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【このエントリーを読まれる方への注意】
これは、あくまでも座間味島に於ける梅澤裕さんと宮城初枝さんとの間の話です。極めて限定された場所と人物についての話であり、沖縄各地で起きた集団自決を物語っているわけではありません。
時折「沖縄集団自決訴訟」だけをとりあげ、梅沢隊長(座間味島)、赤松隊長(慶良間島)の命令の有無だけを取り上げ「命令はなかった」という論調を見かけますが、それはこの問題を著しく矮小化し歪めていることに留意してください。
沖縄戦における「集団自決」と「住民虐殺」の事例一覧
(2007/10/29追記)
このエントリーは、以下の続編となります。
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沖縄集団自決は軍の命令だったのか?座間味島の場合-1-
沖縄集団自決は軍の命令だったのか?座間味島の場合-2-
沖縄集団自決は軍の命令だったのか?座間味島の場合-3-
沖縄集団自決は軍の命令だったのか?座間味島の場合-4昨日のエントリーの後半部分、「さて、ここで気をつけたいのは、・・・」のところで、戦後の補償を得るために「自決命令があった」と証言することになったのではないかも知れない、という趣旨のことを書きましたが、どうやら私の想像はハズレだったようです。
と、いうのも、「
母の遺したもの―沖縄・座間味島「集団自決」の新しい証言」の著者・宮城晴美さんが、この本の内容よりも、さらに詳しく具体的にその背景をつづった文章を、ネット上で見つけたからです。下記に引用させて頂きます。
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これは、あくまでも座間味島に於ける梅澤裕さんと宮城初枝さんとの間の話です。極めて限定された場所と人物についての話であり、沖縄各地で起きた集団自決を物語っているわけではありません。
時折「沖縄集団自決訴訟」だけをとりあげ、梅沢隊長(座間味島)、赤松隊長(慶良間島)の命令の有無だけを取り上げ「命令はなかった」という論調を見かけますが、それはこの問題を著しく矮小化し歪めていることに留意してください。
沖縄戦における「集団自決」と「住民虐殺」の事例一覧
(2007/10/29追記)
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沖縄集団自決は軍の命令だったのか?座間味島の場合-1-
沖縄集団自決は軍の命令だったのか?座間味島の場合-2-
沖縄集団自決は軍の命令だったのか?座間味島の場合-3なぜ自決について「軍の命令があったかどうか」が、問題になるのか・・・。それは、戦没者の遺族や負傷した人に国からお金が支払われる「戦傷病者戦没者遺族等援護法」対象者の定義によります。(ご存知の方も多いと思いますが)
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これは、あくまでも座間味島に於ける梅澤裕さんと宮城初枝さんとの間の話です。極めて限定された場所と人物についての話であり、沖縄各地で起きた集団自決を物語っているわけではありません。
時折「沖縄集団自決訴訟」だけをとりあげ、梅沢隊長(座間味島)、赤松隊長(慶良間島)の命令の有無だけを取り上げ「命令はなかった」という論調を見かけますが、それはこの問題を著しく矮小化し歪めていることに留意してください。
沖縄戦における「集団自決」と「住民虐殺」の事例一覧
(2007/10/29追記)
前回のエントリーは、勉強しながら今までブログに書いてきたことを、全部ひっくるめたような内容となり、書くのにかなり力を入れた内容となりました。そのせいか、アップしてからもあちこち気になって、追記・修正したりしています(^^;。また、貼り付けてあった、沖縄戦の動画がタイミング悪く削除(?)されたり、と、読んで頂いた時間帯によってエントリー内容が若干変わっているかと思います(苦笑) また、タイトルと内容がまったくマッチしていません(^^; まぁ、「連載」なので、このままにしておきます(笑)
今回からは、「
母の遺したもの―沖縄・座間味島「集団自決」の新しい証言」から引用紹介していこうと思います。
まずは、前書き部分から・・・。
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これは、あくまでも座間味島に於ける梅澤裕さんと宮城初枝さんとの間の話です。極めて限定された場所と人物についての話であり、沖縄各地で起きた集団自決を物語っているわけではありません。
時折「沖縄集団自決訴訟」だけをとりあげ、梅沢隊長(座間味島)、赤松隊長(慶良間島)の命令の有無だけを取り上げ「命令はなかった」という論調を見かけますが、それはこの問題を著しく矮小化し歪めていることに留意してください。
沖縄戦における「集団自決」と「住民虐殺」の事例一覧
(2007/10/29追記)
昨日のエントリーでは、朝日新聞の記事が印象操作的だったことに触れましたが、今回からは、「
母の遺したもの―沖縄・座間味島「集団自決」の新しい証言」から引用しながら、なぜ集団自決が起きたのかを考えてみたいと思います。
ところで、今回報道された文部省の教科書検定について批判的な方の意見に目を通していくと、次のような考え方が多いことに気づきます。
すなわち、「ハッキリした形の『命令』ではなかったかもしれないが、国家の教育や鬼畜米英といったプロパガンダがあったからではないか。結果的に死ねと命令したのと一緒ではないか」という意見です。昨日
そういうコメントもいただきましたし、下記の記事のように、集団自決で生き残った方の声にも現れています。
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これは、あくまでも座間味島に於ける梅澤裕さんと宮城初枝さんとの間の話です。極めて限定された場所と人物についての話であり、沖縄各地で起きた集団自決を物語っているわけではありません。
時折「沖縄集団自決訴訟」だけをとりあげ、梅沢隊長(座間味島)、赤松隊長(慶良間島)の命令の有無だけを取り上げ「命令はなかった」という論調を見かけますが、それはこの問題を著しく矮小化し歪めていることに留意してください。
沖縄戦における「集団自決」と「住民虐殺」の事例一覧
(2007/10/29追記)
慰安婦の一連のエントリーが一段落したので、しばらくは「やまとことば」など、まったりとしたエントリーを書こうかなぁー、と思っていたのですが、沖縄集団自決についての教科書検定のニュースがありましたので、拙ブログでも触れておこうと思います。
日本軍「強制」は修正=沖縄戦集団自決に初の意見-高校教科書の検定結果・文科省 時事ドットコム
(ウェブ魚拓はこちら)
昨年8月にも、沖縄の集団自決については少し書いたのですが(過去エントリーはこちら)、いつかまとめて書いておきたいと思っていたことなので、これを機会にエントリーを書いてみたいと思います。例によって、私が読んだ本から引用紹介するスタイルで、何回かに分けた連載になります。
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先日、コメント欄にて当ブログのリンクの乱れをご指摘いただきましたので、修正いたしました。自分の過去エントリーに貼ったリンクはことごとく乱れていたようで(汗)、今まで混乱された方にはお詫び申し上げます。
あと、
先日取り上げた沖縄集団自決関連のエントリーで曾野綾子氏の著作「集団自決の真相」は
1992年の「ある神話の背景」の復刊と書きましたが、実はこれが2度目の復刊であり、
一番最初に発刊されたのは1973年(昭和48年)だったようです。随分昔から軍命令による自決に対しての疑問が提示されていたわけですね・・・。
また、この問題については
「沖縄集団自決冤罪訴訟」として争われているわけですが、その第5回目の公判が9月1日であることもコメント欄で情報をいただいておりました。その公判についての報道を探してみたのですが、ネット上には下記の琉球新報の記事しか見つけられませんでした。
軍命存否で対立 「集団自決」訴訟
沖縄戦で「日本軍の指揮官の命令で慶良間諸島の住民が集団自決した」とする本の記述は誤りで、名誉を傷つけられたとして、当時の指揮官の1人と遺 族が出版元の岩波書店(東京)と作家の大江健三郎さんを相手に、本の出版差し止めと損害賠償を求めた訴訟の第5回口頭弁論が1日、大阪地裁(深見敏正裁判 長)であった。軍命の存否をめぐり、双方の主張が今回も真っ向から対立した。
原告側の指揮官、遺族側は「『集団自決』命令がなかった」と記した体験者の署名について、その正当性をあらためて主張した。
被告側の岩波、大江さんは、米軍が上陸した場合、日本軍が秘密保持のため住民とともに玉砕する方針を採り、玉砕(自決)を命じていたと指摘。「米軍の攻 撃を受けた住民は、自決のために集められた後、手りゅう弾を手渡され、追い込まれた。住民は軍イコール隊長の命令により自決した」と書面で反論した。
さらに座間味島の「集団自決」について、座間味村が新聞社の問い合わせに「公式に軍命令があった」と回答していたことを挙げ、「軍命令は援護法適用のための方便」という原告側の主張を否定した。(琉球新報 9/2 16:04)
産経新聞の照屋氏の証言についての言及もなく、なんら新情報のない記事ですね。産経新聞も9月1日の公判については取り上げなかったのでしょうか?
参考リンク
沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会
沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実―日本軍の住民自決命令はなかった!
曽野 綾子

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