかったと言うつもりは毛頭ありませんが、当時の中国人も負けず劣らず残忍だったことはスルーですね。それに3500万人って、なんでしょう。いつもの実際の数字じゃなくて心の数字ですかぁ?
でも毛沢東が殺した数と勘違いしちゃったのかな(笑)

もう、こんな妄想を中共幹部や反日教育を受けた人達が信じ込んじゃっているんでしょうから、ホント怖い国です。
江沢民の息子が指揮していると言われている中国のインターネット検閲がなくなれば、目が覚める中国人も増えるかもしれませんけどね。でも、日本で仕事してたり留学していても日本は軍国主義と思いこんでいる人達がいるから、期待できないか・・・。

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「東亜新秩序」の一風景 -4   

「日中戦争見聞記 1939年のアジア」からの引用は今回で一区切りにしようと思います。このエントリーからご覧になった方は、是非下記も読んでみてくださると嬉しいです。

「東亜新秩序」の一風景 -1 [2006/08/04]
「東亜新秩序」の一風景 -2 [2006/08/07]
「東亜新秩序」の一風景 -3 [2006/08/08]

あと、1ヶ月ほど前にもこの本から引用したエントリーがありますので、よろしければこちらもどうぞ。
読書レビュー「日中戦争見聞記 1939年のアジア」-1  [2006/06/28]

で、最後に引用する部分は日本軍が爆撃した重慶の様子です。これまで引用した箇所とは違い、日本が中国大陸で行った負の側面です。
P.264~
人々は日本軍の飛行機がまさかこんなところまで飛んでこようとは思ってもいなかった。とにかく、防空体制が貧弱なまま、ある日、日本の爆撃機が上空に現れたというわけだ。
その結果は、惨憺たる有様であった。中国の都市は、日本の都市ほど軽量につくられていない。中国では、木材と紙の使用は日本ほどではないが、それでもかなり多量である。いったん火災が発生すれば、消火は容易ではない。しかも、中国の住家は、日本よりも密集して建てられている。しかし、最大の難点は、重慶が狭い半島状台地の上にあることであり、市街地域から出る道路はたった一本である。
爆弾が前後左右に落下し、街全体があかあかと炎上しているなかで、争乱状態になった群衆たちが、このたった一本の道路に押し寄せた。相当の死傷者が出たのはいうまでもない。その数は、数千にも達した。

日本軍機は一回目に引き続き、間髪を入れず二回目の空襲を仕掛けてきた。被害は甚大であった。もし日本がさらに二度、三度と波状的に空襲をしかけていたら、おそらく中国側の精神力は粉砕され、中国は降伏したであろう。だが、日本にはその意志もなかったし、余力もなかった。いずれにしても、日本側は空襲をしばらく中断し、中国側に態勢立て直しと再武装のチャンスを与える結果となった。蒋介石のがむしゃらなエネルギーは、徹底した対策を講じさせた。重慶全市が、一丸となって防空壕建設にとりかかり、大火の拡大を食い止める幅の広い防火ゾーンも設けられた。消防隊、救急隊、救助隊つまり最低限必要なものは、すべて組織された。次に日本軍機が来襲したときには、最悪の事態は何とか食い止められ、死傷者数は減少した。
それ以後、日本軍機は繰り返し繰り返し来襲し、中国側も繰り返し繰り返し首都防衛に取り組んでいる。

P.282
庭園から城壁の上に出る門があり、この付近がもっとも悲惨であった。なぜなら、領事館の建っている岸壁の下で地獄の炎を猛り狂ったからである。最初、市区の反対側で火の手が上がり、炎は風にあおられて城壁の上に延びた。人々は地獄の炎から身を守ろうとした。彼らは結局岸壁のふもとに集まり、閉じこめられたことを悟った。生き延びるための絶望的な登攀が始まった。彼らは、先を争ってはしごを組み、家々の屋根から城壁の鋸壁上に逃げようとしていた。領事館から人々の苦闘する姿が見え、救助の手が差し伸べられた。ロープがつり下げられ、シーツが大至急つながれた。だが、炎の方が速かった。火焔が前へ前へと迫った。ロープにしがみついている人々も炎にとらえられた。城壁の上部にいる男たちは、もがく人々を引っ張り上げようと必死に努力を続けた。だが、男たちがどんなに死にもの狂いでがんばっても、一人として引っ張り上げることはできなかった。もう一歩というところで、人々は次から次へと握っている手をロープからはなしてしまった。炎になめられ、煙に巻かれて、もうこれ以上持ちこたえられなかったのである。
彼らは、奈落の底に落下した。その奈落の底から、今や退散せねばならなくなった城壁上の男女のところに焼けこげる恐ろしい人間の臭いが立ち上ってきた。
皮膚を焦がす暑さは耐え難かった。それに城壁の上部の男たちもおのれ自信の脱出を考えねばならなかった。

この重慶爆撃の様子についてはネット上に短い動画がありましたので、参考までにリンクしておきます。
重慶市街地
重慶爆撃
(上記動画の元ページはこちら

この重慶爆撃は昭和13年2月から約3年間、総計約15,000個の爆弾を投下、死者は約1万人(3万人説もあり)だったそうです。下記の参考リンクにもありますが、「ほとんど無抵抗の都市にこれだけの攻撃を加える軍事基地が有ったとは考えられず、残念ながら無差別爆撃であったと言われても、よほどの証拠が無い限り反論の余地は少ないものと思います。」とあります。
こんな事をしたら、いくら「東亜新秩序」を唱えて、かつ賛同した中国人がいたにせよ、日本が憎まれるのは議論するまでもなく当然といえるでしょうね。(かといって、60年以上たった現在においても行われる、暴力的な反日デモを正当化するかどうかは別問題ですが。)

このあたりの中国大陸における日本の行動の矛盾が、やはりどうしても理解し難いですね。

参考リンク:
Web版「正論」・Seiron「日本軍による重慶爆撃について、具体的なことをお教え頂きたいのです。」
旧日本軍が行なった重慶爆撃は無差別爆撃なのですか?そしてこれが無差別爆撃の先鞭をつけたとは本当ですか?
重慶爆撃(Wikipedia)

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日中戦争見聞記―1939年のアジア
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コリン ロス Colin Ross 金森 誠也

「東亜新秩序」の一風景 -3   

今回も「日中戦争見聞記 1939年のアジア」 から引用して当時の中国の様子を紹介してみようと思います。
「日中戦争見聞記 1939年のアジア」

もちろん日本軍は占領下にある中国領内でいろいろと圧力をかけ暴力を振るい、そればかりか恐怖政治を行っている。しかし私は少なくとも河北では、諸々の報告や電文で予想していたより、こうした日本軍の行動がずっと少ないことを見いだした。北京のみならず他の小都市でも、日本人が一般に何らの摩擦もなく中国の生活にとけ込んでゆく有様は、全く驚くべきである。彼らは着物、畳ばかりか芸者まで中国に持ち込んでくる。他方、日本人は彼らしかできないような執拗さで、中国語を習得すべくこれ努めている。しかし中国人は、その独特な迅速な理解能力を生かして日本語を学び取っている。

その他日本人は、大がかりな手段を用いて中国人の共感を得ようと努力している。彼らはこの点で少なくとも華北では、あながち否定できないような巧みさを示している。彼らは中国人を日本化することなどを考えておらず、逆に中国人を中国人の生活の源泉である儒教に連れ戻そうと努めている。この働きかけは表面的だが、北京の町の表情の中にも現れている。

北京の巨大な記念碑的な建物は、部分的にはうちつづく内戦でかなり破壊され、嘆かわしい崩壊の有様となった。だが今日では天壇は、中国最盛期と同様、全く非難の余地のないほど立派な様子を示すようになった。紫禁城の再建のために日本人はかなりの金額を毎年の財政予算の中に計上している。
余談ですが、紫禁城といえば思い出すのはラストエンペラー「溥儀」ですが、溥儀は関東大震災に心を痛め、莫大な援助金を日本に送ってくれていたことが「紫禁城の黄昏」という本に書かれていました。

正しい観念を得るためには、二つの要素を考慮せねばならない、。一つは時間である。もう一つは「東亜新秩序」建設のために中国人を自国のイデオロギーに感化させようとする日本人の不屈の意志である。華北の今日の状況を評価するためには、この土地を三十年前の朝鮮あるいは五年前の「満州国」と比較せねばなるまい。その当時、それぞれの地域は、今日の占領下の中国と非常によく似ていた。しかしその間に朝鮮、あるいは満州在住の日本人に対する感情は大いに改善された。
同様なことが華北においても起こるであろう。もちろん華中・華南においては状況はずっと困難である。一つにはこれらの地方が中国国民の抵抗の中心地に近いためであるが、さらには日本軍がそこでは全く遺憾な失策(一九三七年の南京大虐殺などを指したものと思われる)をしでかしたからである。
中国平原における戦争の結末について最終的な診断をすることは、もちろん極めて難しい。おそらく次のような言い回しがもっともうまい診断となるであろう。
「近未来は日本人に、しかし遠い未来は中国人に属するであろう」
拙ブログの最近の「東亜新秩序の一風景」シリーズ(?)を最初から読まれた方は、もうおわかりかと思いますが、色々問題はあったにせよ日本はグダグダだった中国内部を立て直して近代化し、東洋世界を蝕もうとする西洋勢力、共産主義勢力と対向出来うる力をつけようとしたのが本来の目的というのが見えてくると思います。

ところで、この「日中戦争見聞記 1939年のアジア」という本ですが、実は私の喉に所々引っかかるところがあるんですね。その一例が緑色の文字にした部分です。これはコリン・ロスが書いたのではなく、訳者の金森誠也 氏が追記した部分です。「華中・華南における日本軍の遺憾な失策」という記述だけで何故いわゆる「南京大虐殺」と言えるのか、そのあたりについては書かれていません。

そもそもこの本が書かれた1939年に「南京大虐殺」が知られていたのか?蒋介石でさえ松井石根の処刑に関して、「そのような(南京虐殺)のような報告は受けていない。松井氏は冤罪で処刑された」と涙を流したと云われています。

訳者あとがきに、「『ラーベの日記』のような日本軍の残虐性が出てこないのが不満」のように書かれているあたり、金森氏は「日本軍は残虐であるべき(?)」という先入観がある人の様に思います。

念のため書いておきますが、私は「南京大虐殺」否定派ではありません。色々調べてもまだよくわからないからです。ただ、これだけ様々な論争がある限り、「あった」あるいは「なかった」ことを前提にしている記述は鵜呑みにしてはいけないな、と思っているだけですので。

私が思うに、著者のコリン・ロスが云う「日本軍の失策」というのは「重慶爆撃」のことではないかと想像しています。実際、コリン・ロスは自らの危険を冒して重慶に行き、その悲惨な様子を書いています。

次回はそのあたりをご紹介する予定、ということでもう少しこのシリーズ続けます。


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日中戦争見聞記―1939年のアジア
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コリン ロス Colin Ross 金森 誠也


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「東亜新秩序」の一風景 -2   

マスコミは安倍官房長官が靖国に行っていただの、小泉総理が8月15日に参拝に行くかどうかだの、やかましいことこの上ありませんね。靖国神社に参拝することがいかにも悪いことのように印象づけようとしているに思えるのは、私が偏向しているからでしょうか(苦笑)。もっとも騒げば騒ぐほど、今まで靖国神社に無関心だった人が興味を持つ効果もありそうで、私は密かにそこに期待していたりします。何を隠そう私自身σ(^^) が小泉総理の参拝に中韓が反発するまでまったく無関心でしたから(笑)

あと、当ブログの一番右上に「真実はどこに・・・」のフラッシュへのリンクを作っておきました。有名な名作フラッシュですが、まだご覧になったことのない方は是非時間のあるときにでも見て欲しいと思います。後世の我々に日本の未来への想いを託して散華した人達がいたことを知れば、戦争責任者が祀られているかどうかに関係なく英霊への感謝の心が自然に沸いてくるものと思います。それに、戦勝国には「戦犯」と呼ばれる人は一人もいないこと、その矛盾に是非一人でも多くの日本人に気づいて欲しいと思います。

さて、前置きが長くなりましたが、前回の続きで「日中戦争見聞記 1939年のアジア」 から引用してご紹介してみようと思います。今回は一風景と云うより著者コリン・ロスの見解が中心です。

「日中戦争見聞記 1939年のアジア」 P186~

もともと日中戦争という言い方は正しくない。むしろこれは中国における中国をめぐる戦争である。
日本人は全く宣伝が下手であり、たとえ彼らに言い分があっても、全世界は信じようとしない。私の見解によれば、自分たちは中国の民衆を相手に戦っているのではないと言う日本人の主張は正しい。日本人は単に中国人をけっして敵視していないばかりでなく、中国内部でも、少なくとも部分的には中国人が日本人を敵視していないケースが見受けられる。さもなければ、北京のような百万都市でも、一般に市街地には入ってゆかないことになっているわずか数千人の日本軍しか駐屯していないことをいかように解釈すべきであろう。
「北京の征服」は、日本の兵士を満載した数台のトラックが入城し、数百万の中国人がそれに甘んじたときに始まった。その状況は今日までそのまま残っている。

私は夜となく昼となく北京市内を歩き回った。そして私はこの都市で秩序と安寧が危険にさらされているとか、あるいは暴動が起きるかもしれないなどと、少しも考えたことはなかった。街頭では中国人の警官が職責を果たしている。すなわちここで摘発しようと言うのは「中華民国文書」といわれているものであり、それが狙っているのは反日宣伝ではなく、北京の臨時政府反対の宣伝である。
臨時政府が日本軍なくしては一日も維持され得ないことは当然である。そのことは子供でも知っている。それにも関わらず、臨時政府が日本の銃剣のお世話にだけなっていると主張するわけにはゆかない。さらにこの臨時政府に仕えている中国人を全て売国奴とも呼べない。この臨時政府の閣僚に収まるか、あるいは夜警として勤務するかはどうでもいいことであり、ひたすら生活問題が重要な役割を演じている。
しかし疑いもなく、日本軍と協力している少なくともかなりの部分の中国人は、国家主義的愛国者である。彼らは蒋介石を信用できなくなったか、あるいは一度も信用したことがなかった人々である。彼らはもし外国人の支配と外国人の影響に甘んじなければならないとしたら、その外国人はヨーロッパ人よりはむしろアジア人、ロシア人やイギリス人よりはむしろ日本人のほうが望ましいといっている中国人愛国者達である。
訳のせいなのか、少々わかりにくい部分はありますが、中国各地を視察して客観的に判断された見解と言えるのかなと思います。

中国で暮らしている人のブログや中国関係の本を読んでいて思うのですが、中国人はかなり実利優先で考える民族なのかなぁと思います。数千年に渡って戦乱が続き、支配者もモンゴル人であったり女真族(満州)だったり漢民族だったりイギリス人だったりと変化していきます。攘夷運動が活発化することもありますが、一般の民衆は自分が生きていくためにはどうするのが一番得策なのかを優先的に考える人が少なくなかったのかなぁという印象ですね。それが上記で引用した最後の部分のようにあの時代は日本につくことを選択する人が少なくなかった理由のように思います。

ところで、前回と今回の引用箇所だけを読むと、コリン・ロスが極めて親日的に感じられて、「客観的とは言えないのでは?」と思う方もあるかもしれませんが、全体を読むと決して日本だけを贔屓している訳ではないことが分かると思います。中国人に対してもその文化を高く評価している箇所がいくつもあります。さらに、この本の後半では、著者が飛行機で中国大陸内を移動中に日本軍機に銃撃され撃墜寸前の目にあったことや、日本軍による重慶爆撃の様子なども出てきます。そのような目に遭いながらも、感情的な表現がほとんど見られないことが、私がこの本を評価する理由でもあります。
また、次回も引き続きこの本から参考になる箇所をご紹介していく予定です。

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「東亜新秩序」の一風景 -1   

前回のエントリーで「東亜新秩序」のことに触れましたが、実際どうであったのかということを知っておく必要があると思います。以前に紹介した「日中戦争見聞記 1939年のアジア」という本に、その一面が描かれていたので引用して紹介したいと思います 

日本軍の鉄道戦争 中国某所(p.195~)

新しい村や都市が発生し、耕作された田畑は広がってゆく。いたるところで日本人の技師や主任の監督の下に、多数の中国人苦力の群が作業している。どこもかしこも遠くからは大きくふくらんだソーセージの皮のように見える丸天井の茣蓙の天幕が、いかにも原始的な住居として鉄道沿線に聳え立っている。

内モンゴルを包頭に向かって進むとき、あるいは日本軍占領下の中国内の鉄道で走るとき、同じような光景が見られる。その際全く理解に苦しむことは、このような広大な土地を単に確保するばかりか、これを根城にさらに耕作を進め発展させるために、日本人がいったいどこからこれら全ての人間をかき集めたかということだ。

外国人としてはすぐには理解できぬ第二の点は、中国人が外国の侵入者、征服者に協力し、嬉々としてこうした仕事についていることだ。しかしこんな発言をすれば、それはすでに典型的な西欧風の思考の欠陥を表していることになる。中国人は別な考え方をする。日本人は中国の大地の上に単に征服者としてばかりではなく、かつてのモンゴル人、満州族と同様、新秩序の伝達者として実際に登場している。

とにかく、戦争がつづいている間、いやそればかりかその終結の見通しがつかない今、すでに東亜新秩序が始まっているという事実がある。西欧人は日中戦争の状況についてはまず第一に破壊された上海や他の激戦地の写真で知っているだけである。これ以外に彼らは、巨大な中国のかなりの部分が何ら戦争の影響を受けていないということを忘れている。

たとえばここ華北においては破壊の跡は一切見られない。華北上空を飛ぶと、そこを日本軍、あるいは蒋介石軍、あるいは中国紅軍が支配しているかどうかにお構いなく、ほとんどいたるところの平原が耕されている。「大地」はそんなことに苦慮せず、ひたすら作物を与えてくれる。二,三回豊作がつづけば、中国は戦争の被害を克服できる。もちろんそのための前提は、戦争が近い将来に終わり、しかもこの戦争からさらにもっと大がかかりな恐ろしい権力闘争がアジアで発生しないということである。
いかがでしょうか? 著者のコリン・ロス(ドイツ人)が目にした広大な中国の中の一風景に過ぎないかもしれませんが、それでも日本人は「東亜新秩序」構築の為に実際に動き出している姿が映し出されていると思います。私は、後に続く「大東亜共栄圏」構想のことを、「戦争を正当化するためにあとから取って付けたような大義だ」という批判を目にしたことがありますが、果たしてそうでしょうか?

また、戦闘をしている一方で上記のような近代化支援をしているのは矛盾しているようですが、当時の中国大陸の状況を知っておけば理解しやすいと思います。そのことについてはいずれ別の本を紹介しながら書いてみたいと思っていますが、この「日中戦争見聞記 1939年のアジア」は紹介したい箇所が沢山あるので次回もまたこの本から引用したいと思います。

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読書レビュー:日米開戦の真実   

久々に読書レビューです。今回の本は、近代の日本とアジアを知りたい人、そして日本は過去の歴史から何を学ぶべきか、どのように今後に生かしていくのかを考えるのには是非ともおすすめです。私自身の歴史認識も新たとなり、大変すばらしい本に出会えたと感じています。

日米開戦の真実 大川周明著『米英東亜侵略史』を読み解く
佐藤優
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簡単に内容を紹介しますと、開戦直後の1942年1月に発売された大川周明のベストセラー「米英東亜侵略史」の内容と、現在起訴休職中の外交官である佐藤優氏がそれに対する解説を加えたものとなっています。

元ネタとなった「米英東亜侵略史」は1941年12月にNHKラジオを通して行われた大川周明による講演内容を速記したもので、当時の政府が戦争の目的とそこに至った経緯を国民に対して冷静かつ論理的に説明したものです。佐藤優氏も触れていますが、日本国民は軍閥にだまされて戦争に突入したのではなく、対米戦争に踏み切った大義名分があり、決して扇動などではなく客観的事実に基づき冷静かつ論理的に説明していた事実がよくわかります。

日本がなぜアメリカと戦争するに至ったのか。ハルノートやABCD包囲網などの話はいろいろなところで見聞きできますが、大川の講演では、もっと大局的に歴史の流れと世界情勢をふまえて説明しています。アジアの国が西洋によっていかに蹂躙されていったかを論理的に説明されているので、まるで宇宙から地球を眺めているかのように客観的にアジアの歴史を理解することができます。日本が対米戦争に踏み切った大義名分を解説する本のタイトルが「米英東亜侵略史」となっていることからもそれが想像できるかと思います。

また、この本の約半分を占める佐藤優氏の解説は秀逸で、引用される文献も非常に豊富であり、読者の理解を助けるものとなっています。所々に佐藤氏の私見が述べられていますが、筆者の私見であることを明記し、そう思う理由を理論的に記していますので理解しやすく、読んでいて唸らされることもしばしばでした。

全体を通してこの本には戦争が良い悪いとか、自衛か侵略かといった次元の話は出てきません。
民族・哲学・思想・外交といった観点で歴史を見つめ直すこと、そしてそこから日本は何を学ぶべきかを示唆することに主眼がおかれています。最後の方では現代の日本、小泉政権から新自由主義者の象徴としてのホリエモンにまでにまで話が及びます。

とにかく勉強になることがたくさんあって、私にとっては買ってよかった、そしてまた読み返したくなる本となりました。近現代史を勉強していてどうしても理解し難かった中国との戦争についても、「そういうことだったのか!」と納得することができました。

長くなってしまいそうなので、今日のエントリーはこのあたりでいったん締めますが、またこの本については時々触れていきたいと思っています。

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