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TOP > CATEGORY - 日本近代史(戦争)

東京郊外に残る空襲の傷跡   

東京にも、米軍機の機銃掃射による無数の弾痕を残した建物が保存されている場所があることを知り、さっそく行ってみましたので、撮ってきた写真とともにご紹介します。

場所は東京都東大和市の都立東大和南公園の中で、戦時中は日立航空機(株)として航空機のエンジンを製造する軍需工場だった場所です。

軍需工場であったため、3回に渡って米軍機の攻撃を受け、110人の方がここで亡くなったそうです。


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宇佐海軍航空隊跡近辺の戦跡   


前回前々回に紹介した宇佐海軍航空隊跡の近辺には、他にも空襲の傷跡や、戦時中の施設の名残が残されているところがいくつかありました。

すべてを見て回ることはできませんでしたが、私が撮ってきた写真をいくつか紹介したいと思います。

(下の写真は、すべてクリックで拡大(Picasa WebAlbumへのリンク)します。


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宇佐海軍航空隊跡-2   

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前回紹介した宇佐海軍航空隊のあった地域ですが、こちらの記事によれば、16回以上もの米軍 の空襲を受けています。

その傷跡が掩体壕のあった近辺にいくつか残されているとのことで、足を運んできました。


(下の写真は、すべてクリックで拡大(Picasa WebAlbumへのリンク)します。


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終戦の詔勅   

外務省極秘文書「日本外交の過誤」-(9)結論   

転載を続けてきた外務省文書「日本外交の過誤」ですが、今回転載するのが本編の最後、「結論」部分となります。
外交技術についての教訓とも云える部分なので、歴史認識という視点から見ると抽象的な箇所も多いのですが、いろいろと考えさせられるところの多い「結論」となっていると思います。


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外務省極秘文書「日本外交の過誤」-(8)終戦外交   

今回転載するのは、戦争の終わらせ方についての反省の部分です。

「太平洋戦争はもっと早く終わらせることはできなかったのか」という問いかけは、しばしば目にするところです。「緒戦の思わぬ大勝に調子に乗ってしまった、あの時に講和に持って行ければ・・・」という話も見かけますが、戦争も外交も相手のあること、こちらの都合の良い状態(イコール、相手の不利な状態)で終わらせることなど至難の業と言えそうです。

ましてや、あの戦争では、特に。


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外務省極秘文書「日本外交の過誤」-(7)日米交渉   

今回転載するのは、日米開戦に至る最後の外交「日米交渉」の部分です。

日本が「外交」というものに対して臨む姿勢の問題点が顕著に表れたのが、この交渉だったのかも知れません。
満洲事変の際に、すでに「言うこととやることが矛盾する信用ならない国家」というレッテルが貼られた日本でしたが、それを回復しようとする努力をすることもないままに崖っぷちに追い込まれ、それでもなお、外交を甘く見ていたとの誹りは免れないような交渉をしようとしていたようです。


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外務省極秘文書「日本外交の過誤」-(6)仏印進駐、蘭印交渉   

日本と米英の対立を決定づけたのは、前々回の日独伊三国同盟ですが、この仏印進駐、とくに南部仏印進駐はアメリカの日本への石油輸出禁止措置を招きました。

アメリカがそこまでするとは思わなかったと回顧する声もあるようですが、日本の行動が他国にどのように映るかという視点が欠けていたということなのでしょうか・・・。


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外務省極秘文書「日本外交の過誤」-(5) 日ソ中立条約締結   

最近転載をつづけている外務省文書「日本外交の過誤」は、前提知識がないと、この調書が何を言っているのか理解することが難しいかと思います。
そのせいか、最近のエントリーはごくわずかの方しか読まれていないようです。
あるいは、日本の戦争は軍のせいと思いこんでいて、外交はあまり関係ないと思っている人もいるのかも知れませんがw

一通り、この転載が終わったら、また簡単なエントリーを書こうと思っています。

今回は「日ソ中立条約」の部分を転載します。


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外務省極秘文書「日本外交の過誤」-(4) 日独伊三国条約締結   

今回は 、日米開戦に向かう歴史の流れの中で、ポイント・オブ・ノー・リターン(引き返し不能点)とよく指摘される、日独伊三国同盟についての章を転載します。

この章では、日本の国際情勢への認識の甘さ(浅さ)と、外交の拙さが、あの戦争の大きな要因になっていると認識していると思われます。



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外務省極秘文書「日本外交の過誤」-(3) 支那事変   

今回は支那事変の章を転載します。
少々難しい漢字や、人によっては見慣れない言葉もでてきますので、ふりがなを追加していきます。
また、せっかくWEB上に転載するので、難しい言葉については適当な説明のあるサイトにリンクを貼っておきます。


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外務省極秘文書「日本外交の過誤」-(2) 軍縮会議脱退、日独防共協定締結   

今回は、昭和9年(1934)のワシントン海軍軍縮条約破棄から、日独防共協定締結までの部分を転載します。


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