
お知らせ:過去エントリ「斉藤隆夫の「反軍演説」は反軍ではない?」に追記しました。
--------------
今回も引き続き「日中戦争下の日本」(学習院大学教授 井上寿一著)から引用紹介していきます。
このエントリーには続きがあります→【続きを読む】
「多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」(カエサル)
「自分の正しさを雄弁に主張することのできる知性よりも、自分の愚かさを吟味できる知性のほうが、私は好きだ」 (内田 樹)
Category |
お知らせ:過去エントリ「斉藤隆夫の「反軍演説」は反軍ではない?」に追記しました。
--------------
今回も引き続き「日中戦争下の日本」(学習院大学教授 井上寿一著)から引用紹介していきます。
このエントリーには続きがあります→【続きを読む】
1940年の反軍演説の続きを書く予定でしたが、ちょっと脱線します。
毎週木曜日更新の「日本列島プチ改造論」というネット上のエッセイがあるのですが、今日の更新はおもしろくって、ちょっと紹介しておきたいたいなぁと思いましたので。
このエッセイはのちに書籍化される予定だそうでして、バックナンバーは掲載後3週間経過するとネットで読めなくなってしまいますから、早めに触れておきたかったというのもあります。
このエントリーには続きがあります→【続きを読む】
このエントリーには続きがあります→【続きを読む】
このエントリーには続きがあります→【続きを読む】
1942年(昭和17)4月18日、66年前の今日は、日本本土が初めてアメリカの空爆を受けた日です。日本の歴史上、初めて空から敵の爆弾が降ってきた日です、
米軍指揮官の名前をとって「ドーリットル空襲(Doolittle Raid)」(またはドゥーリットル)と呼ばれます。
真珠湾攻撃からまだ間もない時期で、 アジア各地での破竹の進撃にまだ日本が酔いしれていた時、いきなり首都東京が空爆を受けました。他には川崎、横須賀、名古屋、四日市、神戸が空襲を受けています。
このエントリーには続きがあります→【続きを読む】
時折コメントしていただくグリッティさんのエントリー「受け継がれている歴史と伝統」を拝読して、いつか書こうと考えていたことを思い出したので、記しておこうと思います。
もちろん、私も日本の伝統や文化は大切にしていきたいと思っている一人ですが、それでもまことしやかにささやかれる日本の「伝統」について「それって何かヘン?」と思うことが時々あります。
たとえば、かつての日本人の圧倒的多数が「武士」ではなかったにもかかわらず、「武士道」の伝統を日本人がみな受け継いでいるというような主張とか(笑)。
このエントリーには続きがあります→【続きを読む】
昨日(7/17)、どういうわけか、「やまとことば」で検索して拙ブログに来訪される方が突如急増したのですが、「やまとことば」関連で世間で何かありましたか??
過去、2度ほど「やまとことば」についてのエントリーを書いたので、検索で拙ブログがヒットしたのだと思いますが、最近来訪された方は、未読の方もいらっしゃるとおもいますので、過去エントリーへのリンクを張っておきますね。
このエントリーには続きがあります→【続きを読む】
このエントリーには続きがあります→【続きを読む】
最近は固いエントリーが続いたので、ちょっと一息入れてこの本から少しご紹介してみようと思います。
そう言えば、「日本についての豆知識」というカテゴリーを作っていたことさえすっかり忘れていましたし(^^ゞ
「考察NIPPON」ですから、日本についてのこんな話題もたまにはいいでしょう。
まず、『やまと言葉』って何? ってな方もいらっしゃるでしょうから、先にちょっとだけ解説部分を。
P7.~ちょっと考えてみればわかることですが、中国から漢字が伝わる前から日本に住んでいた人は日本語で会話していたわけで、後から入ってきた漢字はその日本語に当てはめていった、ということなんですね。
日本は歴史始まって以来、たくさんの外国語を受容してきたので、それらをごちゃまぜにして考えてみても、日本人の基本の考え方は出てこない・・・
(略)
そこで必要なことは、基本の日本語に限定して、日本人の思考や感情を考えることから始めること・・・
(略)
今日、私達は漢字とかなを交えて言葉を書きます。その時の漢字とは中国からの借り物ですから、漢字で日本語を表現した瞬間に、もう日本人古来の考えからずれてしまいます。中には漢字の当て字というものまであって、全く違う意味になってしまうものもあるのです。反対に、かなで書けばことはすむのかというと、「曖昧」のように、本来、漢語のものもある。
だからこそ、基本の日本語で考えようと言うことになるのですが、それは、いわゆる「やまとことば」です。学校で音と訓の区別を習ったと思いますが、その訓が、ほぼ「やまとことば」です。
そもそもの日本人の心を知るために、まず漢字を取り払ってみましょう。「は」とは、歯でも葉でも端でもあるのですから、「漢字で書くと別だ」という考えを捨てて欲しいのです。
P.21~
「からだ」は、「から」に接尾語の「だ」が付いたことばです。「から」というのは幹のことで、死んだ体の「なきがら(亡骸)」、稲の茎の「いながら(稲幹)」、干した芋の茎の「いもがら(芋幹)」、そういう「から」と同じ。根幹のことですから、「から」とは、「そのもの」という意味ももちます。
ところで、体のことを「み(身)」ともよびますが、「からだ」と「み」はどう違うのでしょう。
「み」は、果実の実と発音が同じです。「からだ」は、それこそ木の幹が伸びて枝が出るように黙っていても成長しますが、「み」は自らの努力なしには成熟していくことが出来ません。さらに「み」は、努力して経験を積んだ成果として、木の実のように「みのる」ものですから、「からだ」のように、事故やけがで損なわれることはない。
例えば、よくない行いから悪い結果が出ることを「身から出た錆」とは言うけれど、「体から出た錆」とはいいませんね。ほかにも、「身をもち崩す」「身の上話」という時の「み(身)」は、まさにその人自身の中身を伴いますが、一方「からだ」は、体をこわす」「体が丈夫」などと、身体の機能や状態を表すのに使います。
さて、体からは手足が突き出ています。古代人は、この手足を「えだ」とよびました。木の幹から枝がつんつんとつきだしている様子が目に浮かびませんか。
このエントリーには続きがあります→【続きを読む】
このエントリーには続きがあります→【続きを読む】
※Internet Explorerのみ動作します
プルダウン | 降順 | 昇順 | 年別 |
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 |
---|---|---|---|---|---|---|
- | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 |
7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 |
14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 |
21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 |
28 | 29 | 30 | 31 | - | - | - |
|
管理者:J.Seagull
このブログについて
キーワードアドバイス ツールプラス Powered by SEO対策 |
サイトマップラス Powered by SEO |
開設以来の累計 | 現在の閲覧者数 |